13.彷徨う琥珀色は、②
再び市場に戻って来る。
既に商品が片付けられた店がほとんどで、残った店主たちも片付けをしている。
大声で、この後屋台で飲むか、どうするか、相談している声も聞こえる。
朝に感じた、むせ返るようなスパイスや生魚のにおいも、ほぼ無くなっている。
今居る場所から、ショールの店を見つける事は出来なかった。
あの女店主が言っていた通り、ここでは自分のような異邦人は、人も商品も景色も一期一会なのだと思った。
再び足を止め、少し後ろを歩くハリアカを見る。
市場の様子を見ていた彼が、ワイルアが立ち止まった事に気付く。
「──三脚、やっぱり自分で持つよ」
ワイルアが手を差し出す。
ハリアカは不思議そうに見つめて来る。
「──自分の物だからね」
彼には、女店主が「この出会いは運命」だと言っていたショールだけを持っていて欲しいと思ったのは依怗だろうか。
ワイルアは半ば強引に、ハリアカの肩から三脚を降ろす。
ハリアカは少し眉尻を下げて、ワイルアへ三脚を渡した。
受け取った時に触れた彼の指先が、冷たく感じる。
そんなつもりでは無かったのだが、折角近付いた心が、再び離れてしまった気がした。
「でも…重くない? だって…」
ハリアカの視線は、ワイルアが背負っているバックパックを見ている。
ワイルアは大きなバックパックを背負い、レンズや小物を入れた肩掛けバッグ、大きな一眼レフカメラを首から提げている。
「これくらい、いつもの事だよ」
「いつも?」
ワイルアは三脚を肩に掛ける。
「早く行かないと、あの子らに置いていかれてしまうぞ」
ワイルアは顎で、先を行く子供たちを指し示す。
ハリアカが見ると、先頭を行くフイとアタアフアは夕暮れの闇に消えそうな程、遠くにいた。すっかり市場からは抜けている。その少し後ろに二〜三人、更に後ろにワイルアのスーツケースを持つランギと残りの子供たちが居た。
「……あっ」
ハリアカは小さく呟いた。
そしてワイルアを見て、頷いた。
子供たちに追い付くように、少し歩みを早める。
「──いつも、そんなに大荷物なの?」
ハリアカは遠慮がちに、ワイルアに問いかけた。
「まぁ、そうだなぁ。カメラとレンズ、三脚、ノートパソコンは必需品だから…、いつもこれくらいの荷物は当たり前かな」
ハリアカは写真家の仕事が、如何に重労働なのかを知った。
それがきっかけになり、ハリアカは彼の事をもっと知りたくなっていた。
「今まで、どんな所に行ったの?」
「俺はまだ駆け出しだから、あまりあちこちには行ってないけど、南の島から北の大地まで行ったよ」
「今回は、どうしてここを選んだの?」
「単純に面白そうだと思ったんだ。首都はあんなに発展しているのに、ここは何十年も遅れたような生活をしている。そんな街が国中あちこちにある。そこの住人がどんな生活をしているのか、知りたかったんだ」
「ここが…面白い…」
ハリアカはその感覚が判らず、考え込むように呟いた。
物心ついた時には、ここで暮らしていた。
この辺境の貧しい街が、面白いと思った事など無かった。
それをこの人は「面白い」と言う。
もし自分も他の土地を見れば、そこが「面白い」と感じるのだろうか。
市場を抜けて、住宅街に入る。
市場の混雑が、時間を経てこちらに移って来たようだった。
築年数など判らない程古く、修繕も追いつかないような壁や窓がある、間口の細い二階建て、三階建ての家が続く。
このほとんどが、市場で働く人々の住居だ。
ただ、不可触民が住んでいる家にもかかわらず、外壁はピンクや水色といった色で塗られている。
それがまたワイルアの嗅覚が、ここを選んで間違いなかったと確信させた。
「あぁ、面白いね。何より人々の生命力が段違いだよ。でも一番感じたのは…」
きみと出会った事だ。
人生観も信念も、全部ひっくり返されてしまった。
しかし、ワイルアは言い淀む。
それを伝えるのは、今じゃない気がした。
「──いや、何でもない」
思考を振り払う為に、ワイルアは頭を左右に振った。
そのワイルアの行動に、ハリアカは抱えているショールを握りしめた。
彼の答えを期待してしまった。
一番感じたのは、自分と出会った事だ、と答えてくれると。
微かに感じている恐怖の正体を、拭い去ってくれると思った。そうすれば、彼のポウリウリの瞳の奥にある、暖かなテ・アオ・マラマに包まれると思った。
そんな自惚れが嫌になって、小さく溜め息を吐いた。
何故か悲しくなって、胸がしくしくと痛んだ。
住宅街の一番奥に、明らかに住居ではない小さな門が見えて来る。
先に到着した子供たちが、その前で待っていた。
「早く、早く〜〜‼︎」
フイの叫び声が聞こえた。
「今、行くよ!」
ワイルアが叫んだ。
「──走れる?」
ワイルアがハリアカに問う。
「う…うん。でも…」
ハリアカは頷くが、ワイルアの持つ大きな荷物を上から下に、その青い瞳を滑らす。
「──でも、あなたは大丈夫なの?」
「俺? 俺は無理! あははは…‼︎」
ワイルアは豪快に笑った。
ハリアカも釣られて笑う。
「ふっ、ふふっ。何それ」
ハリアカはワイルアの黒いTシャツの、腰の部分を後ろから、恐る恐る少しだけ摘む。
「──私はあなたと一緒に…」
ハリアカはふっと笑ってワイルアを見る。
ワイルアの驚いたように見開いた目と合った。
「──歩いて行くから」
ワイルアもふっと笑い返す。
「あぁ、ありがとう」
「もう! 何やってんの⁉︎」
フイが再び叫ぶ声が聞こえて来る。
辺りはすっかり暗くなっていた。
門の内側から光が漏れて、子供たちの黒い影が飛び跳ねていた。




