01.カケル・カツラギ
GRSI本部があるセントラル・オービタルは、まさに宇宙に浮かぶ巨大な人工都市だった。昼間は煌めく光と無数の人々の喧騒で満ちているが、夜明け前は、深い宇宙の闇を背負い、静寂に包まれていた。
まだ眠る都市の片隅、GRSI本部からさほど遠くない場所に、隊員たちが心を落ち着かせ、リフレッシュできるよう設けられた、人工の自然空間があった。小高い丘の頂には、オービタルの外壁を飾る特製のガラスドームがあり、そこから漆黒の宇宙空間と、遠く瞬く無数の星々が望める。
早朝、その丘の頂に、一人の青年がいた。チームYのリーダー的存在、カケル・カツラギだ。彼は動きやすいシンプルなトレーニングウェアに身を包み、冷たいドームの床に胡坐をかいていた。宇宙空間に浮かぶ、無数の星屑が散りばめられたような景色が、彼の背後に広がっている。
カケルは、ゆっくりと目を閉じた。呼吸は深く、穏やかだ。普段、彼は自身の持つ『連鎖反応予測』の能力を駆使し、常に数手先、あるいは数十手先の未来を読んで行動している。それは、彼の任務において絶対的な強みであり、同時に彼に途方もない精神的な負荷をかけるものだった。あらゆる可能性の分岐点、最悪のシナリオ、最善の解決策。それらの膨大な情報が、常に彼の頭の中で高速で処理され、時に彼を疲弊させる。
しかし、この場所での瞑想だけは、その思考の波から彼を解き放つ、唯一の時間だった。
彼の瞑想は、ただ静かに座り込むだけのものではない。それは、彼自身の「予測」の能力を、意識的に「手放す」ための行為だった。
まず、彼は自身の呼吸に意識を集中した。吸い込む息が肺を満たし、吐き出す息と共に体の力が抜けていく。その単純な繰り返しに意識を向けることで、外界からの情報や、自身の内側から湧き上がる思考のざわめきを、一つ一つ遠ざけていく。
頭の中に次々と浮かび上がる思考の断片——昨日の任務の報告書、次に控える訓練のシミュレーション、チームメンバーの顔、そして遠い過去の記憶。それらはまるで、宇宙空間に漂う微細な塵のように、彼の意識の視界を遮ろうとする。
しかし、カケルはそれらを無理に追い払おうとはしない。ただ、「思考がそこにある」と認識するだけだ。彼は、それらの思考に何の判断も下さず、感情を乗せることもなく、まるで雲が空を流れていくように、静かに見送る。彼の意識は、流れる雲をただ眺める観測者のように、完全に中立を保つ。
五感もまた、瞑想の妨げとなりうるものだ。ドームを叩く微かな風の音、遠くを通過する貨物船のエンジン音、肌を撫でる冷たい空気の感覚。それらもまた、思考と同様に、彼の意識の中を通り過ぎていく。
彼はそれら一つ一つを認識し、「音がある」「感覚がある」と受け入れる。そして、それらにも囚われず、ただ自身の呼吸へと意識を戻す。
数分が経ち、彼の呼吸はさらに深まり、均一になった。意識の視界から、思考の塵がほとんど消え去り、澄み切った空のような感覚が広がっていく。その状態になると、彼の『連鎖反応予測』は、まるで電源が落とされたかのように、完全に沈黙する。未来の可能性の分岐点は収束し、ただ「今、ここにある」という一点に彼の意識は集中する。
それは、彼にとって至福の時間だった。予測の負荷から解放され、思考の喧騒から離れた、純粋な静寂。自身の存在が、この広大な宇宙の中に溶け込んでいくような感覚。彼は、自分自身の内なる宇宙と、目の前に広がる無限の宇宙との境界線が曖昧になるのを感じていた。
その中で、彼は「予測」ではない、純粋な直感や感覚を研ぎ澄ませていく。それは、彼がエージェントとしてではなく、一人の人間として、世界と向き合うための大切な時間だった。
やがて、ドームのガラス越しに、遠い星々の光がわずかに揺らめき、セントラル・オービタルに朝の気配が訪れ始めた。東の地平線に、わずかながら日の出の兆しが見え始める。カケルは、ゆっくりと目を開けた。彼の瞳には、夜明けの光と、清澄な宇宙の景色が映り込んでいた。そこには、瞑想を始める前とは異なる、静かで研ぎ澄まされた光が宿っている。
彼は立ち上がり、軽く体を伸ばした。全身に、清々しい活力が満ちている。予測の能力は、まだ目覚めていない。彼は、この清らかな意識のままで、今日一日の「予測できない」休日を迎えようとしていた。
カケルにとって、瞑想は、ただの休息ではなく、自分自身をリセットし、新たな視点と感性で世界を捉え直すための、大切な儀式だったのだ。




