第十四章 きらめきひらめく
どれだけ眠っていたのだろうか?
気がつくと、奈津美はベッドの上にいた。右手には点滴が刺さっていて、まわりは淡い色の無機質なカーテンに仕切られている。どうやら病院のようだ。助かったんだと奈津美は思った。
「あんまり無茶しないでくれよ」
右から卓司の声が聞こえた。
「ああ、たくちゃん。私はどうなったの?」
声の方向へ目を向けると、卓司が心配そうな顔で奈津美の手を握っていた。
「ビルの屋上で倒れていたのを俺が発見した。なっちゃんの携帯が繋がったままだったから、一部始終は聞こえていた。携帯の発信位置を検索しながら、現場に到着できたよ」
奈津美の機転を卓司は褒めた後、握っていた手を離した。
「あかりさんは?」
「頭蓋骨骨折だったが、何とか助かりそうだ」
「よかった……。私たちを殴った犯人は?」
「もうどこにもいなかったよ」
「そう……」
それから奈津美は昨晩の出来事を、卓司に話した。
森宏は、十六歳から順也だけを見て美しく成長した。勉強も頑張って帝都大学に入り、その後も努力を重ねて順也を仕事面までもサポートし献身し続けた。順也が天才とすれば、宏も秀才だ。
しかし彼の性別ゆえ、いつまで経っても彼の愛は形になることはなく、どうもがいても恋の答えは出なかった。宏は苦しみながらも順也を愛しぬいて死のうとしたが、それさえも果たせず逆に順也を失った。そしてついに、彼の心は完全に破滅した。彼の心情に思いをはせると、とても切なかった。
長い話を聞き終えた卓司は奈津美に言った。
「なっちゃんの言ったとおり、森はこだわり、プライド、被害者意識で精神状態がズタズタになっていったんだね」
「……そうね。雪子に対する嫉妬とこだわり、それから雪子以上の美貌になっても順也の子供は作れずプライドは崩れ、挙句の果てに順也が真理と浮気しるに至って被害者意識をつのらせたんだろうね」
「そんな気がするよ。多分、森は矢田が死んだ後、杉田を殺した」
「え?」
「推測にすぎないけどさ、なっちゃんの話を聞いて思ったんだ。杉田真理は森に殴打された後、マンションから突き落とされたんじゃないか。そして、同じ手口でマイも殺そうとした。別に証拠はないけど、同一犯による殺人って殺し方は同じ場合がほとんどなんだよ」
「そうなんだ……。あ、たくちゃんの言っていた、殺人の動機も一致するわね」
「ああ、動機は色、金、怨恨って話だろ。恋するあまり矢田を恨み、その上に彼がアメリカに行ってしまうと、森は一人ではこのまま出世街道を走れる自信がなかったんだろうね」
そこへ、医師が看護師を伴って入って来た。卓司が席をはずすと、彼らは奈津美の血圧や脈拍などをチェックした。
「退院してもいいですよ」
医師がニコヤカに言って去った。若くて可愛らしい看護師が「もう四時半なので、今日はこのままゆっくり休んで明日帰りましょうか?」と奈津美に言った。私は半日以上も寝ていたんだと、奈津美は思った。
「はい」と奈津美が看護師に返事をすると、「それでは手続きをしておきます」とニッコリした。
「あの、風間あかりさんの病室はどちらですか? 私、彼女の遠い親戚なんです」と奈津美が訊くと、「そうなんですか。風間さんは、すぐお隣のお部屋です。さっき、お目ざめになられましたよ」と看護師は言って去った。
入れ替わるように、卓司が部屋に入って来た。
「ドクターから聞いたよ。おめでとう。退院の手続きや清算は俺がしておくよ。伯父さんや伯母さんには何も言ってないけど、どうする?」
卓司が枕元の丸椅子に腰かけて訊いた。
「いいわ。心配かけるだけだから」
ちょっとだけ考えてから奈津美が答えた。
「そうだな。まあ、何ともなかったからいいか」
「……私ね、あかりさんと話したいわ」
奈津美が白い病室の天井を見ながら言った。あかりは森の殺意を知っていて、ビルの屋上で会ったのだろうか。そうだとしたら、余りにも危険すぎる捨て身の戦法だ。奈津美がいなかったら死んでいたあかりの、真意を知りたいと思った。
