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8月4・5・6日
子を殴ちしながき一瞬天の蝉(秋元不死男)
今年はなかなか蝉が鳴かないなと思つてゐたが、今はうるさいぐらいに鳴いてゐる。仕事で春日井に行つた時など怖いぐらいだつた。また電車の中には若い親と小さい子供の一家が目立つ。満員電車に苛立つ子供。疲れて不機嫌になつてゐる親。どちらの気持ちもちよつとずつ分かる。私には子供はゐないが。
朝顔が降る遠国の無人の街(金子兜太)
俳句は歌ほどの広がりを持てないのではないか?といふ私の誤解を解いてくれたのは塚本邦雄翁の「百句燦燦」であつた。俳句でも象徴詩の高みに達したものがある。文学の旅は果てがなく、私はこの先の世界にワクワクしてゐる。
広島や卵食ふ時口開ける(西東三鬼)
66回目の原爆忌。過ちは繰り返さないといふ誓ひはむなしく、大震災を引き金に原子力発電所の事故が起こつてしまつた。西東三鬼は破壊された広島で恐怖のため沈黙し、ゆで卵を食べる時だけ口を小さく開けた。恐怖は破壊を目にしたことと放射能汚染の両方なのであらう。この句のやうなことは本当は二度とあつてはならなかつた。