5月28・29・30・31日
かそかなるきのふの憂ひ尽きざるも原いちめんに漂ふ紫紺(春日井建)
雨、雨。でも雨にかきつばたは映える。掲出歌の一句一句を注意深く見て欲しい。「か・き・つ・ば・た」といふ言葉遊びになってゐる。日本人はかういふ言葉遊びで生きる切なさを慰めてきた。遊びは人生といふ悲しみの海を渡る船である。
夢さめし神はもながく裾曳きてそのいとし子の子となりたまふ(水原紫苑)
ひどい雨のうへ、走る車にひどく水をひつかけられた。そんツイてない日はいつそ、空想の美しい世界を築き上げる歌人に親しむ方がいいかもしれない。水原紫苑さんの歌の意味はよく分からない。ただ美しい言葉を楽しむのである。
くれなゐのちしほのまふり山の端に日の入る時の空にぞありける(源実朝)
「ちしほのまふり」とは千回も染めた鮮やかな布のことだが「くれなゐ」といふ言葉は血を連想させる。まして右大臣就任の幸福の絶頂に、母親に暗殺された悲劇の天才の絶唱であり、異様な衝撃を読むものに与へる。今日は梅雨の晴れ間だつた。鮮やかなくれなゐの夕焼け。
遺棄死体数百といひ数千といふ命をふたつ持ちしもの無し(土岐善麿)
政治に怒りを感じる。まだ行方不明の方、見つかってゐない亡骸が何千とあるのに中央政界は権力闘争に明け暮れ、政党政治は崩壊してゐる。掲出歌を第二次大戦中に発表した土岐善麿は軍により文学者生命を抹殺された。しかし怒りの歌は歴史の中から抹殺することは出来ない。