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4月25・26・27日

なぐさむる君もありとは思へどもなほ夕暮はものぞ悲しき(和泉式部)




今日は尾崎豊さんの命日だつた。ところで和泉式部は冷泉帝の皇子師宮に愛される幸福の絶頂でこんな歌を呟いた。この歌は人間存在の根源にある悲しみや孤独を見つめており、恐ろしいほどである。千年前の日本人は現代文学でも表現の難しい人間の根源を見つめてゐた。





池水は濁りににごり藤なみの影もうつらず雨ふりしきる(伊藤左千夫)




桜は終はつたけれど藤の花が咲いてゐる。と言つても私の住んでゐる大垣は藤はまだ咲いてゐない。春日井に仕事に出かけてゐる時に見かけた。左千夫は藤の名所亀戸天神でこの歌を詠んだ。後年、太宰治は遺書にこの歌を書いたが何を考えてゐたのか?





定住の家を持たねば朝に夜にシシリイの薔薇やマジョルカの花(斎藤史)




史の父・斎藤劉将軍は2・26事件に巻き込まれ、史自身、事実上の流罪として長野県に行かされ、二次大戦の後も東京に帰ることを潔しとしなかつた。しかしそんな宿命をも軽やかに美しく詠み下す強さを史は持ってゐた。彼女の心の中には美しい花が咲き誇つてゐた。

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