1.瞬きの中で見たきみの光に憧れて、
世界中を旅しながら、良い景色を見つけては持ち金が続く限り滞在して、その土地の写真を何千枚も撮る。
プロの写真家としては、まだまだだが個展を開けば、そこそこの客は入り、その利益でまた旅に出る。
彼と出会った…否、見かけたのは、その旅の中でだった。
決して裕福な国とは言えない、発展途上国の一つ。ただ、人口は世界でもトップクラスに入る程多い。
この国には、現地の人々でごった返した市場が沢山ある。その内の一つにやって来た時だった。
ここを選んだのは、単に滞在費が抑えられて、国内でも一番活気ある市場があるからだ。
商人の客を呼び込む声や、客と商人が値段交渉をしている声。親が買い物をしている間に、時間を持て余して走り回る子供達の甲高い声。
肉や魚の、お世辞にも良いとは言えない臭い。それから、何十種類とも言える香辛料の鼻腔の奥を突くツンとした、むせかえるような香り。
そして色とりどりのビーズで作られたアクセサリーや、鮮やかな布で作られた雑貨や衣服を扱う店。
五感の全てを刺激する、あらゆる物がここには揃っている。
良い写真が撮れる。
そう確信めいたものがあった。
両手の人差し指と親指を使って、画角を決める。納得行く構図が決まると、カメラのシャッターを何枚も切った。
液晶画面で撮影した写真を確認する。
(うん、なかなか良いな)
雑貨屋の前で、客が店に展示してあるバッグを指差し、大きな花のような柄の入ったそのバッグを、初老の恰幅の良い女将が取ろうとしている場面だった。
「ほらほら、退いた退いた〜!」
背後から男の大声がして振り返ると、屈強な体躯の中年男が、大量の魚を乗せた台車を引いて向かって来ていた。
ぶつかって、大切な商売道具を壊されては、溜まったモンじゃない。
と、道を開けた。
目の前を通る台車の荷物を見る。
どうやら市場のすぐ横を流れる濁った河から獲れた魚を運んで来たらしい。台車の上のカゴで、大きな魚は口を苦しそうにパクパクとさせ、小魚はピチピチと跳ねていた。
男を見送ると、その先に数人の子供を連れた、男とも女とも取れない客らしき人物がいた。
胸の辺りまである金髪を、緩い三つ編みに結んで、右側へ垂らしている。少し痩せ気味で、背は自分より低く見えるが、女なら高い方に入るだろう。
生成りの膝丈まである服が、その肌の白さを際立たせている。
両サイドに骨盤辺りまでスリットが入った上着。そのスリットから覗くズボンという民族衣装から、その人物が男であると分かった。
「ほら、危ない。こちらに来て」
彼は台車にぶつかりそうになった子供の一人を、自分の方に引き寄せた。
「びっくりしたぁ」
その女の子が、その彼を見上げて言った。
彼女の両手は、買い物をし終わった大きな袋を抱えている。
「いつも、ちゃんと前を見て、と言っているでしょう?」
声は思ったより低い。だが、口調はあくまで柔らかい。
「はーい、ごめんなさい」
「ハリアカ〜、次は何処に行くの?」
別の男の子が声を掛ける。その男の子も大きな荷物を持っていた。
ハリアカと呼ばれた、その人物は優しく笑い掛ける。
「あとはお米を買うだけですよ」
その笑顔に、自然とファインダーを向けていた。
現地に根付いた、その土地の人々の生活そのものを切り取るのが自分の作品の持ち味だ。しかしこの時は、その金髪の彼が子供達に向けた表情のみを切り取ってしまった。
男の子から視線を外す彼と、目が合った。
彼は口元を僅かに緩めると、軽く頭を下げた。
「──さあ、行きましょう」
「はぁ〜い」
何故か「ここで声を掛けなければ、二度と会えない」気がして彼に駆け寄った。
「…っ、すまない。無断で撮ってしまった。その…きみの、写真を」
慌てて肩掛けバッグから名刺を取り出して、彼に差し出した。
「──俺はワイルア。写真家なんだ」
ハリアカは突然の事に驚いているのか、少し口を開けて、不思議そうに小首を傾げた。
「──あっ…と。受け取って貰えないなら、それでも良い。だが、許可無くきみを撮影してしまった非礼だけは伝えさせて欲しい。写真も削除する」
彼にカメラを差し出して、その写真の画面を見せる。
すると、好奇心旺盛な子供達が背伸びをして、ある子は手首を掴んで覗き込もうとして来た。
「ねえ、見せて‼︎」
「俺も見たい!」
仕方無く少し屈んで、子供達に画面を見せる。
そこには背景が意図的にボカされて、子供達にのみ向けられた、陽だまりのようなハリアカの笑みだけが切り取られていた。