8. 声に出来ない永遠の翼。
「フイ?」
タフの樹の根元に、フイとアタアフアが並んで立ち、他の子たちが二人を囲むように並んだり、樹の幹に座る。
(あぁ、そういう事ね)
その様子を見たハリアカは、フイの意図を理解する。
全員で撮るのに、自分だけおしゃれをしている訳にはいかない。フイの他の子への気遣いだった。
「じゃあ、撮るよ。はい、一番良い顔をして!」
市場からの雑音に混じり、カシャリ、カシャリと音がする。
最初は気取ってポーズを取っていた子供たちだったが、次第に雲行きが怪しくなって来る。
足が当たっただの、当たっていないだの、ふざけた顔をしただの、していないだの…。
ワイルアはその様子も撮影しているが、ハリアカは止めに入る。
「皆んな、ケンカをするようなら、もう終わり。ちゃんとお礼を言って」
樹に登っていた少年たちが降りて来る。そしてワイルアの元へ走る。フイ以外の子供たちも後に続く。
言う事を聞かない子供たちに、ハリアカは戸惑う。
「ねえ、見せて‼︎」
「わあ…凄い〜」
「ランギ、ふざけ過ぎ!」
「次の見せて!」
ワイルアは地面に座り込んで、子供たちに笑いながらカメラの液晶画面を見せている。
フイは一人、ハリアカの元へ向かう。そしてハリアカに預けたおしゃれ着を奪い、袖を通す。
「はい、次はハリアカの番!」
フイがハリアカの手をグイっと引いて、タプの樹に向かう。
「え…私は…」
ハリアカはフイの手を振り払う事が出来ずに、タプの樹の下へ連れて来られる。
「ねえ‼︎」
フイはワイルアに向かって叫んだ。
「──ねえってば‼︎ ハリアカの準備、出来たよ‼︎」
「フイ…、私は…」
ハリアカの戸惑いなど知らないといった風に、フイはワイルアに向かって叫び続ける。
フイの声に、ワイルアと子供たちが顔を上げる。
ワイルアとハリアカの目が合った。
しかし、ハリアカはすぐに俯く。その頬は僅かに染まっている。
ワイルアと目が合わせられない。
何故だか判らないけれど。
ワイルアがずっと脇に挟んでいた紙袋を持って、ハリアカに近寄って来た。
「これ…」
そう言って、紙袋を広げる。
ハリアカはその紙袋に、ゆっくりと視線を落とす。
ワイルアが長時間、脇に挟んでいた紙袋には、脇汗のシミが付いていた。
「──あ、いや…これは」
思わず口ごもるワイルアに、ハリアカはくすっと笑う。
「この国は暑いから」
「すまない。でもショールは綺麗だから、多分」
フイがハリアカに掴まって背伸びをして、中を覗こうとする。
他の子供たちも集まって来た。
ワイルアはダックブルーのショールを取り出す。
「──その割に、きみは長袖だ」
ワイルアは紙袋をクシャッと潰す。
「これは虫除け。蚊が多いから」
言われてみれば、子供たちもなるべく肌が見えない服を着ている。
ワイルアは話しながら、デニムの後ろポケットに、紙袋を取り敢えず押し込んだ。
「俺はまだ刺されてない」
そしてショールを広げる。
ハーブなのか香木なのか、よく判らない市場独特な香りが広がった。
「わぁ…綺麗。鳥の羽根みたいな色」
フイが目を丸くして、羨望の声を上げる。他の子供たちは「ハリアカだけズルい」と言い始める。
「──本当のモデルはハリアカなんだから! 文句言わないの‼︎」
それをフイが止めている。
「──ほら、皆んな邪魔だから、こっち‼︎」
フイが子供たち全員を、タプの樹へ誘導する。
「誰が一番高く登れるか競争しようぜ」
一人の少年が言うと、少年たちが一斉にタプの樹に登り始めた。少女たちは、タプの落ち葉を集める。
ただフイは座って両手で頬を包むと、ハリアカの佳容を眺める。
子供たちの大騒ぎを他所に、ワイルアは大判ショールを斜めに折る。
ベチパー、ラベンダー、シトロネラ…複数のハーブが複雑に混ざり合った、この土地の香の香りを再び感じる。
何の香りかは分からない。だが──。
(…この香り、クセになるな)
そう思った。
「人を選んでいるのかも」
ハリアカがクスリと笑った。
「マジかよ」
ワイルアはショールを両手で持つと、ハリアカの肩にフワリと置く。
ハリアカの身体がビクッと動いた。