卓司が「ああ、明日にでも会ってから帰ろう」と、うなずいた。明日の朝早く迎えに来ると言う卓司に、「三重まで帰るのは大変でしょ」と奈津美は自分のマンションの鍵を渡した。
消灯時刻の午後九時を過ぎても、奈津美は眠れなかった。夕方まで眠り続けたせいかも知れない。どれくらい時間が経っただろうか。隣の部屋の物音に気づいた。それはかすかだが、人の動いている気配がした。
奈津美は、そろそろと起き上がって部屋を出ると廊下に出た。病棟の廊下は薄暗かったが、右隣の部屋に「風間あかり」の名札を見つけた。奈津美が扉を開けようとすると、音もなく扉が開いてあかりが出てきた。
「ちっ」
小さな声をあげたあかりは、奈津美の手を引いて自分の病室に彼女を入れた。あかりは、昨日の服装を身に着けていたが、頭には白い包帯が巻かれていた。
「まいったわね」
あかりの部屋は個室だった。ベッドの脇には中身が半分残った点滴が、置いてあった。あかりが自分で勝手に抜いたのだろう。彼女はベッドの端に腰かけると、横に座るように奈津美を促した。
「あかりさん、大丈夫ですか」
消灯後の病室に、奈津美は小声でしゃべった。
「見ての通り大丈夫よ。こんな辛気臭い所から脱走しようと外に出たら、あなたがいたもんだからビックリよ」
あかりはそう言って小さくため息をついた。
「もう歩いてもいいんですか?」
奈津美は心配になって、あかりに尋ねた。
「歩けるから歩いてみた。自分の身体は自分が一番わかる」
それから二人は、少し沈黙した。奈津美が、あかりの死を賭けた今回の行動についての真意を尋ねようと思ったら、あかりの方が先に口を開いた。
「奈津美ってさ、鳴海社長を好きなんでしょ」
「え?」
奈津美は、自分の胸の内を見透かされたようでギクリとした。
「隠さなくていいわ。……鳴海さんはあなたに譲ってあげる」
あかりが、いつもの不敵な笑顔で奈津美に言った。
「どういうことですか?」
「私の仕事は終わったの。日光金属の資料をゼネラルメタルに渡したんだけど、データの羅列だけでは新素材が完成できないと判断されたわ」
「仕事が早いですね」
「ゼネラルメタル社は必死よ。私が渡した資料を六十人がかりで解析したらしいわ」
「すごいですね」
「でも考えてもみて。ゼネラルメタルも新素材を独力で完成できないと思っていたからこそ、矢田を引き抜こうとしていたのよ。ある程度、想定されていた結果よ」
「なるほど」
「研究データだけで新素材を造り上げる事なんて無理だわ。今後ゼネラルメタルは、この件から撤退することになると私はにらんでる」
「そうなんですか……」
「だから私の任務は近々終了。鳴海さんからも身を引こうと思う」
「そんな……」
「あなたは私に、鳴海さんを傷つけないでって頼んだじゃない」
あかりが微笑んで奈津美の目を見た。
「ええ、あかりさんは自分の仕事のためだけに鳴海さんを翻弄していましたから」
奈津美は、きっとあかりを見返した。
「私は奈津美が言ったように、最初は仕事目的で鳴海さんに近づいた。でも彼って、とてもいい人なのよ」
あかりは奈津美から目をそらすと、前を向いて言った。
「……」
「私にも、仕事抜きで男の人と付き合いたいと思うことだってあるのよ。生身の女ですから」
あかりの顔は微笑んでいたものの、今度は少し悲しそうに見えた。
「あかりさんは、私が尾行していたのを知っていましたか?」
奈津美は、あかりに引き込まれそうな気がしたので、敢えて話題を変えた。
「知っていたわ。最初は鳴海さんも私をつけていたけど、途中であきらめたみたいね」
「……知っていたから、私が見守っていたから、森さんに対してあんな危険で挑戦的な行動をとれたのですか?」
「まさか。森は決死の覚悟でいたようだけど、だからこそ彼から本音を引き出せると私は思った。あの後ね、私は森の身体を奪ってやろうと思っていたのよ」
「か、身体を?」
「男って射精しちゃうと変わるのよ。攻撃性がしぼんで、こちらになついてくる。女の格好をしていたって森は男。彼を犯して逝かせてやろうと思ってた。もう少しってところだったのに、奴は見事に我に返ったわね」
