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一揃いの曙光《Quantiz and Synesthesia》  作者: 弥都 史誠
第八章

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19/19

16.まだ来ぬ夜明け。①

 フイも立ち上がって、一つ手を叩いた。

「はい、今日はお終い‼︎ みんなお風呂の準備して!」

 それを合図に、他の子供たちも残念そうな声を上げながら、渋々立ち上がる。

 ワイルアはノートパソコンをバックパックにしまっている。

 ハリアカも急いで立ち上がり、ワイルアの元へ行く。

「あの…宿坊に案内するから」

「ああ、ありがとう」

 ワイルアはそう言って、バックパックのジッパーを閉じた。

 バックパックを持ち上げて、一回振り下ろす。ガサリと音がして、形が整った。

 それを背負う。

 ずしりとショルダーストラップが肩に食い込んだ。

「──よし、行こうか」

「うん…」

 ハリアカは一旦、子供たちの様子を見る。

 フイが率先して、寺院に併設された施浴室へ行く準備をしている。

「もう! ランギも手伝ってよ‼︎」

 フイに任せておけば大丈夫、とハリアカは判断する。

「──じゃあ、案内するからついて来て」

 孤児院の扉を開けると、冷えた外気が吹き込んで来た。

「寒いな」

 ワイルアは一瞬、身震いをする。

「──きみは寒くない?」

 ワイルアの引くスーツケースの車輪の出す音が、ゴロゴロからガラガラに変わった。

「私は大丈夫。この時期は、夜になると冷えるから…えっと」

 ハリアカは一瞬言葉に詰まる。いや、胸の奥が訳もなく揺らいだ。

「──気を付けて、ね」

 ハリアカは扉を閉める一歩手前で、子供たちの様子を見る。

 奥の部屋に移動した子供たちの姿は見えない。しかし相変わらず、フイの叫ぶ声と他の子供たちのふざけ合う声が聞こえた。

 ハリアカは安心して、ゆっくりと扉を閉めた。

 振り返ると、月明かりとアラ・ウェトゥ(星の道)を背景にしたワイルアが立っている。

 その姿に、ハリアカは息を飲む。宿坊の鍵とショールを持つ手を胸の前でキュッと握る。

「大丈夫そう?」

 軒で揺れる蝋燭の灯りが、ワイルアの表情を照らしている。

 優しい彼の闇色は、いつしか甘い恐怖になっていた。堤防を降りる時に感じた狼と兎ではない。

 まるで春の祭事に焚かれる香のような、柔らかな風に包まれたような感覚。

「うん…着いて来て。案内するから」

 頬が熱くなるのを感じながら、ハリアカは宿坊へ歩き始めた。

 背後からワイルアの引くスーツケースの車輪の音がする。

「星、綺麗だなぁ」

 ワイルアが独り言のように呟く。

 ハリアカは、スーツケースのガラガラ音で聞こえないふりをする。

 ワイルアは万の星空から視線を外し、ハリアカの後ろ姿に目を落とす。

 歩を進める度に、背中の金色の髪が揺れている。

 昨日は雑踏に消えた金髪が、今、自分を先導してくれている。

 その金髪が月明かりで、白金に輝いていた。

(そう言えば、今日は髪を結んでいないんだな)

