7.心に住み着いたあなたの面差しは、
(は…話が違う)
まさか、子供たちまで来るとは、全く想像していなかった。
「──はぁーーーっ」
ワイルアは疲労で膝に手を置き、項垂れる。大きく息を吐くと、肩掛けバッグがガサリと落ちた。
その音は、市場の喧騒にかき消された。
この疲労感は、全速力で走っただけのものじゃない。
予想外の出来事──子供たちの存在だ。
ハリアカと二人きり、での撮影だと思っていたのに大誤算だ。
ワイルアは呼吸と思考を整えようと、何度も深く息を吸う。
「この市場で、よく迷子にならなかったね」
フイが笑いながら、ワイルアに向かってそう言った。
「こら、フイ」
ハリアカがフイを嗜める。
「お髭が無いから、一瞬誰だか判らなかったけど」
フイが声を上げて笑いながら、ハリアカの後ろに隠れた。
(う…嘘、だろ…? 何で子供らが…居るんだよ…)
いくらか呼吸が整ったワイルアは、上体を上げる。
それでも、もう一度深呼吸をした。
「えっ…と。出会えて、良かった。まさか」
ワイルアはハリアカの後ろから半分顔を出しているフイを見る。
フイの柔らかい赤味がかった茶色の髪の毛は、綺麗に三つ編みが編み込まれている。服も長袖の縁に花の刺繍が施してある。
写真の為に、精一杯のおしゃれをして来たのが判った。
「──本当に…来て貰えると、思ってなくて」
再び大きく息を吐いてそう言うと、ハリアカへと視線を動かす。
彼は昨日と同じような、生成りの民族衣装のままだった。
しかし、その瞳に警戒心は薄れているように見えた。
「この子が…」
「私、フイよ」
フイがワイルアを見上げて、得意げに名乗った。
「フイがモデルをやりたいと言ってきかなくて…」
ワイルアは一瞬絶句する。
子供が居なければ、彼は来てくれなかったのか。
それを思うと、彼女にお礼の一つでもしなければ、と思った。
ワイルアは腰を落とす。
フイの目を見ると、彼女の頭を子猫に触れるように撫でる。
「良し、俺が可愛く撮ってやるよ」
「ほんと⁉︎」
フイのチョコレート色に似た瞳が輝く。
「あぁ」
その言葉に、子供たちが次々とワイルアを囲む。
「俺たちも‼︎」
「じゃあ、私も撮って!」
「ねぇねぇ、良いでしょ?」
ワイルアは子供たちに気圧されて、苦笑いを浮かべる。
「…はははっ」
こんなはずでは無かったのに…。
「私からもお願いします」
ワイルアが声の主に目をやると、ハリアカが申し訳なさそうに、小首傾げていた。
「──この子たち、写真を撮って貰った事が無くて…、その…」
ハリアカは一瞬目を落とし言い淀む。
「──皆んなとの…施設を出た子たちとの思い出が無いんです。記憶は時と共に薄れてしまう」
そう言って、唇を噛むように閉じた口元には悔しさが滲んでいた。
昨日は、あんなに澄んでいたように見えたカフランギの瞳も、暗い深海を思わせる。
ワイルアはその表情に、ハッとする。
自分は今まで、世界中を旅して、現地の人々の生活や生き様を切り取って来た。
しかしそれは間違っていたのだと。
自宅に帰り、撮って来た写真を、パソコンに取り込む。
そして気に入った写真を、自分の思い描く色彩になるように、彩度や色合いをレタッチをする。時には不要なオブジェクト除去もする。
そうして満足の行く作品を作って来た。
ハリアカの言葉に、ワイルアの写真家としての信念が、音を立てて崩れて行くのを感じた。
写真を見返す時、自分は何を思った?
