3秘密共有中
俺と楓は、高岡駅のすぐ南――線路の気配がまだ背中に残る距離にあるココスで飯を食うことになった。
駅前の駐輪場にチャリを押し込み、金属のスタンドをガチャンと立てた瞬間、汗が背中から「はい次」とでも言うみたいに流れ落ちる。
俺はふっと空を見上げる。
……俺、今、デートしてるんじゃないか?
空はピーカン。雲が仕事してない。陽射しが真っ直ぐで、目を細めたら瞼の裏が赤くなるやつだ。夏のの北陸は、容赦って言葉を知らない。
楓は、うちの高校じゃかなり上のほうのカーストにいる存在だと思う。クラスの空気がちょっとザワつくタイプ。どこにいても視線が寄る。本人はそれを自覚してるのかしてないのか、いつもあの調子だけど。
一方、俺は……どの位置だ?
授業が終わったら部活のハンドボール。体育館の床の匂いと、ボールのゴムが擦れる音と、誰かの掛け声に一日を溶かす。練習がない日は速攻で家に帰って、愛猫の小太郎を撫でて、愛する妹の顔を拝むのが日課。学校の流行り?知らん。話題?知らん。俺の頭の中のトレンドは「妹の体調」と「猫の機嫌」だ。
代わりに妹の友達の話、妹の好きな音楽、妹の好きなラノベの感想交換。ついでに痰の絡み方をチェックして、咳の回数を数えて、喉の音を耳で拾う。
……あれ?俺、ヤバくね?
「葵ぃー!何してんの!早くっ!ハンバーグ食べるぞぉー!」
声が、暑さの膜を突き破って飛んできた。見れば楓が店の入口でドアに手を掛け、手招きしてる。あの動きだけで場の空気が明るくなるの、本当にずるい。
「おー!今行くー!」
俺が駆け寄ると、楓はもう勝ち確みたいな顔で中へ入っていった。
自動ドアが開いた瞬間、ひんやりした冷気が顔にぶつかる。エアコンの風って、こういうときだけ神。外の湿気でベタついてた肌が、ちょっとだけ救われる。店内は昼どき前の微妙な時間で、満席じゃないけど、それなりに人の気配がある。ファミレス特有の匂い――焼けた肉とソースと、揚げ物の油と、甘いドリンクバーの香りが混ざったやつ。
楓はパタパタと軽い足音を立てながら、レジのほうへ手を振った。
「こんにちはー!」
その声に、レジ付近にいた同級生が勢いよく振り向く。
「楓!どしたの!? なんで後ろに葵くん居るの!? なんで!?」
ココスの制服――ブラウンのエプロンを揺らしながら驚いてるのは、普通科の越中さやか。あだ名は“エッチュウ”。楓がプロレスラーの越中詩郎から取ったらしい。
不憫である。
「エッチュウ!よっ!高岡の駐輪場に落ちてたから拾ったのっ! ついでにご飯食べよぜっ!ってナンパしたの。2人、空いてるでしょー? 奥の席座るねーん♪」
楓はそう言い切って、もう案内されたみたいに奥へ奥へと進んでいく。店員の動線とか客の流れとか、そういうの全部無視して「私は私のルートで行く」って背中だ。
俺は捨て猫かっ!
