4.一雫の誰そ彼。
食事をしながら、フイは時々ハリアカに目を向ける。
ハリアカはその視線に気付かないふりをしているのか、チキンの取り合いを優しく宥めている。
「……ハリアカァ」
フイが持っている皿を膝の上に置いて、ハリアカにだけ聞こえるように呟く。
「はい?」
ハリアカは俯くフイの呼び掛けに応える。座り直し、フイの方へと身体を向ける。
「…やっぱり明日、行った方が良いよ」
フイの言葉に、ハリアカは僅かに困った顔をする。
「その話は、もう終わりって言ったでしょう」
フイの膝上にご飯が二粒付いた右拳が握られ、唇が震えている。
「だって…、だって…‼︎」
諦めきれなかった。
フイの大きな声に、チキンの取り合いをしていた子供たちが静まり、フイに視線が集まる。
「──絶対、撮って貰った方が良いよ」
周囲が静かになった事で、フイは絞り出すように、声を落とした。
ハリアカは溜め息を吐く。
「フイ、あなたが言いたい事は判っているつもり。でもね…」
「えー! ハリアカ、明日行かないの?」
ハリアカの言葉を遮ったのは、ランギだった。
市場に行かなかった子供たちは、何の事か分からず、キョトンとしている。
「ハリアカ、市場で写真のモデル、頼まれたんだよ」
それを、別の子がこっそりと教える。
「えーー‼︎ 凄いじゃん」
「ハリアカ、やりなよ!」
子供たちはご飯をその場に置くと、ハリアカの周りに集まって来た。
「ちょ…っと待って」
ハリアカは余計に戸惑い、子供たちを見渡しながら困った顔をする。
「良いじゃん、何で嫌なの?」
「ハリアカの写真、見たい!」
子供たちの勢いに、ハリアカは益々困惑する。
正直なところ、「写真くらいなら」という気が無い訳ではない。
ただ、怖いのだ。
この穏やかな日常に落とされた一雫によって、子供たちに何か起こるのではないか。
それよりも──あのポウリウリ。
自分の心に入り込んだ黒鉛の瞳に、心をかき乱されるのが恐ろしい。
この恐怖の正体は、判らないけれど。
「判った!」
フイが意を決したように叫ぶ。
ハリアカも他の子供たちも、一斉にフイに顔を向ける。
フイは背筋をピンと伸ばして、真正面の遥か遠くを見ていた。
「──ハリアカの代わりに私が行く‼︎」
フイは真正面を見据えている。
「…え?」
ハリアカは即座に小さく声を上げる。
「えええーーーー⁉︎」
しばしの静寂の中、子供たちが叫ぶ。
「フイが行くなら、私も行きたい!」
「俺も‼︎」
「やっぱりハリアカじゃなきゃダメだよ!」
「ねぇ、ハリアカ〜、みんなで行こうよ〜」
子供たちが好き勝手に言い合う中、フイはご飯とスープを混ぜた物を、黙々と左手で口に運ぶ。
ハリアカは静かに問う。
「フイ、どうして?」
「だっ…」
フイは口に入っている物を飲み込む。
「──だって、ハリアカが行かないなら、私が行くしかないじゃん」
ハリアカは再び溜め息を吐く。
「……」
どうしたものか。
貧しい暮らしの中、誰も写真など一度も撮った事は無い。
それ故に、ここを出た子供たちの思い出も、記憶の中にあるのみで、その記憶も年月と共に色褪せて行く。
だから子供たちは皆んな、興味津々である事も、撮って貰いたい事も判る。
しかし今日、出会ったばかりの得体の知れない人物に、自分も含め子供たちを委ねて良いものか。
写真家と言うからには、撮影した写真を何処かで発表するのは確かで…それが引き金となって、この子たちに何かあったら…。
「それに写真のモデルさん、やってみたいんだもん」
フイは食事を頬張りながら、そう言った。
「モデルを頼まれたのは、ハリアカだよ!」
「そうだよ! フイじゃダメだよ」
ハリアカは手で子供たちに静止をかける。
「じゃあ、私も一緒に行くから。それで良い?」
ハリアカはフイの顔を覗き込むように、身体を傾げる。
フイは膨れっ面のままハリアカを見るが、彼と目が合うとニコリと笑い、「うん」と大きく頷いた。
「──皆んなも一緒に、ね?」
その言葉に、子供たちが歓喜の声を上げる。
中には食事中だという事も忘れて、部屋を走り回る子もいて、お祭り騒ぎになる。
皆んなが喜ぶなら…。
一度くらい願いを叶えてあげるのも悪く無い、そう思った。
あの男が慌てながら、肩掛けバックの中から名刺を取り出して、差し出して来たのを思い出す。
不思議と胸に月明かりが射し込むのを感じた。




