03.イヴァン・ロストフ
ミリアムがアンティークショップでオルゴールとの出会いを果たした頃、セントラル・オービタルの別の区画、陽光が降り注ぐ地上にある公共菜園では、イヴァン・ロストフが黙々と作業に打ち込んでいた。
ここは、セントラル・オービタル市民なら誰でも利用できる、豊かな緑に覆われた場所だ。巨大な透明ドームに覆われたその菜園では、様々な種類の野菜や、銀河各地の珍しい植物が栽培されており、都市の喧騒の中に、まるで故郷の畑のような穏やかな空気が流れている。土の匂い、植物の生命力に満ちた香りが、漂っていた。
イヴァンは、いつも身につけているトレーニングウェア姿で、腕まくりをして作業に没頭していた。彼の屈強な肉体と、普段の任務で見せる豪快な格闘スタイルからは想像もつかないほど、その手つきは驚くほど繊細だった。彼は小さなスコップを使い、土を丁寧に耕し、手のひらに乗るほど小さな苗を、そっと土の中に植え付けていく。普段の荒々しい彼からは想像もつかない、集中した真剣な表情がそこにあった。
イヴァンがこの菜園で植物を育て始めたのは、それほど前のことではない。きっかけは、惑星アクエリアでの任務だった。
あの時、ミリアムが「空間認識能力」を使ってルミナス・ホエールたちと心を通わせ、彼らが発する「音」を聞き取っていた姿が、イヴァンの脳裏に焼き付いている。そして、ホエールが彼らを守るために命を落とし、最後には海の守護者とまで共鳴して敵を排除した光景は、彼の中で何かが変わる決定的な瞬間だった。
それまでイヴァンにとって、植物は「食料」か「景色」でしかなかった。だが、ミリアムが「命の音」を聞く姿を見た後、彼の五感は、意識せずとも研ぎ澄まされていった。土に触れる感覚、植物の葉脈を走る水の流れ、微かな光合成の「音」。
もちろん、ミリアムのように万物の「音」を聞き取れるわけではないが、彼は自身の掌から、植物が必死に生きようとする「息吹」のようなものを感じ取れるようになった気がしていた。
「よし、こいつはもう少し水が必要だな」
イヴァンは、小さなトマトの苗にそっとジョウロで水をやった。水が土に染み込む「音」が、彼の耳にはいつもよりはっきりと聞こえた。
彼の太い指は、精密機械のように正確に土を均し、微細な種を蒔く。土の「匂い」、植物が成長する「音」を、ミリアムのように聞けるわけではないが、彼は手のひらから伝わる生命の息吹を確かに感じ取っていた。
菜園の一角には、彼が丹精込めて育てているレタス畑があった。青々とした葉が、太陽の光を浴びて生き生きと輝いている。今日の夕食でチームの皆に振る舞うため、彼はそのレタスを収穫するつもりだった。
「これなら、みんなも喜んでくれるだろ」
イヴァンは、最高の出来栄えのレタスを丁寧に選び、根元からそっと引き抜いた。土から抜ける時の「プツン」という小気味良い音と、採れたての野菜が放つ清々しい香りが、彼の鼻腔をくすぐる。
収穫を終えたイヴァンは、菜園の休憩スペースで、持参した水筒の水を一気に飲み干した。全身に心地よい疲労感が広がる。彼の表情は、任務の時のような厳しさはなく、穏やかな満足感に満ちていた。
GRSIのエージェントとして、彼は常に力を求め、戦いの中で生きてきた。だが、この菜園での時間は、彼に新たな「力」を与えてくれていた。それは、他者を守るための力ではなく、自らの手で命を育み、その成長を見守る喜び。そして、その恵みを仲間と分かち合う、温かい心の力だった。
ミリアムの能力に触発されて始まったこの趣味は、イヴァンの中に新たな一面を開花させていた。彼は、この収穫したばかりの新鮮な野菜を使って、今夜、チームの皆を笑顔にすることを心待ちにしていた。