それに“ナンパ”とか……調子狂う。あいつ、言葉の選び方が毎回ギリギリで、ギリギリのくせに笑って許される顔してる。
「葵くん、珍しいね。しかも楓とデートなんて。どしたの!?」
エッチュウは脇をパタパタしながら、面白いものを見つけた子どもみたいに目を輝かせてくる。こっちは汗と自意識で瀕死なんだが。
「どうしたもこうしたも、知らねぇよ。交換条件で飯を食うことになったんだよ」
嘘は言ってない。自転車の件は言わなきゃいいだけだ。言わなきゃ、俺のプライドは守られる。
「ええー!すごーい!ほらっ!奥の席っ!カップル席だよっ!イケイケーぃ!」
エッチュウがグイグイ背中を押してくる。制服のエプロンがゆらゆら揺れて、接客してるのか煽ってるのか分からんテンションで誘導される。俺の足取りが鈍いの、完全に分かってて押してる。
奥の席――ソファが向かい合ってる、妙に落ち着かない配置。楓はそこに先に座って、パンパンと座面を叩いた。犬に「おすわり」させるやつの動きだ。
「ほーれ?早く葵!早く食べて家行くぞー?」
「……お前、言い方ってもんが――」
「えっ!家行くの!?2人とも!?どっちの!?」
エッチュウがまた食いつく。めんどくせぇな、こいつ。仕事戻れ。オーダー取りに行け。水でも持って来い。
「そりゃ私が香椎家に行くのよ。用があってねん♪」
楓がニコニコしながら言う。語尾が軽いのに、内容が重い。俺の心臓だけが先に反応して、変なところで跳ねる。
「別に俺の家に用はねぇだろ」
「は?言うよ?自転車の……」
「すいませんっ!」
俺は楓の言葉を終わらせる前に被せた。反射だ。生存本能だ。ここで“自転車を取りに自転車で来た話”が広がったら、俺の人生が終わる。
やめてくれ。俺は頭が良くて、スポーツ万能。ハンドボール次期キャプテン!(たぶん)だ。余計な噂は流すな。青春の墓穴を掘るな。
「なに!? あんたら、もう秘密共有してんの!?」
エッチュウが嬉しそうに言う。“秘密共有”って言葉、やめろ。
「いいからお前仕事戻れよっ!話がややこしくなるから。メニュー早く持ってこいよ。選べねぇじゃんかよ」
俺が勢いで言い放つと、エッチュウは一瞬で顔を冷ます。
「は? うちタブレットだけど? ついでにメニュー立ててあるけど? あんたファミレス行った事ないの?」
テーブルの端に立ててあるメニューと、中央に置かれたタブレットが俺を見ている。いや、嘘だ。見てない。でも見られてる気がする。時代遅れの男を見る目ってこういうやつ。
エッチュウの目の奥は、確実に俺を笑ってた。絶対に。
「う、うるせぇよ……仕方ねぇだろ。部活で忙しいんだから」
言い訳が弱いのは分かってる。自分でも分かってる。けど、ここで負けたら俺の“13位”が泣く。
「あんた、ほんとに行った事ないの?」
エッチュウの顔がニタニタに変わっていく。アハ体験みたいに、ゆっくりと「こいつ、そういうやつなんだ」って理解されていくのが分かる。やめろ。理解するな。世界に共有するな。
「家で食う方が美味いの!猫と一緒にいたいの!早く行けっ!」
最後、ほぼ本音が漏れた。俺の中の正直が、怒鳴り声の形で飛び出した。
「はいー!お客様2名様でーす♪」
エッチュウは急に接客スマイルを作って、明るい声で言った。スイッチの切り替えがプロすぎる。怖い。人間って怖い。
あー……めんどくせぇ……。
楓はもうタブレットを手に取って、指で画面をスイスイ滑らせている。楽しそうに。腹減った顔で。こいつは今、この状況すらイベントにしてる。
俺はソファにもたれて、冷気の中でようやく息を整えた。
外はピーカン。
中は涼しい。
俺の頭は――まだ熱い。
◇
「でー?妹さん。体調どう?ねむちゃん?だっけ?」
