第二話 森に現れた旅人たち
「フィオラ、この人たちは?」
リアナは弟を庇うように前に出た。カイルの肩は軽く震えており、吐く息の奥で小さな咳が堪えきれずにこぼれた。リアナはその音に神経を尖らせながら、藪から現れた見知らぬ影に鋭い視線を向ける。声を低く抑えたつもりだったが、張り詰めた警戒が隠しきれず滲み出た。
「紹介するね」
フィオラは気負いなく耳を揺らし、ひと呼吸で場を明るくした。森の夕闇を背負いながらも、その笑顔は焚き火のように柔らかい。
「こっちがダリウス、考古学者だよ。いつも遺跡を探して森を歩き回ってる。で、あっちがアシェル、帝国のお偉いさんの息子。えーと……辺境王の子息だったよね? 二人とも、あたしの退屈しのぎの仲間ってところかな」
「退屈しのぎ、とは心外だな」
ぼろ布の外套の裾を直しながら、低く穏やかな声が返ってきた。褐色の肌に刻まれた皺、長旅で擦り切れた靴。男は荷に食い込む巻物の束を肩から下ろすと、真っ直ぐにリアナへ視線を向けた。
「俺はダリウス。君の名前を聞いてもいいかな」
「……リアナ」
答える声は乾いていて、自分でも驚くほど強張っていた。ダリウスは次に、リアナの背後に身を寄せる小さな影へ視線を移した。
「そして君は?」
問いかけに、カイルは少し驚いたように瞬きをし、細い声で答えた。
「……カイル」
「カイル君か」
その名を繰り返し、ダリウスは柔らかく眉を下げた。痩せた肩や、毛布から覗く腕の細さを確かめると、旅慣れた瞳にわずかな憂色が浮かぶ。
「大変だったろう。道中で薬草を見つけた。後で分けてもいいかな」
リアナの胸に小さな波紋が走る。父を失って以来、他人に「大変だったろう」と言われることなど一度もなかった。その一言だけで、堰を切ったように心の奥が疼いた。
「俺の番かな?」
軽やかに割って入る声。銀の髪を乱しながら、青年が片手を挙げた。声は若々しく、どこか芝居がかった響きを持っている。
「アシェルだ。帝国の辺境王――父はエドマンド・アークレインっていうんだが、その息子ってことになる。まあ、肩書きなんて退屈だろうけどね」
リアナは眉をひそめた。
「どうして、森なんかに?」
「いい質問だね!」
アシェルは楽しそうに目を細め、両手を大げさに広げてみせた。
「父が珍しい遺物を集めるのが趣味でさ。僕はそのお供さ。ダリウスが掘り出す古い石や器を持ち帰れば、父は上機嫌になるんだ。竜だの何だのって話は――まあ、ただのおとぎ話にしか思えないけど」
「ほんとに信じてないんだから」
フィオラが呆れたように肩をすくめる。
「森の民にとって竜は、昔から語り継がれてきたものなのに」
「竜なんて、本当にいると思うか?」
アシェルは口端をわずかに上げ、半ば退屈そうに、半ばからかうように言った。
「帝国の学者たちは、昔話か寓話だと言う。僕もそう思う。少なくとも、今の世で竜を見た者はいない。結局は人を慰めるための作り話だろう?」
その一言は、胸の奥に冷たい刃を突き立てられたようだった。リアナの顔が一瞬で硬直する。父の口癖、「我らは竜の末柄だ」が、脳裏に蘇る。だがそれを今、見知らぬ他人が軽々しく嘲った。喉の奥に熱がこみ上げるのに、言葉は出てこない。
――やっぱり、そうなのか。竜なんて嘘。父さんは最後まで夢物語を語っていただけ。
胸の奥で何かがしぼむ音がした。小さな灯火が風に消えるように。
「私は、信じてるよ」
唐突に、フィオラが言った。獣耳がかすかに揺れ、瞳は真っ直ぐだった。
「見たことはない。でも、森の奥にはまだ人が知らないものがある。だから竜もきっと、いる」
「じゃあ、専門家に聞こうじゃないか」
フィオラは横目でダリウスを見て、いたずらっぽく笑った。
「考古学者なんでしょ? 本当のところ、どう思ってるの」
ダリウスは短く息を吐き、巻物の束を少し持ち直した。
「私は先入観を持たない。学者の仕事は、伝説を笑うことでも、信じ込むことでもない。ただ、掘り出した石と土に刻まれた事実を見るだけだ」
言葉を切り、彼はリアナに視線を向ける。その瞳は深い湖のように静かだった。
「……だが、不思議なものだな。君の目を見ていると、信じたいと思わされる。竜の血が、確かに受け継がれているのかもしれない――と」
リアナの胸が不意に揺さぶられた。嘲笑と否定で押し潰されたはずのものが、ほんのわずかに息を吹き返す。言葉にならない熱が、胸の奥でまだ燻っていた。
「アシェル、口が過ぎる」
ダリウスの声が鋭く割って入る。穏やかだが、有無を言わせぬ重みがあった。その響きに、アシェルは小さく肩をすくめ、悪びれもせず空を見上げた。
「まあまあ」
フィオラが両手を広げ、場の空気を軽く押し流す。
「お腹、空いてるでしょ。リアナ、今夜は一緒に鍋を囲もうよ。道具も食料もこっちが持ってきてる。君の家に負担はかけないから」
リアナは答えなかった。沈黙の中で、弟の咳だけが小道に響いた。夕暮れの森はすでに闇を溶かし始めている。どこか遠くで梟が鳴き、枝葉の間を風が渡った。胸の内には、まだ警戒と安堵とが入り混じったままだった。




