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星の織りなす物語 ACHERON  作者: 白絹 羨
第一章 血を継ぐ者
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第四話 記憶の断片

 翌朝。小屋の前で短い相談が交わされ、アシェルとカイルは家に残ることになった。体の弱いカイルを一人にしてはおけない。アシェルは「留守番は任せろ」と気取って笑ったが、炉端で薬草を刻む手つきは妙に慎重で、弟を気づかう気持ちが透けて見えた。カイルは少し不満そうに頬を膨らませたが、温かい茶を両手で抱えながら「すぐ帰ってきてね」と小さくつぶやいた。こうして森へ踏み出したのは、ダリウスとフィオラ、そしてリアナの三人だった。

 朝靄は森の葉を濡らし、細い陽光が揺れながら差し込んでいた。小川を渡る風は冷たく、昨日の焚き火の余韻をさらっていく。ダリウスは背から地図筒と巻物の束を下ろし、古びた木の机のような岩に広げると、リアナとフィオラに向き直った。


「――頼みがあるんだ。リアナ、君の家の周りを調べさせてもらえないか?」


 リアナは思わず眉をひそめた。鍬と籠を持つのは慣れているが、調査とやらは聞いたこともない。横でフィオラが獣耳を揺らし、にやりと笑った。


「難しいことじゃないよ。穴を掘るとか、石をひっくり返すとか、そういうこと。ダリウスはね、昔の人たちがどんな暮らしをしてたか、土や石から読み取るのが仕事なんだ」


「……土を、読む?」


 リアナは戸惑いながら聞き返した。ダリウスは苦笑して、少し声を柔らかくした。


「そうだ。土は本を閉じたままの図書館みたいなもんだよ。掘れば掘るほど、過去のページがめくれていく。君の家の下にも、何千年もの時間が眠っているかもしれない」


 そう言って彼は革袋から数枚の硬貨を取り出した。銅の鈍い光が朝の中でちらつく。


「もちろん、ただ頼むだけじゃない。当分の食料や資金はアシェルが払う。……少しでも助けになれればと思ったんだ」


 リアナは言葉を失い、硬貨と弟の寝顔を思い浮かべて胸を押さえた。フィオラが肘で彼女の肩を軽く突いた。


「悪い(はなし)じゃないでしょ。私もついてくからさ。ね?」


 森の奥へ三人で進むと、ダリウスは小さなスコップを取り出し、地面にしゃがみこんだ。落ち葉をどけると、土の色の違いがわずかに見える。


「普通なら、こういう森は堆積が進んでいる。腐った葉や流れ込んだ土砂で層が重なっていく。千年もすれば、何があったかなんて掘らないと分からない。だが――」


 指先で土をつまみ、陽に透かした。


「ここは違う。層が積もっていないんだ。まるで時間が薄い布のように剥き出しになってる。僕らは一万年前の地表のすぐ上に立っているんだよ」


 リアナは目を瞬かせた。


「……そんなことって、あるの?」


「珍しいけどね。強い風や川が土を運び去る土地、あるいは岩盤が浅くて堆積できない場所――そういう条件が重なると、こうなる。おかげで、この辺りは考古学者にとっては宝の山なんだ」


 リアナは地面を指先でなぞり、しばらく考え込んだあと、ぽつりと呟いた。


「へえ……。じゃあ、私たちが踏んでるこの土は、誰かの足跡そのままなのかもしれないね」


 その言葉に、ダリウスは一瞬、驚いたように彼女を見た。


「……そうだ。まさにその通りだよ。学者が何十年もかけて辿り着く考えを、君は素直に言ってのける」


 フィオラは首をかしげ、笑いながら肩を突いた。


「リアナって時々、妙に大人っぽいこと言うんだよね」


 リアナは返事をせず、ただ「ふうん」と小さく笑って視線を森に戻した。だがその横顔には、どこか遠いものを見つめるような影が差していた。 彼は小さな木箱を広げ、拾った欠片を並べた。


「見てごらん。これは石を打ち欠いた跡のある破片。矢じりか刃物の一部だったんだろうな。それから、こっちは焼けて赤く変色した土。たぶん焚き火の跡だ。そして、これは……」


 指先でつまみ上げたのは、土にまみれた小さな陶片だった。かすかに指で撫でると、表面に線刻模様が浮かび上がる。


「古い器のかけらだ。食事の跡か、保存用の壺かもしれない。人がここで生きていた証拠だよ」


 リアナは陶片を恐る恐る指でなぞった。触れてもただの土くれにしか見えない。だが「ここで暮らした人がいた」と思うと、胸の奥がざわめいた。フィオラが首を傾げ、眉をひそめた。


「でも……そんなに昔、この森にも人がいたの? 私たちが狩りで駆け回るのと同じ森で?」


「……それを探してるんだ」


 ダリウスの声は急に熱を帯び、言葉が少し早くなる。


「この層より深くは、ほとんど手つかずだ。出ないかもしれない。だが、もし――もし出てきたら……」 


 息をのんで視線をリアナへ投げる。


「人類の歴史を、一から書き直すことになる」


 リアナはその横顔を見つめた。昨日まで、森はただの生活の場だった。だが今、足元の土が古代の声を秘めているかもしれないと思うと、胸がざわめいた。


「……でも、なんで私の家だけが、こんな場所にあるの?」


 ぽつりと漏れた言葉に、ダリウスは視線を上げた。森の奥に広がる静けさを一瞥し、やがて口元をかすかに緩める。


「その答えを探すのが、僕の仕事だよ。君の家は偶然ここに残ったのか、それとも……何かに導かれたのか。まだ分からない。だが、必ず痕跡があるはずだ」


 その言葉に、リアナの胸は得体の知れぬ不安と、微かな期待に揺れた。

 調査は一日中続いた。だが、ダリウスは掘るよりも歩くことを優先した。岩の割れ目や古い樹の根元、川沿いの土手をひとつずつ確かめ、見つけた欠片を布袋に収めるたび、巻物に地図を描き足していった。 


「順序が大事なんだ。闇雲に掘れば壊してしまう。まずはこの土地そのものを読むところから始める」


 その口調は穏やかだったが、手の動きは夢中で止まらない。時折巻物に顔を近づけすぎて鼻先が擦れそうになり、フィオラが吹き出す場面もあった。夕暮れが森を包むころ、フィオラが肩をすくめて笑った。


「結局、何も出なかったね」


「いいや」


 ダリウスは首を振った。


「何もないことが、すでに手がかりなんだ。ここが異常な土地だという証明になる」


 焚き火の赤に照らされた彼の瞳は、闇の中でさらに強く光っていた。

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