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新しく住むことになったのは、前と同じ程度にぼろぼろのマンションの四階で、キッチン、トイレ、風呂、そして狭い部屋がふたつあるきりだ。ベランダからは高速道路の出入り口が見える。自動車がひっきりなしに行き交い、排気音や轍の音、人の声、ときおり悲鳴のようなものも聴こえ、騒々しい。入居初日からうんざりした。どうせここにも長くは無いだろうから辛抱だとタカを括った。この時、まさか十年以上もここに逼塞することになろうとは思いもよらなかった。
母の地元「だった」福井から、母の友人や知人が上京してきた。そのうちの一人の女友達と旧交を温め、家族ぐるみで親交をすることになった。胸裏では厭だったが、仕方が無い。
相手の家族は、父親、母親、長男、次男、長女の五人だった。僕ははじめて「父親」というのを見た。
「父親」はスキンヘッドでサングラスを掛け、厳しい顔をしていた。自分の家以外の「母親」というのもはじめて見た。髪が長く、頬がこけていて目が釣りあがり、怖い印象を抱いた。
長男に生まれつき障害があると知ったのはもっと後になってからのことである。僕よりひとつ年上で、背が高く、吃音で、何を言っているのかよく分からないことがしばしばあった。彼のお下がりの服をよく貰った。僕はそれを着て学校へ通い、よく同級生に嗤われた。奇妙な柄の服が多かったのだ。後年になって、彼と偶然に再会した。彼は障碍者枠で運搬業に就いていた。給料が尋常でないほど安いことと、「お、俺、一生結婚とか、出来ないよな」と言っていたのは覚えているが、それ以外は忘れた。
次男のケン坊は小学生の頃は可愛かったのだが、後に暴走族に入隊し、家出をして以来、姿を見ていない。家族も行方を知らない由。
長女のナナちゃんのことは保育園に通っていた頃から知っているが、後年に白血病を患い女子高校生のうちに亡くなった。