 ワイルアは肩の三脚を担ぎ直す。

 あぁ、そうか、とワイルアは、アラ・ウェトゥ(星の道)とハリアカの後ろ姿を重ねる。

 天の星には、どれだけ手を伸ばしても届きはしない。しかし、目の前の輝く白金は掴もうとした瞬間、星屑のように煌めきながら崩れてしまうような気がした。

 タプの樹の下で、風に髪をそよがせるハリアカ。その姿が樹の精霊のように見えた理由が判った気がした。

 そっとハリアカの後ろから手を伸ばしてみる。

 消えてしまわないか、確かめたくて。

「部屋、ここ」

 宿坊の一室の前で、ハリアカが振り返った。

 ワイルアは咄嗟に手を引っ込める。

「──…どうか、した?」

 少し首を傾げたハリアカの、不思議そうなカフランギ()が見つめていた。

「いや…、何でも」

 ハリアカに触れようとした事に、バツが悪く感じて、目を泳がしてしまった。

 カチャカチャと金属音がして、扉が開かれた。

「ゲストハウスより狭いけど…、どうぞ」

 扉を開けたハリアカが、部屋へと誘う。

「あぁ…ありがとう」

 先に部屋へ入ったハリアカが、部屋の明かりを点ける。

 孤児院の部屋と同じような簡素な部屋。

 中央に一枚、色褪せた絨毯が敷いてあった。家具らしいものは、サイドボードが一台置いてあるだけだった。片隅に毛布が畳んで置いてあった。

 宿坊は本来、寺で修行をする僧が宿泊する場所。観光客を相手にする宿泊施設と同じ待遇を期待してはいけない。個室であるだけマシだった。

 ワイルアは、とりあえず奥の壁に三脚を入れた袋を立て掛ける。

「えーっと…、あっ」

 荷物を一つ一つ壁際に置いて行くワイルアに、ハリアカが思い出したように、声を上げた。

「──お手洗いは私たちの家か、お寺のを使って」

 全ての荷物を下ろしたワイルアは、背伸びをする。

「あぁ、判ったよ」

 続いてスーツケースを開く。中から必要な物を取り出し始めた。

「あと、お風呂は施浴室を使って」

「せ、せよく?」

 ワイルアは初めて聞く単語に、ハリアカへと振り返る。

 彼は開けたままの扉の前で立っていた。

 あのダックブルーのショールを腕に掛けて。

「あ…」

 ハリアカは何かに気付いたように、小さく呟いた。

「──施浴室はみんなが使えるお風呂。みんな仕事に行く前とか…自由に使えるから」

「へー。公共浴場みたいな物か」

 今度はハリアカが首を傾げる。

「こう…きょう…?」

「みんなが使える大きなお風呂だよ。俺が入ったのは“温泉”って言って、土の中から湧き出すお湯を使った風呂でね」

 ワイルアはハリアカになるべく判りやすく説明をする。

「──水着を着て入るんだ。温かいプールみたいなものかな」

 ハリアカはワイルアの話す内容が判らず、静かに眉間を寄せて、首を傾げる。

「──天気の良い日は、雲一つ無い青空が広がって…」

 着替えとタオルを取り出す。

 立ち上がって振り返ると、ハリアカは寂しそうな表情かおをしていた。

「──あ、ごめん」

 ワイルアの謝罪に、ハリアカは首を振る。

「ううん…」

 精一杯の笑みを浮かべる。

 正直、楽しそうに自分の知らない世界を語るワイルアと、距離を感じてしまった。

 市場で三脚を渡した時に触れた指先から感じた冷たさに似ていた。

「──じゃあ、私は行くから。これ、部屋の鍵」

 扉の横にある、フックに鍵を吊るす。

「──何か判らなかったら聞いて」

 急にこの場から逃げ出したくなって、去ろうとする。

「ちょっと待って‼︎」

 ワイルアが慌てて呼び止める。

 タオルと一緒に手にしていた財布を開く。

 ゲストハウスのセキュリティボックスに入れていた、予備の財布だった。

 そこから現金を取り出して、ハリアカへ差し出した。

「これ、さっきの夕飯代」

 ハリアカはその手をジッと見つめる。

 ワイルアの手には、皺くちゃの紙幣が三枚乗っていた。

 明らかに多い金額だった。

「気にしなくて良いのに…。こんなに…受け取れない」

 ハリアカが一歩下がる。

「良いんだよ。モデル代も込み…だと少ないくらいだ」

 ワイルアはハリアカの手を取ると、半ば強引に現金を握らせる。

「でも…写真はあの子たちが…」

 握られた手から、ワイルアの体温が溶け込んで来る。

 その熱が腕を伝わり、心臓へ到達する。

 熱が心臓を包む。息が出来なくなるほどに苦しい。

 ワイルアから逃れようと手を引くが、放してくれない。

「じゃあ、これであの子たちに美味いもん、食わせてやってくれ」

 ワイルアは現金を握らせたハリアカの拳を、ぎゅっと握る。

 ハリアカはワイルアの笑みを見て、何も言えなくなる。

 子供たちの為だと言えば、自分が断れない事を見抜かれている。しかし、夕飯代を肩代わりした事で、金銭的に苦しくなったのも現実で…。

 断っている場合ではないのも事実なのだ。

「それなら…ありがとう」

 消え入るような声でお礼を言った。

 ハリアカは紙幣を丁寧に折り直す。上着の下から巾着を取り出して、それをそっと入れた。

「──あとは…えっと…」

 ハリアカはワイルアに伝えるべき事柄ことがらは無いか、考えを巡らせる。

 余計な事は、早く頭が追い出したかった。

「──あ、ご飯! ご飯もお寺で出してくれる。お金、出るけど市場で食べるより安く済む」

 彼は自分たちとは住む世界が違う。これ以上、近付いてはいけない人物だと、ハリアカの理性が警告をする。

 昨日感じた直感は、間違っていない。

 彼は平穏だった心を、掻き乱す一雫。

 そう言い聞かせる。

「そうなんだ。何から何まで助かったよ。ありがとう」

 ワイルアが自分を見るポウリウリ(闇色)が、ノートパソコンの写真を見ていた優しい視線と重なる。

「じゃあ…おやすみなさい」

 くるりと背を向けようとする。

 その時、今度は腕を掴まれた。

「──え…?」

 驚いたハリアカが小さく声を上げた。

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