3.手を伸ばす理由さえ知らずに、
「ねぇ…ハリアカァ」
市場で買った形の悪いトマトを、桶に貯めた水で丁寧に洗う。
「はい?」
「明日、行くの?」
洗ったトマトを、ハリアカに渡す。
「何処に?」
トマトを受け取ったハリアカは、それをナイフで半分に割り切る。そして、器用に食べられない箇所を削ぎ落として行く。
「…市場」
「明日は買い出しには行きませんよ」
もう一つ、トマトを洗う。
「違うよ。モデル、写真の」
ハリアカはトマトを細かく刻みながら、「あぁ」と、さも、今思い出したかのように答える。
「行きませんよ」
ハリアカは刻んだトマトを鍋に入れる。
大きな鍋の中では、香辛料と共に煮込まれたスープがグツッグツッと、泡を弾けさせている。
「どうして?」
洗い終わったトマトを渡す。
「行く必要を感じないから」
受け取ったトマトを、同じように刻む。
「…あの人、悪い人じゃないと思うよ」
ハリアカをあんなに綺麗に撮ってくれた人が、悪い人であるはずがない。
元々、ハリアカは女の人みたいに綺麗だけど。それに一生懸命、謝ってくれた。
そう思った。
「どうして、そう思うの? フイ」
ハリアカは刻んだトマトを鍋に追加すると、レードルでスープをかき混ぜる。
少ない具の鍋の底から、茶褐色のスープに沈んでいた豆が顔を出した。
それと同時に、スパイシーな香りが濃くなり、食欲をそそる。
「…写真、見せてくれた」
トマトが混ぜられる様子を見ながら、フイは少し不満気に、口を尖らせる。
「それだけ?」
「うん…」
これは嘘。本当は違う。
いつも自分の事は後回しで、自分たち、子供の事を最優先しているハリアカに、特別な体験をして欲しい。
それにもっと綺麗なハリアカが見たい。
「なら、この話はお終い。フイ、お皿を用意して」
「うん…」
自分たちがハリアカにお礼が出来る、絶好のチャンスだと思ったのに。
フイは食器が入っている棚に向かう。
ハリアカはスープの味見をして、満足そうに頷いていた。
「薪割り、終わったよ」
厨房に、少年が入って来る。
「ありがとう、ランギ。夕食の準備が出来たから、みんなを呼んで来て」
ハリアカは空いている釜戸の上に、香辛料で薄く味を付けただけの、細切れチキンが入った鍋を置く。
布巾を手に取ると、両サイドに広がっているトマト鍋の取手を上げる。
フイが食堂に使っている部屋に、食器と鍋敷きを持って行く。
それを確認して、ハリアカはスープの入った大鍋を持ち上げた。
「——……」
フイの言葉に、ハリアカは鍋を持ったまま立ち止まる。
フイの言う通り、悪い人ではない、と思う。
わざわざ勝手に撮影した事を、謝罪しにくるくらいの人だ。
天満月が浮かんでいる空を思わせる瞳は、真摯だった。
あの宵闇の瞳の奥に、ハリアカは未来を見た気がした。
だが、ハリアカは頭を左右に振り、ワイルアの事を頭の中から振り払った。
「ハリアカ〜、お腹空いた〜」
「今、行くから待って」
鍋を床に置かれた鍋敷きの上に乗せる。
厨房に戻る途中で、集まった子供たちが、歓声を上げるのを聞いて、立ち止まり振り返る。
子供たちは鍋を覗き込み、手で湯気を扇いで、思い切り匂いを嗅いでいる。
フイが率先して、子供たちへご飯を配って行く。
ハリアカは子供たちが夕食を気に入ってくれた事に安心して、厨房に戻った。
チキンを温めて直して、子供たちの所へと戻る。
鍋を囲むように子供たちは行儀良く、床の上に敷かれた絨毯の上に輪を描いていた。
一箇所空いている場所があり、ハリアカはそこへ行くと、チキンの鍋を鍋敷きに置く。
「やったー‼︎ 今日はお肉がある〜」
チキンの鍋に手を伸ばしたランギの手を、フイがパチンと叩く。
「──いてっ」
「ランギ、ダメ! みんな平等に分けるんだから!」
フイが順番にチキンを配り、それが終わると、ハリアカが神に食前の祈りを捧げる。
「…神に感謝致します。では、いただきましょう」
「はーい」
「いただきまーす」
子供たちは、一斉に皿の上のスープのかかったご飯を口に運ぶ。
ハリアカはその様子を見て、少し遅れて静かに食べ始めた。




