4月16・17・18日
桜花命いっぱいに咲くからに命をかけて我眺めたり(岡本かの子)
かの子は小説、歌、仏教研究などあらゆることにエネルギーを注いだ。夫は岡本一平。息子は岡本太郎。桜が命いつぱいに咲いてゐるといふのは凡人でも抱ける感想だが、「私はそれを命がけで見る」と言ひ切つてしまふとはやはり天才としか言ひやうがない。その言葉に掛け値がなく、凄みが漂つてゐる。流石である。
この世には忘れぬ春の面影よ朧月夜の花の光に(式子内親王)
誰にも忘れられぬ春の思ひ出がある。恋の思ひ出かもしれない。家族の思ひ出かもしれない。仕事の思ひ出かもしれない。それは朧月夜の中に光る桜の花と共にあると式子内親王は詠はれた。誰の心にもそんな思い出がある。そのことが愛しくて、哀しい。
幾億の命の果てに生まれたる二つの心そと並びけり(柳原白蓮)
私たちは幾億年の昔に生まれた命からずつと続いてゐるバトンを受け取つてこの世にゐる。さうして誰かと出会ひ、絆や縁を感じる。それは奇跡的なことである。柳原白蓮は柳原伯爵家に生まれ、富豪伊藤伝右衛門と結婚し、筑紫の女王と讃へられたが若い東大生宮崎龍介と駆け落ちし、愛を貫いた。愛、絆、奇跡を信じたのである。これを書いてゐる私の心と読んで下さるあなたの心がそと並ぶことを思ふと涙があふれる。