楓は席に着くなり、もう勝ち確みたいな顔で言った。さっきまでタブレットを指でスイスイ滑らせてたくせに、ドリンクバー往復まで終えている。メロンソーダの氷がカランと鳴って、ストローの先が泡に沈んだ。
何故楓が俺の妹を知っているかというと。
俺は妹の調子が悪いと知ると、すぐに早退をする。部活も勉強もどうだっていい。体育館の床より、テストの点より、家の空気の方が大事だ。
俺は妹を失うのだけは絶対に嫌だ。
俺が生きる道はあいつが作ってくれたからだ。
正直あいつがいない人生は考えられない。
「あー。それが、ここ1か月?か2か月。調子良いんだよ。普通だよ。まるで。」
と、言いながら、俺は無意識に指先でグラスの水滴を拭った。普通って言葉が、口の中でやけに軽くて頼りない。
「へー。良かったね。会えるー?家に行ったら。」
楓はメロンソーダを啜る。炭酸が喉を滑る音がやけに気持ちよさそうで、こっちの緊張まで少しだけ薄まる。
「あー。最近氷見に友達ができてさ。確か今日は遊んでる。」
「えー?それって凄い良くなったって事なんじゃない?」
俺の妹のことなのに、何故か楓の目がキラキラしている。会ったこともないくせに。…いや、こういうやつなんだよな。嬉しい話があると、自分のことみたいに喜ぶ。
「いや。医者や支援学校の話だと、成長段階の一時的な体調の回復かもしれないって言ってるし、そうじゃないかもしれないって言ってる。誰もわからんのよ。」
言い切った瞬間、店内のざわめきが一段遠くなった気がした。ファミレスのBGMが妙に明るい。
「んー。そっか。まだまだ油断は禁物ってやつか。なんかできる事あったら言って?私直接関係無いけど。葵のお弁当くらいなら作れるよ?」
は?作れるものなら作れっ!いやっ!作ってくださいっ!女子のお弁当食べたいです!
「いいよ。母さんが作ってくれるし。」
何故断ったっ!!葵っ!!
「葵ー!そこは”もじもじ”しながら『い、い、いいの?お、俺で?』だろぉー?童貞かよ。」
その理論だと”もじもじ”してる方が童貞だろ!
「あ。来た来たハンバーグっ!」
そんな話をしてると、電動の配膳マシーンが俺たちの席の横でスッ…と止まった。足音もなく、ただ淡々と。機械の小さな電子音だけが「到着」を主張する。
嘘だろ?今こんなんなってんの!?
本当に未来じゃねーかよ……
「葵ー。口が空いてるぞー?そんなに新鮮かー?この光景ー?」
楓はニタニタしながら俺を見て言う。ストローを咥えたまま、目だけで煽ってくるのが腹立つ。
「い、いや?これくらい普通だろ?」
何故見栄を張るのだ!!お前はっ!
「はいはい。可愛いねー。葵くんはー。そんなところが女子にモテるんだろーねー。」
俺がいつ女子にモテるんだ。そんな話俺は聞いたことねぇぞ。今すぐ俺のファンを連れてこい。さぁ!
「葵くんのチキンステーキお待たせしましたーん♪」
エッチュウが呼んでもいないのに、チキンステーキを持って俺たちのテーブルに近づく。皿から立つ湯気と、ソースの匂いが一瞬で鼻を殴った。腹が反射で鳴きそうになる。
「おい。お前が来たら配膳マシーンの意味ねぇだろ。俺をおちょくりに来ただけだろっ!」
「バレた!?それより、チキン熱いからな?フーフーしてあげろよ?楓は猫舌だからな?いいか?」
何故食べさせる前提の会話をしている……
「じゃぁ私のハンバーグ食べる?葵は猫舌?フーフーしてあげよっか?」
と言いながら楓はもうフーフーしている。口元がちょっとだけすぼまって、湯気がふわっと散る。…それ食べたい。食べさせて。今すぐ!!
「いらねぇよ。自分で食えよ。」
何故断るっ!!葵っ!死ねっ!お前死ねっ!
「素直じゃないなー!あははは!」
楓はフーフーしたハンバーグを自分の口に運んでしまった。ソースの甘い匂いが残って、俺の負けだけがテーブルの上に転がったままだ。




