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コンスタンボアーズの丘で  作者: フリル
ゴールドベルク学院
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ゴールドベルク学院 第1章   薔薇と蜂蜜

ゴールドベルク学院 第1章




私がゴールドベルク学院に入学したのは、七歳のときであった。六歳から二十歳まで、多くの学生がこの学院で学ぶことができる。男女共学、全寮制の学校である。


私がこの学院に来た日のことは、今でもよく覚えている。


寒い冬空の下、冷たい霙が降っていた。私は、母の弟である叔父と共に、この学院の門をくぐった。



私の両親は、私に何一つ語らずに、この世を去ってしまった。私が父や母のことを知ることができたのは、父の残した日記と、父の友人や叔父から話を聞くことができたからである。


私の父、デイヴィッド・ライアンは、この学院の生徒であった。父は、物心ついた頃には、すでに両親はなかった。たった一人で、市場で働き、暮らしていた。一人でという表現はおかしいかもしれない。父には、大切な友人がいて、彼と共に、生き抜いていたようだった。私には、そう読み取ることが出来た。父は、暮らしていた貧しい街から見える、このゴールドベルク学院にずっと憧れていたようだった。その時の父は、街から見えるゴールドベルク学院を学校であるとは知らずにいたようであった。父の大切にしていた友人は、病で亡くなってしまった。父は、この時、どんなに辛かっただろう。私は、父の日記を読むと、いつも涙をこぼしてしまう。

父は、その後、一人でゴールドベルク学院を訪ねたのだった。そうして、父はこの学院の生徒になったのだった。

父は、卒業の年、二十歳で学院長に就任し、引退までの三年間をこの学院で過ごしていた。そして、引退後は、研究者となった。


私の母、テディーヌ・ライアンは、卒業してすぐに父と結婚し、私を生んだ。

母は、両親に父との結婚に反対されていたが、それを押し切り、縁を切る形で結婚を決めた。母の両親の反対の原因は、父の家柄が良くないことであった。父は、一人で育ち、学校ですべてを学び、教養を身につけた。しかし、階級を持たない父の存在は、受け入られてはもらえなかった。

母の家は、中流貴族であったが、あまり良い家柄ではなかったようだった。時代の流れの中で、少しずつ家の立ち位置が苦しくなっているのを、感じていたのかもしれない。

娘にだけは、上流階級の貴族と結婚をして欲しいというのが、両親の願いだった。

しかし、母は、父を愛していた。父もまた、母をこの上なく愛していた。二人の間を裂くものは、何一つ無かった。母と父は、薔薇色の愛を手に入れたのだ。

両親は、静かな田舎の湖の見える土地に家を建て、生活を始めた。三人で暮らしたあの家のことを、今でもよく思い出す。とても幸せな時間だった。


あの列車事故が起きたのは、私の七歳の誕生日であった。

私は、一人で隣町までケーキを買いに行った両親の帰りを待っていた。

玄関のベルが鳴り、私が迎えたのは、両親ではなく、悲しい訃報であった。

その日、隣町へ行く電車は、鉄橋から線路を脱線し、海の泡へと消えたのだ。

父と母は、二十七歳という若さで亡くなった。



母の両親とは、絶縁関係あったため、両親を亡くした私は、一人になってしまった。

祖父母が、父だけでなく、私をもよく思っていなかったことは、葬儀の日、すぐに分かった。私の顔を見て、すぐに父の娘であると分かったようであった。私は、父と同じ赤い薔薇色の瞳を持っているからである。


唯一、父を慕っていた、母の弟である叔父が、父の育ったゴールドベルク学院へ、私を入学させることを決めてくれたのであった。

父が、九歳で入学し、全てのことを学んだ、このゴールドベルク学院に、私も父と同じように、ここに青春のすべてを捧げるのである。




ゴールドベルク学院は、コンスタンボアーズの丘にある。壮大な敷地面積を持っている。門から学院までは、長い上り坂が続く。馬車が無くては、到底行き着くことはできない。何も知らなかった父は、どうやって学院まで上って行ったのであろうか。父の懸命に歩く姿が目に見えるような気がした。

大きな黒い塔。ゴールドベルク学院の概観は、黒一色で塗られており、一つの帝国のように私たちの前に聳え立っていた。初めて、私が、この塔を目の前にした時、ひどく寂しい印象を受けた。とても怖くて、不安で一杯だったことを覚えている。



学院の中は、ありとあらゆる物がすべて黒で統一されていた。入ってすぐの大広間の床と壁は漆黒の大理石で出来ていた。そして、その大広間の壁を囲むように、歴代の学院長の写真が飾られている。

私たちが、初めて通された部屋は、学院長室であった。学院長室の中は、いくつかの部屋に分かれているようだった。部屋の壁は、ガラスで出来ており、几帳面に整えられた本棚を持つ、書斎が遠くに見えた。


