1話 「これから、それとこれまで。」
※
長く暗いトンネルが続く。
それはまるで私とあの町とを引き離してくれているかのようで少し気が楽になっているような気がする。
気がするだけだけど。
確かに物理的には離れてはいるのだけど、あの町は私の心の中にしつこく存在し続けている。
目をそらしても、顔をそむけても、逃げ出しても、あの目は、あの顔は、あの声は、瞼を閉じればすぐそこにはっきりと浮かんでくる。
私はそれから逃げられない。
きっと。
ずっと。
いつまでも。
私の足に絡みついて離れることはないだろう。そのことを私も望んでいるのだから尚更…
「眠い?」
隣の運転席から声がかかり目を開けると、まだトンネルは続いている。黒い壁の上を朱色のライトが一定間隔で走り去って行っている。
「無理もないわよ。あなた、あっちにいた時昼夜逆転していたんだし。まだ朝の7時よ」
違うよ真昼おばさん、私はただ、自分の惨めさを再確認していただけ。
反対側を見ればガラスに自分の顔が映る。
前髪は無造作に鼻下まで伸び、目の下には隈が出来、いかにも精力の無いような表情…あきれる。
昔からずっとショートにしていたのに今ではもうこんなに伸びきって…
精神科医曰く私は「混乱」している状態なのだそうだ。私自身には全く実感がなくて・・・。
実際私にとっては本当にどうでもよいのだ。
私を知っている人はこのトンネルを抜けた先にはいないのだし。そもそもそういう場所を求めているからこそ、今こうしている訳であって。
私の事を知っている人などいない場所。その上で私に関わろうとしない人。今まで通りに、引きこもっていればその心配もなくなるだろう。
朱い電灯はトンネルに入った時からずっと同じリズムで現れたり消えたりを繰り返している。
ぽつ、ぽつ、ぽつ、ぽつ、・・・・・と。一つ過ぎ去るたびにあの町と私の距離がどんどん増えていっている実感がわいてきて心地いい。
ああでも。おばさんの言った通り、確かに少し眠いなぁ…
「見えてきたわ」
そう言われて目を開ける。
暗く長いトンネルを通ってきたせいなのかとてもまぶしく感じる。
その光はまるで、私を消そうとしているかのようで気分が悪くなった。
※
この町には高層ビルと呼べるものがほぼ見当たらない。中心にある大きな湖を取り囲んで山がそびえたっており、そのふもとに転々と一戸建ての家のようなものが見える。固まっていたり、ぽつん、と1つ離れたところにあったり・・・。
車が停まったのは、そんなはぐれた家の一つ。山の中腹に建っている一軒家だった。
車を運転していたのは、私の母の妹である建宮真昼。両親を亡くした私をこんな風になってまでも甲斐甲斐しく面倒を見てくれる変わり者。
聞いてはいたが、こんな立派な一軒家を所有していたようだ。借りた、とかではなく、所有者が真昼おばさん本人になっている。
感謝はもちろんしている。問題はそこじゃない。
私は、それでも変われない・・・変わろうとする事すら出来ない私が、憎くて、うざくて、妬ましい。
「荷造りしているからー、下に行って町でも見て来なさいな。いい所よ」
これから引きこもるのに一体全体何を見に行くんだ私は・・・。観光名所か。成程。
なるほどじゃないし。
でも、家に入れないのなら何もすることはないし。今日は平日の朝10時。今なら人に遭う事もないかもしれない。
「わかった」
それに少しはおばさんの意見も汲み取らないと申し訳がない。
私が罪悪感で押しつぶされそうだ。
とりあえずあの湖の岸辺まで言ってみよう。
※
半年前まで私は、いかにも都会という感じの、とある高校の陸上部員Aだった。走るのはそれなりに好きだったし。人間関係もそれなりにうまくやっていた。
そんな気がしていた。
きっかけは単純。
私が同じ部活の男の先輩と仲良くなった事だった。
ある日、友達だと思っていた人たちに呼び出され、こう言われた。
「調子乗んなよ。オマエさ、」
案の定それを皮切りにイジメが始まり、一週間後。
「先輩の事諦めるならやめてあげるよ」
と、今度はそう言われた。
随分と都合がいいなと思うと同時に、負けたくない。そう思った。
私はその頃負けん気が強く活発で、今とは何もかもが逆で。
そんな性格だったから、私はその次の日にその先輩に告白した。
何と、その恋は実った。
今思えば実ってしまった。
ここで振られといておけばただの笑い話済んだはずなのに。
ますます私へのイジメが過激になった。
当たり前だ。
でもその頃の私は強くて、バカだった。
エスカレートしていくそのイジメは、内容も、規模も、徐々に大きくなっていった。
机に落書きされていた。まあ、そう言う事もあるでしょ。消せばいい。
無視され始めた。まあ、そう言う事もあるでしょ。人がいなくたって生きていけるし。
靴を捨てられた。まあ、そう言う事もあるでしょ。裸足で歩けばいい。
