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7月4・5・6日
「たった今全部捨ててもいいけれどあたしぼっちの女でも好き?」(渡邊志保)
時に全てが煩はしくなる。全てを捨てたくなる。でもそんな風に全部を捨てても私を愛してくれるか?と掲出歌は問ひかける。それはぜいたくでわがままで、でも切ない問ひかけである。誰しもが心の奥底に隠してゐる問ひかけである。
世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋も果てしなければ(蝉丸)
世の中はだうにもかうにもどこまで行つても同じである。宮殿に住む幸福も藁の小屋に住む不幸も上も下も際限はないのだから。王朝の歌人の呟きは現代に生きる私たちにも何かを語りかける。
阿字の子が阿字のふるさとたちいでてまたたち帰る阿字のふるさと(御詠歌)
阿字とは光。そして大日如来のこと。例へ宗教を信じてゐやうとゐまいと私たちの全てが神の子、仏の子であり、大いなる命の一部であり、いつか旅を終へ、ふるさとに帰る。唱歌の「ふるさと」が描くのも私たちがいつか帰る光の世界である。弘法大師の教へである。