02.ミリアム・ホロウェイ
カケルが清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、瞑想を終えた頃、セントラル・オービタルの別の場所では、ミリアムが活動を始めていた。
彼女が向かったのは、オービタルの「ノスタルジア・ストリート」と呼ばれる一角だ。そこは、最新のショップが並ぶメインストリートから少し離れた場所にある、古びた建物が立ち並ぶエリアだった。GRSI本部の隊員宿舎からもほど近いが、観光客の足はあまり向かない。しかし、ミリアムにとっては、一つ一つの「音」に歴史が宿る、興味深い場所だった。
ミリアムは、カフェの開店準備の賑やかな音、朝の通勤ラッシュの足音、オービタルを行き交う様々な船のエンジン音を心地よさそうに浴びながら、その通りを歩いていた。彼女の「空間認識能力」は、音を通じてこの都市のあらゆる情報を彼女の脳裏に描き出す。まるで、街全体が巨大なオーケストラのようで、その一つ一つの「音」が、それぞれの物語を奏でているように彼女には聞こえるのだ。
あるパン屋からは、焼き立てのパンがオーブンから取り出される「チーン」という音と、香ばしい「焼ける音」が聞こえてくる。隣の花屋からは、花瓶に水が注がれる「チャプチャプ」という音と、色とりどりの花が持つ「生命の輝きの音」が聞こえてくるようだ。行き交う人々の話し声も、ミリアムには個々の声のトーンやリズムから、その人の感情や今日の気分さえも感じ取れる。
そんな数えきれないほどの「音」の中で、ふと、彼女の耳に、他の人々には聞こえない古く、しかし温かい「オルゴールのような音」が聞こえてきた。それは、まるで遠い過去から、ひっそりと語りかけるような音だった。その音は、この通りの奥にある、古びたアンティークショップの店内から聞こえてくるようだ。
ミリアムは、そのかすかな、しかし魅力的な「音」に導かれるように、その店へと足を進めた。店先のショーウィンドウには、宇宙各地から集められたであろう、様々な時代の骨董品や工芸品が並べられている。ミリアムには、それら一つ一つの品が持つ「時間の音」や「人々の想いの音」が、微かに聞こえるようだった。
「いらっしゃいませ、お嬢さん。何かお探しですか?」
店の入り口で、白髪の老店主が優しく声をかけてきた。彼の声には、長年品物と向き合ってきたであろう、落ち着いた「熟練の音」が聞こえる。
ミリアムは、店主の言葉に軽く会釈し、店内へと足を踏み入れた。店内は薄暗く、埃っぽい匂いが混じり合っていたが、ミリアムには、その店全体が発する「静かに眠る音」の中に、確かな「息吹の音」が混じっているのが聞こえた。彼女は、あのオルゴールの「音」を辿り、棚と棚の間を縫うように進んでいく。
そして、店の奥、年代物のショーケースの隅に、それはあった。
小さな木製のオルゴール。その蓋は閉ざされ、装飾もほとんど剥がれ落ちているが、ミリアムには、そのオルゴールから、途切れることなく「温かいメロディの音」が聞こえていた。それは、彼女が外で聞き取った「オルゴールのような音」そのものだった。
ミリアムは、店主の許可を得て、そのオルゴールを両手にそっと抱き上げた。オルゴールは想像以上に軽く、冷たかった。しかし、彼女の耳には、その冷たい金属の奥から、まるで脈打つかのように「生きている音」が聞こえる。それは、何十年もの間、誰かの大切な思い出をその音の中に閉じ込めてきた、時間の「音」だった。
彼女は、オルゴールの側面にある小さなネジを、そっと巻いてみた。ギギギ、と軋むような「古い歯車の音」がした後、オルゴールは、店内の静寂を破って、かすかに、しかし確かに、メロディを奏で始めた。その音は、外で聞こえたものよりもずっと鮮明で、優しく、そしてどこか懐かしい響きを持っていた。
それは、彼女が普段耳にする「予測可能な音」や「機能的な音」とは全く異なる、感情が込められた「音」だった。このオルゴールは、かつてこのオービタルで暮らした誰かの、大切な思い出の品だったのだろう。彼女はそのメロディに耳を澄ませ、その持ち主の喜びや悲しみ、温かい記憶を感じ取る。
「この音……」
ミリアムは、オルゴールを胸に抱きしめ、目を閉じた。
「とても、優しい音……」
ミリアムは、この「音」をチームの皆に聞かせたいと思った。このオルゴールが持つ物語を、他の皆にも感じてもらいたいと願った。それは、彼女にとって、任務とは全く異なる、純粋な喜びと発見の瞬間だった。
彼女はオルゴールを丁寧に抱え、代金を支払って店を後にした。セントラル・オービタルの喧騒の中に隠された、心温まる秘密。それを発見したことで、彼女の休日もまた、特別なものになったのだ。