筆箱を捨てられた。まあ、そう言う事もあるでしょ。隣の人に借りた。
教科書をビリビリに破られた。まあ、そう言う事もあるでしょ。教科書の内容は頭に入っているし。
下駄箱にゴミを詰められた。まあ、そう言う事もあるでしょ。片付ければいい。
自転車を壊された。まあ、そう言う事もあるでしょ。10キロ程度歩いて帰れる。
川に落とされた。まあ、そう言う事もあるでしょ。結構余裕で泳ぎ切れた。
エトセトラエトセトラ・・・
拡大するイジメのオンパレードを、私は1ヶ月間全て何食わぬ顔でやり過ごした。
確かに辛かった。でも頑張ったらこんなのいくらでも耐える事が出来た。
愛の力で何とかなるものだと思い続けて。先輩がいたからどうとでもなった。実際私は何とかなった。
私は。
イジメが始まって1ヶ月と1週間。
先輩が屋上から飛び降りた。
私はそもそも勘違いしていた。あのイジメは私が先輩と仲良くなった事に対しての嫉妬ではなく、ただ、私の事を落とし入れたかっただけなのだ。勉学でも、陸上でも勝てなかった私への恨みをよい機会にぶつけたと言うだけの話だったと推測ができた。
私は嫉妬だと思い込んでいたから。
付き合えば負けない、それでめげなければ負けはしないのだと思っていたから。
ずっと先輩の事を思って頑張っていた私を、1ヶ月イジメ倒しても、はたから見ればビクともしなかった私の心を折るためには、先輩の方を折ればいいと考えるのは妥当だろう。
これがただの嫉妬から来るものだったら違うかもしれなかったけれど。
イジメは部活内だけの話ではなく、既にほぼ学校全体にほぼ広がっていた。
その矛先を、ちょっと変えることぐらい至極簡単なことだったろう。
結果、学校全体からイジメを受けた先輩の心はポッキリ折れた。
「お前ほど強くあれたらよかったよ」
私の目の前でこう残して落ちて行った。現状を見て、動かない先輩を見て、原因を自分に見た時。今まで耐えていたものが波のように押し寄せ…そして。
私は壊れた。
※
目の前に大きな水色が広がる。
湖からの風が心地よくて鬱陶しい・・・このまま前に落ちて沈んで行ってしまえば楽だろう。私にはとても怖くてできないけれども。
私は臆病になってしまったから。ただ前を見る事が、どうしようもなく怖くなってしまったから。
目を閉じる。
私はまだ、あそこにいる。
その時、後ろからシャッター音がした。
「あっ、ごめんね?つい撮っちゃった」
驚いて振り返ってみると、茶髪でボブヘアーの私と同じくらいの女の子が、本格的な一眼レフカメラを持ってにこやかな顔を浮かべ、立っていた。
その子は言う。
「いやー湖にたたずむロングヘアーの女の子っていう構図が凄くあたし的にビビッときてさ、ホントつい…ごめんね?いやなら消すよ?」
・・・笑顔が似合う子だな。
「どうしたの?というか見ない顔だね、観光、な訳無いし。親戚にでも会いに来たの?それともこんな町に引っ越してきたとか」
私は黙っておばさんの家のある山の中腹当たりを指差した。
「あそこは確か家が一軒あったような…空き家だったけど、そこに引っ越してきたの?」
よく知っているなぁ。地元の子、だと思うけど。それならなぜこんな時間にこんな所で写真なんて撮っているのだろう、学校はいいのだろうか。
「学校は行ってないよ。いわゆる登校拒否ってやつですな。そっちだってその格好、あたしと同じで学校なんて行ってないんじゃないの?」
エスパーかよ・・・
「あはははっ、大抵の事は人の顔見りゃそこに書いてあるわよ。あなたは分かり辛いけど」
なんか、この子・・・薄っぺらだ。どこか取り繕っている様に見える。
必死に、何かを隠している感じだ。
勘だけれども。
「ところで、私の写真のモデルになってくれたし・・・何かの縁もある訳だ。名前、よかったら聞かせてくれない?」
「・・・建宮恵」
「男みたいだね。て言うかしゃべれるんだ。てっきりしゃべれないもんだと思ってた」
そう言ってケラケラ笑う。
「あたしは西条愛華。恵ちゃん、突然だけどさ、あたしと友達になってよ」
・・・・・・・・・・うーん・・・・。
「西条さん、念のため聞くけど嫌だと言ったら?」
「もう家は特定できているし、遊びに行くわよそりゃぁ。あと愛華でいいよ」
しまった。さっき何の気なしに教えてしまって今頃後悔することになるとは・・・。それに友達だなんてそんなもの、もう私は友達にされる気も、ましてや作る気もない。
「ぜったい嫌よ。もう私にかかわらないで。その写真は消さなくてもいいから、私の前にもう2度と出てこないで」
初めて会ったばかりの西条さんにそう吐き捨ててきびすを返す。
ひどい事を言ってしまった事への罪悪感が胸に積もる。
けれど私は、もうだれも・・・・・。
「・・・・・・・それは・・・いやだなぁ」
そんな、後ろから聞こえてきた声を私は聞こえなかったふりをして、そこから逃げるように立ち去った。