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 あれ。

 ここは、どこだろう。


 月渚はお日様の匂いのするふかふかの布団から身を起こして、ぼうと辺りを見渡した。

 寝起きのせいか頭が上手く働かず、見渡した部屋はよく知っているのに全く知らないような変な感じがして気持ちが悪い。

 

 それにしてもものすごく物が少ない部屋だなあ。

 羨ましい。

 こういう部屋の方が私の部屋よりもずーっと落ち着けるのに。

 ……そういえば自分の部屋ってどんなだったっけ。


 思い出そうとして浮かんだ部屋は、女の子なら誰もが憧れるお姫様のような部屋。

 優美なラインを描く真っ白な家具に少し大人びた小物達。

 けれどもそれは月渚が好んだものではなく母親が初めての子供である娘の為に夢見心地で揃えて言ったものの大集結だった。

 少女趣味極まりない部屋は高校生になった月渚には恥ずかしいと感じるほどで、模様替えをしようとしたら母親から泣かれてしまい実行には至らなかった。

 将来独り立ちするときには自分の好きな内装にするんだと、気に入ったものを写メにとって保存するようになった。

 その写メに残してあるような、自分好みの内装を具現化したものが今いる部屋だ。

 良く知っているようで知らない部屋というのは言い得ていたのかもしれない。

 作り付けのテーブルには欲しかった鳥を模した文鎮に硯が置かれていて、どこにいるかわからない不安の中、月渚は少しだけ笑うことができた。


「月渚。起きたの?」


 蝶番の音を軋ませながら、女の人が心配そうに入ってきた。

 手にはほんわりと湯気が立つおかゆを乗せたお盆を持ち、零れないようにゆっくりと部屋を横切ってテーブルの上にことんと置く。

 

「昨日、入学式の帰りに貧血で倒れたのは覚えている? 具合が悪いことにも気が付かなかったほど桜ノ宮に入学できたことに浮かれていたのかしら。もう高校生なんだから体調管理はちゃんとしておかないとね」


 月渚が起き上がっていることを確認すると、近くに寄ってきて顔色を確認する。

 皸一つなく手入れされた手を当然のようにそっと頬に添わせた彼女は、どこからどうみても娘を心配している親そのものだ。

 だが月渚にはこの女の人が誰であるかわからない。


「よかった。顔色も戻ってる。熱もないようね。ご飯は食べれる?倒れてから今まで起きなかったから随分とお腹が空いているでしょう?ああ、それと。後でいいから是清君にお礼を言っておいてね。あなたが倒れたときに是清君がいてくれて本当に助かったわ。是清君って月渚と同い年なのに本当にしっかりしているわよね。倒れたあなたを抱きかかえながらタクシーを呼んだのよ?すぐに思いつくことじゃないわ」


 月渚は彼女の弾丸のようなおしゃべりの内容についていけず、ぽかんと口を開けてしまった。

 

 月渚って誰のこと?

 でもこの人、私に向かって言ってるし。

 私のことなんだろうけれど、私には○○って名前が……?

 あれ、思い出せない。

 私の名前は、○○で。

 ううん、違う。

 私の名前は、


「月渚。

 聞いてるの?顔色が戻っていてもまだ調子が悪いのね。今日はどうせ休みなんだから、ちゃんと大人しくしていなさいね。わかった?」


 お母さんは仕事に行ってくるから、と月渚の返事を待たず扉をぱたんと閉めて、彼女は月渚の前からいなくなった。

 唖然と言う言葉がこれほど当てはまることはないだろう。

 月渚は自分の戸惑いよりも彼女の疾風の様な行動に困惑するばかりだった。

 

