1馬鹿が尊い
俺の妹は超絶馬鹿である。
ついでに障害者だ。
……って、こういう言い方をすると、初対面の奴らは眉をひそめる。分かってる。分かってるから先に言っとく。
妹のことを見下してるわけじゃない。
障害者って言葉に、やたら重たいイメージを乗せたがる人間がいるけど、あいつの場合は――声が出せないってだけだ。
それだけ、のくせに。
それだけ、だからこそ。
俺の世界の中心にいる。
少し前は危なかった。
痰が肺に入って、何度も死にかけた。病院の白い天井、消毒の匂い、夜中の静けさ。モニターの音がやけに大きく聞こえるあの感じ。
あの頃の記憶は、俺の喉の奥にもまだ引っかかってる。
今は普通の女の子だ。たぶん。
……いや。まだ油断はするな。
あいつは成長期だ。
身体が変わる。喉の形も、呼吸の癖も、痰の出方も、全部“昨日と同じ”じゃなくなる。ちょっとした変化で、また詰まる体質に戻る可能性だってゼロじゃない。
俺はそういうのを、可愛いとか尊いとか、軽い言葉で片付けたくない。
これは、あいつが嫁に行く――もしくは婿を貰うまで、守ってやらなきゃならない。
守るってのは、格好つけじゃない。
寝る前に水を飲ませるとか、咳の音に耳を立てるとか、季節の変わり目に咳が増えたら病院の予定を先に押さえるとか。そういう、地味で面倒で、でも絶対に必要なやつだ。
そうそう。バカってのは、ここだ。
妄想癖が激しいところ。頭の中で勝手に物語を始めて、勝手に感動して、勝手に泣いてるところ。
ADHDなところ。思いついたら体が先に動いて、気づいたら“事件”が起きてるところ。
テンション上がりすぎて椅子から転げ落ちるところ。
完璧な妹だ。
頼むから、このままで居てくれ。
成長するな。
――いや、成長はしていい。生きてる証拠だ。
でも、勝手に遠くに行くな。俺の手の届かないところへ、いきなり行くな。
ついでに俺の好きな子も超絶やばい。
俺は高校二年で、その子は妹の友達。
なんと中学一年。
犯罪?
そんなの言わせねぇよ。
俺の身長は179センチ。
で、その子は中一なのに170センチ近い身長だ。
目線を合わせるのに、少し首を曲げるだけで済む。
妹より一つ年下なのに、超ナイスバディ。……いや、言い方は悪いな。
でも、そうとしか言えない。背筋がすっと通ってて、歩き方が妙に堂々としてる。制服着てても“隠せてない”タイプ。
そして顔もとてつもないスペックである。目鼻立ちが整いすぎてて、見てるとこっちが勝手に姿勢を正す。
ついでに、オッドアイ。
チート過ぎるだろ?
ただ。
中身がとんでもねぇ。
動物病院に犬を忘れる。
いや、嘘みたいな話だろ?でも本当なんだよ。診察券だけ握りしめて診察室に入って、「……あれ?」って顔で固まって、外に戻って「家に犬忘れてきちゃった!」
ヤバすぎる。
俺の猫にLGBTQ的な心配。
真顔で「この子、男の子?女の子?あ。今の時代LGBTQとかあるしね。どっちでもいいよね?」
猫にLGBTQはねぇっ!
牛と豚の味がわからない。
羊と山羊の違いがわからない。
完璧だ。
妹は俺のものだが、その子はまだ俺のものではない。
俺が言いたいのは、責任の範囲の話だ。守れる距離にいるかどうか。手を伸ばせば届くかどうか。
今の俺には、妹だけで手いっぱいだ。だからこそ、あの子に対しては“欲しい”って言葉を軽く吐きたくない。
俺が大学に入って、その子が高校生になったら――別にいいだろ?告白くらいしても。
世間の顔色より、順序ってもんがある。
それまでに俺は、頼れる兄ちゃんくらいの存在にならねぇと。
ガキの憧れで終わらせたくない。
口だけの優しさで近づく男になりたくない。
勉強もスポーツも、俺は手を抜かない。
中途半端が一番ダサい。
愛する奴のためにも、完璧にならねぇといけねぇのよ。
ちなみに俺はうっかり自転車を高岡駅に忘れて、家に帰ってきてしまった。
帰宅して玄関で靴を脱いだ瞬間に、背中を氷水で殴られたみたいに思い出した。
「……俺のチャリ、駅だ」
母ちゃんの自転車を借りて、駅までかっ飛ばしてる最中だ。
外は真夏の北陸。
空気が重い。湿気が肌にまとわりつく。
信号待ちの数十秒で、汗が首筋をつたってシャツの中に消える。息を吸うだけで、肺がぬるくなる。
なのに、風だけは容赦なく生温い。
追い風か向かい風かも分かんねぇ中途半端なやつが、耳元で「頑張れよ」って笑ってる。
俺はハンドルを握り直して、ペダルを踏み抜いた。
太ももが熱い。心臓がうるさい。
それでも回す。回す。回す。
「うおぉぉぉ!! 夏の北陸は熱いっ!!」
叫んだ声が、湿った空気に飲まれていく。
――俺の頭も、同じくらい熱い。