ワイルアとの距離が近い。
彼の汗と野生的な香り…、ショールからサンダルウッドやニームの香が香る。
「…それは、嘘」
ハリアカは一拍おいて、笑うように努めて平静を装う。急に心臓を掴まれた感覚に襲われる。
無意識に腹の前で組んだ手に力が入った。
初めてハリアカの口から、ジョークを聞いたワイルアは、それが凄く嬉しかった。
ワイルアがショールを緩くポンチョ風に巻いて行く。
僅かに透け感のある生地の柔らかさが、春風のように指先を滑る。
ただそれだけなのに、ハリアカの声と息遣いを間近に感じて、手が震える。
「──市場は虫除けの香が焚かれていたり、消毒がされてるけど…」
ハリアカの心臓の鼓動も大きくなってくる。何だか息をするのも苦しい。
「──私たちの家までは、やって貰えないから」
ハリアカは自分が緊張している事を、初めて自覚した。
「そうなんだ」
そう言ったワイルアの返事は、ショールとハリアカが美しく見える長さを調整する事に集中して、上の空といった感じだった。
「何処に、泊まっているの?」
ハリアカは自分の首周りを少し緩くして、形を整えた。
「ここから歩いて十分くらいのゲストハウス」
ワイルアはハリアカの後ろに回る。
後ろからもショールが美しく見えるように形を整えて行く。
「あぁ、ダウンタウンも大丈夫。観光客の為に、特に入念に対策しているから」
僅かに後ろに顔を向けて、ハリアカがそう言った時だった。
「それ、女の人用よ」
二人の緊張を解いたのは、フイだった。
その不器用なワイルアの手付きを見ながら、フイがショールを指摘する。
「え?」
ワイルアは驚いてフイを見る。
やはり、あの女性店主にきちんと相手は男性だと言うべきだった。
「こら、フイ!」
ハリアカが慌ててフイを黙らせようとする。
「でもハリアカなら、どっちでも良いけど」
フイがニンマリと、太陽のように笑った。
「──タプの樹の精霊みたい」
「俺、タプの精霊見た事あるよ」
「ウソだ」
「精霊は良い子にしか見えないのよ」
「ウソじゃないもん! 本当に見たんだよ‼︎」
タプの樹上と根元で言い争う子供たちを、ハリアカが止めようとすると、フイが声をあげる。
「もう‼︎ 今からハリアカが写真撮るの! 静かにして‼︎」
ハリアカとワイルアは、顔を見合わせる。声を出さずとも、自然と二人同時に吹き出して笑い合った。
「こんな感じかな?」
ワイルアは少し離れて、ハリアカの足元から首元へとチェックする。
「…うん」
ハリアカは軽く頷く。
「よし、樹の下へ行こう。凄く神秘的なんだ」
ワイルアはハリアカに向けて手を差し出した。
ハリアカは目を見開く。驚きで瞬きが早い。
「………」
言葉が出て来ず、遠慮がちに黙ってその手を取った。
ワイルアの手の平は、思ったより分厚い。
握り返された手の力も強い。
子供たちと手を繋いだ時とは、全く違う感触と熱。
繋いだ手から、緊張が伝わってしまわないか心配になる。
空いている左手で、ショールが落ちないように押さえて、ワイルアの後に続いた。
ワイルアは河岸に降りる階段に来ると、ハリアカに振り返る。
「足元、気を付けて」
堤防と一体化された階段は、老朽と河の流れで削られている。
「…大丈夫」
慣れているから。
いつも子供たちに言っているから。
『足元、気を付けて。崩れかけているから』
それを自分が言われるとは、思ってもみなかった。
湿った河風が吹いて、ハリアカの髪とショール、服の裾がなびいた。
ワイルアの手に力が入る。
「風、強いな。大丈夫だった?」
春を思わせるワイルアのポウリウリに、捕えられた気がした。
一瞬、身体が強張る。狼を目の前にした兎のように。
「え…えぇ」
ハリアカは頷く事しか出来なかった。
「ねえ、見た?」
フイが堤防の上に頬杖を付いて、隣のアタアフアに聞く。
「何を?」
背の小さなアタアフアは、堤防の上に座っている。
「ハリアカのショール、鳥の羽根みたいだった」
フイは満面の笑みを浮かべて笑った。
「うん、鳥の羽根みたいだった」
アタアフアもそう言って、フイと額をくっ付けて笑い合った。