家の前で、母親に髪を切って貰う少年。
放牧の為に何百頭の牛を連れて、山へ向かう老人…。
それは何百、何千回と繰り返している日常の一つなのかもしれない。だが、ただの一つとして同じ物は無かったはずだ。
毎回、母親に髪を切って貰う行為が、毎年夏になると牛を山に連れて行く行為が、その人のその時の記憶となっている。
自分もそうだと。
いつものように金が貯まったら行き先を決め、滞在の手配をし、飛行機に乗り込む。
そして気の向くままに撮影をして来た。果たしてそれに、一度たりとも同じ出来事が、同じ写真があっただろうか。
人々の生を撮るのも良い。だが、自分の仕事は、彼らの思い出や記憶も同時に切り取り、そして残しているのだ。
「判ったよ。皆んな一緒に撮ろう。最高の写真、撮ってやる」
ワイルアは、子供たちの頭をくしゃくしゃと撫でて行く。
「やったーー‼︎」
「本当に?」
「早く行こうよ〜」
子犬のような子供たちが見つめる和顔施に、ワイルアも釣られる。
「良い場所を見つけたんだ。そこへ行こう」
「何処? 何処?」
ランギがワイルアのTシャツを引っ張った。
「あっちに大きな樹があるだろ? あそこだ」
ワイルアは大河の下流を指差す。
「タプの樹ね!」「タプの樹だよ!」と、子供たちの声が重なる。
「タプの樹?」
耳慣れない名前に、ワイルアはフイに問う。
「“聖なる樹”よ。あの樹には、精霊が住んでいるの」
子供たちがワイルアを囲み、手を引いてタプの樹へと歩き始める。
ワイルアはハリアカの方へ振り返る。彼は困ったように笑っていた。
ハリアカは目を細めて、苦笑する。金色の髪が、ゆるりと宙に揺蕩う。
そして、後に付いて歩き始める。
ハリアカと手を繋いでいる、少女がギュッと握って来た。
「ねぇ、ハリアカ。写真、撮って貰える?」
不安気にハリアカを見上げてくる。
「アタアフア、大丈夫。ちゃんと撮ってくれるって。安心して」
ハリアカは少女の顔を見下ろして、優しく答える。
「怒られない?」
それでも尚、アナアフアは不安気だ。
「誰に?」
「先生…」
“先生”とは、彼らが暮らしている孤児院の院長だ。
「大丈夫。ちゃんと話して来たから」
ハリアカの言葉に、アタアフアは喜びを爆発させ、彼と繋いでいる手を大きく振った。
「やったー!」
そして、前を行くワイルアとフイたちに追い着こうと、高く足を上げる。
「ふふっ。アタアフア、転ばないようにね」
「うん!」
ハリアカは人波の合間から見える、ワイルアの黒髪を見失わないように、その静謐なカフランギで追う。
「ハリアカ! 早く行こ‼︎」
「…あっ」
アタアフアが急にスキップをし始めて、ハリアカは引っ張られる。
「──アタアフア、待って。手を離したらダメ」
この人混みで手を離したら、二度と会えなくなるかもしれない。
「はぁい」
アタアフアは、ハリアカの横でスキップを続ける。
フイの言う通り、彼は悪い人では無い。それはハリアカ自身も無意識の内に感じていた。
子供たちの我が儘も、快く引き受けてくれた。何より、子供たちが懐いている。
でも、この撮影会が終わったら、もう終わり。
タプの樹が見えて来た。
人波を抜けると、その大樹が目に飛び込んで来る。
しかし樹の周りは、誰もその存在に気付かぬように静かだ。
すぐ後ろの市場には、大勢の人が居るというのに。
先に着いた子供たちは、複雑に絡まった幹に器用に登り始めていた。
「ちょっと! 最初は私が撮って貰うんだから‼︎」
フイが叫んでいた。
「はははっ、落ちるなよ」
ワイルアがカメラを片手に、木に登っている少年二人に声を掛けていた。
アタアフアがハリアカの手を離し、フイに向かってパタパタと走って行く。
「アタアフア‼︎」
その覚束ない足取りに、転ぶのではないかと心配になる。
ハリアカの声に、ワイルアが振り向いた。
彼は明らかに「参ったな」という笑いをしているが、嫌な顔はしていなかった。
ハリアカはそのワイルアの表情に、何故か安心する。
アタアフアはフイに抱き付いている。
「ねえ‼︎ 早く撮ってよ!」
樹の上からランギが叫ぶ。
「はいはい。こっち見て笑って!」
ワイルアがカメラを構える。
「ちょっと待って!」
フイがワイルアに向かって、そう言うと自分の額の両サイドを飾っている髪から、右側の花の付いたヘアピンを抜く。
それをアタアフアの前髪を左側に寄せて止めた。
「──ふふっ。これで私とお揃い」
「やったー」
アタアフアは嬉しそうに飛び跳ねた。
ハリアカはその様子を、少し離れた場所から見守る。軽く両腕を組むと、安心して軽く息を吐いた。
そしてフイは、小さな花の刺繍がたくさん散りばめられた上着を脱ぐ。
「ハリアカ、これ持ってて!」
走って押し付けるように、ハリアカに上着を渡すと、元の位置へ戻った。




