04.エミリー・ガルシア
イヴァンが菜園で土の恵みを感じていた頃、セントラル・オービタルの中央区画に位置する、最新鋭のデジタル・アーチェリー場では、エミリー・ガルシアがその研ぎ澄まされた集中力を発揮していた。ここは、高性能なホログラム技術を用いた的が様々な距離や速度で出現する、一般市民にも開放された公共施設だ。
内部は、静かで洗練された空間が広がっていた。数人の利用者たちが、それぞれ自分のレーンで弓を引き絞っている。エミリーは、動きやすいシンプルなトレーニングウェア姿で、静かに自身のレーンに立っていた。彼女の白い肌と、普段からあまり感情を表に出さない冷静な表情は、この静謐な空間によく溶け込んでいた。
彼女は、標準的な競技用弓を構え、深く息を吐いた。ホログラムの的が、彼女の視線の先に現れる。それは、不規則な動きをする小さな的に加え、突然方向を変える風、わずかな気圧の変化といった、現実の射撃環境をシミュレートする複雑な要素も表示される。
エミリーの瞳は、その的と、それを阻む全ての要素に集中していた。彼女の目的は、百発百中の狙撃能力を試すことだけではない。「完璧な軌跡」を描くこと。矢が的に当たる瞬間の「音」、そのわずかなズレすら、彼女にとっては許されない「不完全」な音だ。
「シュッ」
矢が放たれると、空気抵抗を切り裂く微かな音を立てて、ホログラムの的の中心へと吸い込まれていく。デジタル表示されるスコアは、常に満点を刻んでいた。その静かで研ぎ澄まされた集中力は、任務中と全く同じでありながら、そこには命を奪うための冷徹さはなく、ただ純粋なまでの美しさの追求があった。
「また完璧だね、エミリーさん。相変わらず見事な腕前だ」
背後から、馴染みのある声がした。振り返ると、そこにいたのは、このアーチェリー場でよく顔を合わせるベテランの競技者、リオンだった。彼は顔に深い皺を刻んだ初老の男性で、いつもエミリーの練習を感心したように見守っている。
「リオンさん、こんにちは」
エミリーは、静かに挨拶を返した。彼女の表情はほとんど変わらないが、その声にはわずかな親しみが感じられた。
「いやはや、僕らが何年かけても到達できない領域だよ。君は本当に『見えている』んだろうな、矢の軌道も、的のわずかな振動も」
リオンは感嘆の息を漏らした。彼自身も長年アーチェリーを嗜んでいるが、エミリーの精度はまさに「異次元」だった。
エミリーは、淡々と答えた。
「狙撃と同じです。ターゲットの動き、風の流れ、わずかな光の屈折。全ての情報を読み取り、最適な軌道を計算するだけです」
「計算、か。僕らにとっては、それはもう『才能』ってやつだがね。それにしても、君ほどの腕があれば、プロの競技者になれるんじゃないか?スカウトの話も来ているだろう?」
リオンは興味深そうに尋ねた。
エミリーは、軽く首を横に振った。
「私は、この技術を競技のために磨いているわけではありません」
彼女にとって、ここでのアーチェリーは、任務における狙撃の練習とは少し意味合いが異なっていた。
任務では「確実に排除する」ことが目的だが、ここでは「完璧な軌跡を描くこと」そのものが目的だった。命を奪うためではない、純粋な精度の追求。それは、彼女の内側に秘められた、美意識と集中力の極致だった。矢が放たれ、完璧に的に吸い込まれるその瞬間、彼女の心は限りなく静謐になる。その感覚が、彼女にとっての安らぎだった。
「なるほどね。何にせよ、君の集中力と正確性にはいつも驚かされるよ。見ていて清々しい。ところで、最近は忙しそうだったが、珍しく休日かね?」
リオンが尋ねた。
「はい。任務の合間の休暇です」
「それは良かった。たまにはゆっくり休むのも大切だからね。君たちGRSIの若い人たちは、いつも大変そうだから」
リオンはそう言って、自身の弓を手にした。
「じゃあ、僕はそろそろ練習を始めるよ。君のような天才の後だと、自分の未熟さが身にしみるがね」
「頑張ってください」
エミリーは軽く会釈し、再び自分の的へと向き直った。リオンは穏やかに笑い、隣のブースへと向かっていった。
エミリーは再び弓を構えた。彼女の瞳は、的のさらに奥、無限に広がる仮想空間の、一点を見据えているかのようだった。彼女が目指すのは、ただ的を射抜くことではない。矢が放たれる瞬間、そして的に到達するまでの、その全てのプロセスにおいて、一切の無駄も誤差もない「完璧な軌跡」を描くこと。それは、まるで宇宙を漂う粒子が、定められた物理法則に従って最も美しい曲線を描くように、精緻で、研ぎ澄まされた美しさがあった。彼女は淡々と矢を放ち続け、その静かな情熱と、内に秘めた美意識が、このデジタル・アーチェリー場に、冷たい輝きを放っていた。
彼女は、この休日の時間を、自分自身と向き合い、内なる平穏を追求するために使っていたのだ。そして、その研ぎ澄まされた感覚は、次の任務においても、彼女の「百発百中」の精度を支える糧となることだろう。




