第四十三話 星の織りなすもの
風が吹いていた。山の向こうから流れてきた風が畑の葉を撫で、トウモロコシの穂をゆらす。波のような音が続き、まるで世界のどこかで巨大な鼓動が静かに息づいているようだった。
リアナは塀に腰かけ、靴先で土を軽く蹴る。ここは、かつて父と一緒に耕した畑。冷たくて、重くて、けれど今はやさしい。トマトの赤、豆の緑、ラベンダーの紫が並び、風に揺れて香りを混ぜていた。遠くには、黄金のトウモロコシ畑が陽を反射している。
空は高く、青が深い。雲が薄くのび、鳥の影が二つ、風に乗って通り過ぎた。リアナは掌に土をすくい、指先で転がした。湿り気が生きている。父がよく言っていた――「土は耳を持っている。ちゃんと話しかければ、応えてくれる」。その声が、今でも胸の奥で鳴っていた。
「ママー!」
子どもたちの声が小道の奥から聞こえた。砂埃を上げながら二人の小さな影が駆けてくる。栗色の髪と、青いリボン。
「なにしてたの? 一緒にあそぼ!」
「お花とろうよ! いっぱい咲いてるよ!」
リアナは笑って塀から降りた。
「お花? いいね。お墓に持っていこう。パパも喜ぶよ」
子どもたちは笑い、花の方へ駆け出した。畑の隅、小さな石碑。父と母の名が並んで刻まれている。リアナは指で苔を払い、摘んだ花をそっと置いた。
「お父さん、お母さん、ただいま」
風が頬を撫で、草がざわめく。リアナは子どもたちの方を見た。花の茎を束ねながら、心の奥にもう一つの記憶が浮かぶ。
――エイラの記憶。
――あの海の底で見た光。
――星々のように繋がった糸。
それはもう神話ではなく、呼吸の一部になっていた。
「お花とったよ!」
「ママの好きな色!」
「うん、ありがとう。じゃあ、ご飯つくろっか」
「やったー! 今日はなに?」
「パパはね、シチューが好きなの。いっぱい作ろう」
子どもたちがはしゃぐ声が風に混じる。リアナは笑って、二人の頭を撫でた。
ふと、空を見上げる。夕暮れの光が薄れて、最初の星が瞬いた。その光は繋がりあい、やがて細い線を描いていく。ひとつ、またひとつ――空が網のように編まれていく。
リアナは小さく息を呑んだ。ああ、これが拍の正体なのだと気づく。それは音ではなく、星々の脈。命と命をつなぎ、記憶を光に変える、宇宙の心音。それが、いまこの空で鳴っている。
「ママ、見て! 流れ星!」
「お願いごとしようよ!」
リアナは子どもたちと手を合わせ、目を閉じた。
「……この世界が、ずっと脈を打ちますように」
風が頬を撫で、畑を渡り、トウモロコシの穂が波のように揺れた。その音が、星の鼓動と重なった。
リアナは微笑んだ。遠くの空に、無数の星が織りあがっていく。そのひとつひとつが、過去と未来をつなぐ糸。誰かが生きた証。誰かが愛した痕跡。
――世界は、いまも織られている。
星の糸で。命の脈で。記憶の光で。そしてそのすべてが、静かに息をしている。
リアナは深く息を吸い込み、ゆっくりと目を閉じた。風が、ひとつの拍を刻んだ。この世界そのものの、心臓の音だった。
――星の脈が、今日も美しく続いている。
小さな家の窓から灯りがこぼれ、笑い声が夜に溶けた。風が花を揺らし、遠くの空で星々が織り重なる。世界は、まだ終わらない。誰かの息が、誰かの拍を継いでいるかぎり。
— 完 —




