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2.一瞬の曙光を捉えた。

「わあ…ハリアカ、とっても綺麗だよ」

 その言葉に、ハリアカはニッコリと笑った。

 ワイルアはその笑顔に、彼が満更ではないと思った、と感じてしまった。

「観光の方ですか?」

 綺麗な整った卵型の顔に浮かんだ、凡そ怒りの感情とは無縁であろう微笑みと声と口調。

 一気に彼に惹き込まれるのを感じる。

 ハリアカの問いかけに、ワイルアはハッと我に帰る。

「あぁ…まぁ、そうかな」

 ワイルアは子供達にカメラを返して貰おうとするが、子供達は他の写真も見せろと言って、彼にぶら下がるようにして、手を離さない。

 困惑しているワイルアに、ハリアカが忠告をする。

「気を付けて。ここは観光客は滅多に来ない場所。貧しい者に狙われないように」

 ハリアカは子供達に諭すように、ソッと背を叩きながら声を掛ける。

「──さぁ、行きますよ。…では」

 ワイルアに会釈をして立ち去ろうとするハリアカに、子供達が駄々をこねる。

「えーまだ見たい〜」

「もうちょっとだけ!」

「もう駄目。夕食の準備に間に合わなくなるから」

 ハリアカの言葉に、子供達は渋々ワイルアから手を離す。

「ま、待って‼︎」

 ワイルアはカメラを、首から下げたケースに入れながら、ハリアカを呼び止める。

 これでお別れ。とするのは名残惜しく、咄嗟に口実を作る。

「──実はモデルを探していたんだ。俺のモデルになって欲しい」

 ポートレートなど、撮った事も無いのに。

 ハリアカは、ほんの少しだけ驚いた表情で、ワイルアを見つめて来た。

 その瞳は、今まで見て来た空や海のどんな青よりも透き通って、美しいと思った。

 しかし、すぐに目を細めて、口元を緩めた。

「私より、もっと相応しい方がいらっしゃいますよ」

 表情は笑っているが、瞳の奥は警戒心が滲んでいる。

 だが、そう言って背を向けたハリアカに向かって、ワイルアは声を上げた。

 市場の喧騒の中でも、彼にしっかりと届くように。

「きみじゃなきゃ駄目なんだ!」

 ハリアカは足を止める事なく、子供達を連れて去って行く。

「──明日、この時間! ここで待ってる‼︎」

 ひとしきり叫んだ。口の中が渇き、喉が痛い。無理矢理、唾液を分泌させて、ゴクリと喉を鳴らした。

 鼓動も激しく、肩が上下するほどに息が苦しい。

 いや、それよりも金色の髪が群衆の中に消えて行くのを、ただ見ているだけの方が、胸が痛く苦しい。

 声は届いたのだろうか。届いていて欲しい。

 目を見開いて、彼の後ろ姿を必死で追う。

 ハリアカが連れている子供の内、二人が名残惜しそうに振り返った。

 そして彼の袖を引っ張って、何か言っている。

 少なくとも、子供には届いたようだ。

 が、すぐに彼の金色の頭は、雑踏に紛れて消えてしまった。

 ワイルアはしばらく呆然と立ち尽くす。

 本当に彼は存在していたのだろうか。

 そんな疑問も頭をよぎった。

 それほどまでに、彼はこの喧騒と不可触民の集まる場には似つかわしくなく、美しくもあり、儚げでもあった。

(──参ったな…)

 ワイルアは、無造作に伸しっ放しの少し癖のある黒髪に指を入れて、頭を掻いた。

 今までストレートを自認していたはずなのだが、すっかりハリアカに魅了されてしまっていた。

 さしずめ、彼はこの市場という混沌に光る、真珠のようだった。

 何故、彼に惹かれたのかも、説明がつかなかった。

 これまでにも貧しい国やスラム街に足を踏み入れて来た。大概、そのような場所の住人は、逆境を打ち払うように豪快に笑う人か、自分の境遇を受け入れ、楽しんでいる人がほとんどだった。

 だから単に、教会で見た聖母子像の聖母のように、静かに笑う人を見たことが無かったからかもしれない。

 自己嫌悪に陥りながら、トボトボと人混みを横断して、川沿いに向かって歩く。

 市場の喧騒は続いている。

 人の波に揉まれながらも、何とか横切る。

 そして堤防に辿り着くと、そこにカメラを置き頬杖をつく。

「──はぁーー…」

 大きな溜め息が出た。

 人と関わるのは嫌いではない。

 それでも今回の自分の行動は、いつになく大胆だったと思う。

 今までは──撮影する相手を選び、許可を取り、ただ生活を切り取るだけだった。子供の世話をする母親、賃金に見合わない重労働をする男達、元気に遊ぶ子供達、その国ならではの市場やお祭り。

 どちらかと言えば、エネルギッシュな『動』の作品だった。

 しかし彼は明らかに『静』の部類に入る。周りに子供達が居たとしても。

 それなのに。

 彼にだけは、勝手に動いた。

 心が。

 身体が。

 生のエネルギーに溢れた市場の中に、彼の微笑みだけが凪いでいた。

 そして、それだけが脳に焼きついた。今では使わなくなってしまった、ポジフィルムのように。

 あれは、単なる言い訳だったはずなのに。

 おまけに、また会いたくて、名刺まで渡そうとしてしまった。

「──……マジかよ、俺」

 ワイルアはケースから一眼レフカメラを取り出すと、対岸が見えない程の大河に向けて、構図も考えずシャッターを切る。

 液晶画面を見ると、茶色く濁った水面の上を、波に飲まれそうな小舟が数隻か浮かんでいる。手前には岸で洗濯をしたり、水浴びをしている現地の人々や漁師達が写っている。

 これはこれで悪くない、と思った。

 しかし、今はラチチュードが広い写真よりも、ポジフィルムのような繊細な写真が撮りたい気分だった。

 ラチチュードの狭いポジフィルムなら、きっと市場の『動』と、彼の『静』の対比を美しく、切り取ってくれるだろう。

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