 熱々だったおかゆが冷めた頃、ようやく月渚ははっきりと物事を捉えることができた。

 すると先ほどまでの自分がとても間抜けに思えて仕方がなかった。


 くふ。

 くふふふ。


 月渚はこみ上げてくる笑いを抑えない。

 それどころか誰もいない部屋だからこそ、次第に大きくなる衝動を隠そうともせずにおおきな声で笑っていた。


 自分の名前を忘れるなんて、笑える。

 私の名前は、竹宮 月渚。

 さっきの強烈な女の人はお母さん。

 昨日は高校の入学式で帰り道で以前の私を思い出しただけ。

 前世を思い出すだなんてまるでドラマみたいだけれど、決してないことじゃあない。

 いつどうやって死んだかまでは思い出せないけど、こうやって違う人生を歩んでいるのだから死んでいることには間違いない。

 ただ一つだけ怖れるものがあるとすれば、今の生が以前の生で読んでいたまんがのストーリーと同じだということ。

 桜ノ宮常陽高校の入学も、天羽 是清が幼馴染だということも。

 そして竹宮 月渚が天羽 是清を密かに想っていることも。

 

 感情的な笑いが収まった月渚は、今度はぶるりと体を震わせた。


 違う、違う。

 あれは漫画だもの。

 ()を生きている私には関係ない。

 たとえ漫画の私が是清を好きだったとしても、今の私が是清を好きなこととは関係ない。

 私は私の意志で是清が、好き。

 

 恐ろしい考えを取り払うように頭を何度も振ると、長い髪が乱れて月渚の目の前に落ちてきた。

 柔らかい髪質は手入れが大変なので伸ばすのに向いていないと思いながらも、長い髪の女の子が好きな是清に、少しでも幼馴染以上の感情を持ってほしいと伸ばした髪。

 ほのかな恋心すら漫画で決められたストーリーだとしたら、自分という存在はいったいなんだというのだろう。


 漫画では高校を入学してほどなく、周りからつき合っていると認識された二人はそのまま流されるように付き合い続け、大学も学科こそ違えど同じ大学に通う。

 大学では見た目の良さからコンパに駆り出される是清に月渚は日に日に澱みを溜めて彼を信じることができなくなって離れていってしまう。

 一度でもカレカノだと胸を張れたことがあったのかといえば、流されたままつき合っていただけの二人には決定的なものがなかったため曖昧のままだったのだ。

 恋人として”別れる別れない”は二人には当てはまらないことに月渚は気づいてしまう。

 そうなると幼馴染というくくりでしかない二人は、通う学舍が同じとはいえ会わないでおこうと思えばまったく会うことがない。

 三回生になって研究室に入り、そのほかの時間は就職活動に明け暮れるようになるとそれは如実になり、全く接点が無くなってしまった後、風のうわさに是清が綺麗な人とつき合っていると聞いてしまった。

 月渚の恋心はぼろぼろにくずれていく。

 幼馴染という枠は残酷だ。

 会わないと決めたというのに誰かを介して、もしくは町を歩いているだけでその存在が当たり前のようにそこに居る。

 別の人と付き合おうとしても最後には心の奥底に仕舞ったはずの彼の存在を気づかれて別れを切り出される。

 ボロボロになって火にくべたはずの恋心は燃え尽きるはずだったのに、いつまでもぶすぶすと燻ってちょっとしたことで再燃する。


 なんて一途で愚かな恋をするんだろう。

 最後はハッピーエンドとなるストーリーだが、今いる立ち位置がその愚かな恋を必ずしなければならないのならハッピーエンドなんてありえない。

 

 是清のことは好きだ。

 横にいなければ寂しく思うほどは好き。

 だけどそれが自分の意志ではなく世界がそう定めたものならば。


 あがらってやる。


 私は私の意志で人を好きになって恋をする。

 決して漫画の通りになんてなるもんか。


 月渚はすくっと立ち上がり、テーブルの上に置かれている道具箱の蓋をあけた。

 中からはさみを取り出すと鏡の前に座って髪にあてる。 


 ざしゅざしゅざしゅ


 無心に髪を切り落とすと、胸の下ほどまであった長さは顎の先ほどまでとなった。

 是清を想って手入れしていた毎日はもう必要ない。

 初めから設定された恋なんて、月渚には耐えられなかった。


 

 ―――――鏡の中の月渚は顔を歪まして泣いていた。

 

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