このときの学院長は、エルメル・パーシヴオリであった。彼は、卒業してまもない二十歳の少年だった。彼は、美しい白髪に、氷河のようなアイスブルーの瞳を持っていた。

美しい少年であったが、身体は少し痩せ過ぎていた。彼の着ていた漆黒の制服は、少し大きく見えた。

彼は、私たちを温かく迎えてくれた。


私たちは、少しの間、たわいもない会話をしながら、入学の手続きを済ませた。彼は、時折、私たちの話に耳を傾け、優しい笑顔で頷いていたのを覚えている。

私は、このとき、ようやく心を落ち着かせて、人の話を聞けるようになっていた。





叔父は、私の手を握って言った。


「長期休暇には、帰っておいで。僕は、いつでも君の帰りを待っているからね。きっと、帰ってくる頃には、もっと大きくなっているだろうね。身体にはくれぐれも気をつけるんだよ。」


最後に、私を強く抱きしめた。




私の住んでいた町は、この学院からは、とても遠いところにあった。家の窓からは、静かな湖が見えた。


私は、いくつもの電車を乗りついで、ここまで来た。夜行列車からは、窓の外に星空が輝いていた。まるで銀河の中を走っているように思えた。

お腹は空いているはずなのに、なにも喉を通らなかった。叔父は、いつでも食べれるように、甘いラズベリーの砂糖漬けを持たせてくれた。


叔父は、母と同じ美しい緑の瞳を持っていた。どうしてか、その瞳を見るたびに、胸が締め付けられるように痛んだ。


この学院に来たのは、両親が亡なってから、五日目だった。



身体は、すっかり疲れているのに、何かが胸の奥に詰まっていて、このまま眠ってしまうのを許してくれない。

五日前の日々が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。




なぜ、私はここにいるのだろう――


母の優しい声が聞こえる。


いつものように、母は、湖が見える出窓の側の椅子に坐って、私にお話を読んでいる。


父は、その向かいの机で、ペンを紙の上に滑らせ、時折、私たちに微笑みかける。


五日前までは、私は幸せな2人のいる、あの場所にいたのに――






温かい手が頬に触れた。


ママ?


朝日が眩しい。


ベッドから起き上がると、眼の前には、蜂蜜色の瞳の少女がいた。

その少女は、瞳を大きく見開き、私の顔を覗き込んでいる。


「美しい瞳。真っ赤な薔薇色だわ。」


自分の瞳の色を言われて、急に恥ずかしくなった。私は、この瞳をあまり気に入っていなかった。


「顔を伏せないで。すごく綺麗よ。あたしなんか、こんな黄色だもの。本当、嫌になっちゃうわ。」


彼女は、とても綺麗な蜂蜜色の瞳をしていた。髪は首の根元ほどの長さで、金の巻き毛だった。


「あなたの方が、綺麗な瞳だわ。蜂蜜色。」

びっくりしたように、瞳を大きくした。

「蜂蜜色…。そんなこと、言われたの初めてだわ。蜂蜜、蜂蜜ね?あたし気に入ったわ。ずっと、あたし、この黄色い瞳が嫌いだったの。蜂蜜色、なんていい響きなんでしょう。」

うっとりと手を胸に当てている彼女を見て、おかしくなった。

はっと、何かを思い出したように彼女は私に向き直った。


「あたし、あなたの名前、聞いてないわ。」


「私は、ローズ。ローズ・ライアン。」


「ローズ?なんて、素敵なんでしょう。瞳の色の同じだわ。」


「あたしは、ダイアナ・ツイーンよ。私もハニーとかだったら、良かったのに。でも、けっこう私、この名前だけは気に入っているのよ。」

彼女は、誇らしげに瞳を輝かして言った。



ベッドの下には、まだ開けていない皮のトランクが残っていた。昨日、そのまま眠ってしまったようだった。


ダイアナは、一緒にトランクの中の荷物を出して、部屋の戸棚にしまうのを手伝ってくれた。荷物の中から、ラズベリーの砂糖漬けの小さな瓶が出てきた。昨日、夜行列車の中で、叔父が買ってくれたものだった。食べるのを忘れていたことを、思い出した。


「ダイアナ、ラズベリーは好き?」

「大好きだわ。といっても、何でも甘い物は好きなの。」


荷物の片付けがすっかり済んだあと、窓辺の椅子に坐って、二人で砂糖漬けを食べた。

口に入れると、上質なラズベリーの香りが広がった。

ダイアナは、目をぎゅっとつぶり、「とっても美味しいわ」と言った。


ラズベリーの瓶は、いつの間にか すっかり空になっていた。

「こんなに美味しい砂糖漬け、あたし食べたことないわ。」

「私もだわ。」


私たちは、ずっとその空の瓶を眺めながら、長い間、いろいろな話をした。




私は、以前からダイアナが一人で使っていた二人用の部屋に入ってきたのだった。私は、彼女の新しいルームメイトとなったのだった。ダイアナは、私と同じ七歳であったが、学院に入学したのは、六歳のときだった。私よりも一年長く、ここにいるダイアナは、私に何でも教えてくれた。






もし、あのとき、ダイアナがいなかったら、私はどんなに寂しかっただろう。

あのラズベリーの砂糖漬けを、美味しいと思うことも、あの瓶を空にすることも、きっと無かった。

この十二年の年月は、こんなにも楽しいものではなかっただろう。





私はダイアナと一緒に、コンスタンボアーズの丘で、十九歳を迎えたのである。




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