あかりが美しく女装した森を、あの場で催眠術にかけて抱く妖しい光景は、想像すらできなかった。だが、彼女は本気でそうしようとしていたらしい。あかりは、やっぱり魔女だと奈津美は思った。
「私の力もまだまだね。それに、まさか森がスタンガンまで持っていようとはね。あれを食らってボーとしたところを殴られちゃった」
あかりが、少しだけ悔しそうに唇をかんだ。
「あのー、男の人を魅了する力って何だと思いますか?」
思わず奈津美が、あかりに訊いた。彼女の底知れぬ魔力の秘密を、万分の一でも知りたかった。
「さあ、それがわかってたら苦労はないわ。一つだけ言えるのは、男って女を外見だけを見ているわけではない」
「そうなんですか?」
「若い頃の私は、どうせ男なんて女の容姿しか見ていないと思っていた。だから私は一生懸命、外見ばかり磨こうとしてきた」
「はい」
「でも水商売を続けているうちに、すぐに壁にぶつかったわ。それから売れっ子嬢の観察を始めたわ」
「へぇ」
「そうしたら、売れてるコは外見ばかりでないことに気づいた。いえ、それどころか売れっ子嬢には案外と美女が少ない。そこから、私は自分の考え方を転換した」
「どういう風にです?」
「それを一言で言うのは難しいし、答えはまだ持っていないわ。この世に絶対的な正解なんて、ないんじゃないかな。強いて言うとしたら、人間力をつけることかな?」
「人間力……」
「一緒にいて気持ちいい人になるというのが、一番近いかな……。さてと、私はそろそろ行くわ」
あかりがニヤリと笑うと、すっと立ち上がった。
「行くって、どこへ?」
「夜の街に帰るの。ここには酒もタバコも男もいなくて退屈だわ」
コートからニット帽を出してかぶると、ポケットから一万円札を十枚出して奈津美に握らせた。
「奈津美、ここの清算をお願いね」
あかりが奈津美に背を向けた。
「待って。私、あかりさんから教わりたい事が、まだまだたくさんあるの」
奈津美があかりの腕を取った。遠い祖先は血縁だったあかりとは、他人ではない。そして奈津美は、本心から彼女にいろいろ教わりたいと思った。
それに急に身を引かれたら勝也も、きっとショックを受けるとの心配もあった。
「困ったコね。何かあったらメールでもしてよ」
あかりが笑った。
「森さんに言った話、どうやって調べ上げたんですか?」
「昔ながら足で情報を稼ぐのは基本。私はキャバクラにもいたことあるし、夜の街って意外と狭いのよ。あとは盗聴器とハッキングね」
「……わかった。矢田さんや鳴海さんの携帯電話に仕掛けたんですね」
あかりは、彼らの携帯に対する盗聴器とハッキングをしていたのだと、奈津美は思った。
「アハハ、あとは自分で考えなさい。……ボヤボヤしてると私が鳴海さんをモノにしちゃうわよ」
あかりが笑って奈津美の腕を自分からそっと離した。
「さすがのマイ姐さんも、こんな身体ではしばらくは仕事もできないわ。暇があったら遊んであげる」
あかりが奈津美の頭を撫でると、手を小さく振って病室からすうっと音もなく出て行った。
それから奈津美は自分のベッドに戻ると、考えを巡らせた。
森は自分が被害者だと思っている。矢田が死んだのは、杉田真理やあかりさんのせいだと憎んだ。だから、彼女たちを殺そうと思った。
「そうだとすると、雪子さんが危なくないかしら」
奈津美の口から思わず言葉が出た。
雪子さんは、ここ数日誰かに見張られていると通報してきていたと、卓司が言っていた。時計を見ると、十一時を過ぎていた。
奈津美は病室から廊下に出て携帯を出すと、雪子に電話した。だが、誰も電話に出なかった。焦った奈津美は、思いつくと卓司に電話した。彼はすぐに電話に出た。
「どうした?」
卓司が言った。
「たくちゃん、雪子さんが危ないの。急いで私を連れて行って」
「無茶だよ。落ちつけよ」
「たくちゃんが無理なら一人で行く。雪子さんの家は運動公園の隣よ」
「わかったよ。すぐにそっちへ行くから、ちょっと待てよ」




