知らないでしょうけど
「好き」
「うん」
「大好き」
「うん」
「愛してる」
「うん」
私の目の前に座る、眼鏡をかけた男の子に愛を囁く。
しかしそんな囁きにもまったく靡かず、男の子は手元のプリントから視線を外してはくれない。
かれこれもう30分はずっと愛を囁いている。
「加納さん。そんなに媚びを売ってもこの課題代わりにやったりしないよ」
「そんな…っ! 私そんな邪な考えで愛を囁いているつもりはないわ!」
「じゃぁ手を動かして。今日中に提出できなくなるよ」
私の手元にあるのは数学のプリント。
夏休み前の期末試験で赤点を取って追試になってしまったの。
でも何度受けても点数が合格点に満たず、そうこうしている内に夏休みが明けた為先生が苦肉の策で課題提出にしたの。
ところがどっこいこの課題にも行き詰る始末。
そもそもこの課題が出来ていれば何処かのタイミングで追試に受かっているはずだもの。
悩みに悩んで、友人たちに助けを求めたわ。
でも誰の説明にも理解が出来なかったの。
無理をして入った高校なせいか、周りは優秀な子が多かったけれど、私の頭がついていかない。
一人また一人と教えるのを諦めて行ってしまったわ。
そこで助けを求めたのが学年一位のこの男の子だった。
他クラスである私の急なお願いも快く答えてくれる優しさを持ち合わせている素晴らしい人。
全く理解出来ていない私に付き合って根気強く教えてくれる忍耐力の強さ。
本当に、素敵な人
彼は私と初対面だと思っているかもしれないけれどそんな事はない。
なにせ同じ中学だったし、同じクラスでもあった。
ただ私は、クラスの中でも影の薄い人間だった。
名前を聞いてもあ、そんな人もいたかな?でも顔がよく思い出せないやっていう程度の人間。
でも私は高校入学前の春休み中にイメチェンをした。
まず髪を整えた。
くせ毛でぼわぼわした煩わしい三つ編みをしていた髪に縮毛矯正をかけて伸ばし、量を少なくして毛先も整えて貰った。
それだけで幾分か雰囲気が明るくなった。
そして化粧を覚え、眉毛も不自然にならない程度に整えた。
高校に入ったら皆お化粧してるなんて聞いたから頑張ったけど、何てことはない校則で禁止されていた。
でも血色の悪い唇に色付きリップを塗るくらいなら許されるだろうと、ほのかにピンク色のリップを塗っている。
恐らく名前と顔が一致してもらえる位までにはなったと思う。
だから彼が私だと気づいてなくても仕方ない。
いや名前覚えてくれてたらそうじゃないのかもしれないけど、彼は覚えていなかった。
「加納さん? 聞いてる?」
「聞いてるわ西田君。どこが分からないだなんて私でも分からないわ。この1はどこからやってきたの?」
「そこはね……」
何とか課題が終わる頃には日が完全に落ちていて辺りは暗くなっていた。
職員室に提出に向かうと先生は泣いて喜び、西田君にお礼を言って握手を求めていたわ。
今回で懲りたので次からはもう少し頑張ろうと思う。
「加納さん送っていくよ」
自転車置き場から自転車を取ってきた西田君が申し出てくれるが、生憎我が家は意外と学校から近い。
「大丈夫よ、すぐそこだもの。遅くまでごめんなさいね?」
「それでもだよ。夜道の女性の一人歩きは危ないよ。それに加納さんは可愛いしね」
思わぬ返しに目を丸くしてしまった。
西田君が私を可愛いって言った?
いいえ、これはお世辞に違いないわ。
「ありがとう。そう言ってくれるのは西田君だけよ」
「そうかな? 中学の時から少し変わったけど、可愛いままだよ」
「え……?」
悪戯が成功したような笑顔で西田君が私を見る。
その表情に胸が高鳴り頬に熱が集まる。
見られたくなくて、つい下を向いてしまった。
「僕の事追いかけてきたんでしょう? 中学の頃から気づいてたよ。偏差値が届かないのにこの学校受けようとして周りに止められてたでしょう」
「何で知って……」
「三者懇談」
そう言われてハッとした。
あれは確か中学3年生の夏の三者懇談の時だった。
西田君がこの高校を受けると知って、何としてでもこの高校を受けると決めたのだ。
でも親にも先生にも止められ、自分に見合った高校を進められて泣いたのだ。
何としてでも西田君と同じ高校に行きたい‼‼と。
まさかそれを聞かれていたなんて
羞恥に顔が更に赤く染まり、この場から逃げ出したくなってうつ向いて後ずさった。
「逃げないで」
両腕を掴まれ下から顔を覗き込まれる。
眼鏡越しの瞳が柔らかく細められているのを見て、頭がクラクラした。
どうしようストーカーだと思われてないかしら、いやストーカー染みてはいるけど、それは純粋な好意からで、あ、でもストーカーも最初は純粋な行為から始まるんだっけ?どうしよう何て言い訳しよう。いやでもさっき私は告白してた訳で
ぐるぐる考えている内に、頬を西田君の両手で包まれた。
ビクッと肩が揺れてしまう。
視線を合わせたいけれど、怖くて合わせられないのに無理やり西田君が顔を上げさせる。
昇降口の明かりに照らされた西田君の表情は真剣そのもので、思わず胸がときめいてしまった。
「加納さんは中学が初対面だと思ってるでしょう」
「違うの……?」
「違うよ。僕らは幼稚園も一緒だったよ」
嘘!そんなの覚えてない!
幼稚園の時の記憶なんて朧気でしかないもの。
どうして西田君はそんな昔の事を覚えているの?
「覚えてないだろうけど、眼鏡でからかわれて、泣いてる僕を助けてくれたのが加納さんだよ」
「そんな事……あったかしら……?」
「酷い人」
クスクス笑いながら更に顔を近づけてくる西田君の肩、を思わず押し返してしまう。
しかしそんなのはお構いなしに真っすぐこちらを見つめてくる。
「自分だって怖いのに、一生懸命僕を守ろうとしてさ。ねぇ、さっき教室で言ってた事もう一回言って?」
「そんなの……言える訳ないわ……」
力なく頭を振ろうとするも、頬を包んでいる西田君の手がそれを許さない。
さっきまで言えてたことも、聞きたがる本人を前にして軽々しく口に出来るほど強くない。
「……加納さん」
「…………」
沈黙が続く。
ハァと、ため息をついた西田君に縋るような眼を向けてしまった。
でも視線の先にいる西田君は優しく微笑んでいて、その顔を見たら口から自然と言葉が溢れていた。
「好き」
「うん」
「大好き」
「うん」
「愛してる」
「うん」
「すきぃ……」
くしゃりと顔が歪んで涙が流れたのが分かる。
それでも西田君は優しく微笑みながら涙を拭ってくれた。
そうして西田君も囁いてくれる。
「好きだよ」
「……はい」
「大好きだ」
「はっ…い」
「愛してるよ」
「はい……」
ぼろぼろと零れる涙で視界が滲んでいたけど、嬉しそうに顔を赤くして微笑む西田君の姿だけはハッキリと見えた。