57イエンス殿下にお願いしてみる
イエンス殿下から呼ばれて彼の執務室に伺う。
「殿下。セリ様がお越しです」
護衛兵が扉をノックして中から少し強張ったような声がした。
「ああ、入ってくれ」
アーネの魅了魔法はかからないようにしてるからきっと大丈夫だと思うけど?
何しろ今までそんな魔力なかったから効果がどうなのかなんてわからない。
また毒とか盛られてたら?
急に吐き戻したことが思い浮かぶ。
ふっと脳内に浮かぶ言葉。
『イヒム様?私って無効化魔法も使えるようになったんですよね?彼、大丈夫かな?』
『はっ?セリあんた神なめてんの?私が力を貸してるんだよ。効いてるに決まってんだろ!』
『信じていいんですね?』
『入ってみればわかるだろ!ったく‥』
神様のぼやき。しかし、イヒム様って口わるっ!
「失礼します」
中に入るとウエルカムモードのイエンス殿下。
「やあ、セリ殿。先ほどは私の魔法を解いていただき感謝する。おかげであなたがとても素晴らしい聖女だと分かった。ああ、すまん。さあ、こちらに」
魅惑的な琥珀色の瞳がとろけるような視線でこちらを見る。
わかっているのか銀色の艶艶の髪をさらりと掻き上げすっと私の前に手を差し出す。
「あっ、わ、はい」
私はその手は取らずに部屋の真ん中にあるソファーの端に座った。
日本人はこんなエスコートには慣れていないがセリーヌだった時の記憶ではやった事もあるが。
はぁ、顔が熱い。多分私、顔が赤い。
「やはり、セリ殿は聖女なんですね。その‥可憐な仕草もそんなに赤くなる顔も可愛いな」
ぼそりとつぶやく殿下。
あの、これまでの態度と滅茶苦茶変わってません?
一体、この短い時間の間に何があったんだろう。
彼が向かいのソファーに座る。
「セリ殿。いや、すまなかった。あなたを聖女ではないと疑って。知っての通り私はアーネの魅了魔法にかかっていた」
そこで言葉を切るとイエンス殿下は私を見た。
そうだろう?と言わんばかりの態度に思わずこくんと首を折る。
だろう?わかってくれるよね?みたいな目の動き。
「だから、君にあんな失礼な態度を取ってしまった。どうか、許してほしい」
広い執務室の中心で二人きり。
良く通るイケボイスな声で、真っ直ぐ背筋を伸ばした後頭を上げられそんな事を言われると嫌とは言えなくなる。
「はい殿下、事情はよくわかりました。私もあれは仕方のなかった事と思っていますので、どうかもうお気になさらず」
「そうか」
上げた顔はパッと花が開いたような満面の笑顔で。
はぁ~眼福眼福。
「おい、お茶を」
さっと声をかけると待ってましたと扉が開いて侍女がワゴンを引いて入って来た。
次々と出されるお菓子、紅茶は美しい金色をしていていい香りが鼻腔をくすぐった。
侍女はお茶を出すとすぐに出て行った。
扉の表には護衛肺がきっと静かに立っているのだろう。
ただ、部屋の中にはイエンス殿下と私だけ。
「遠慮せず飲んでくれ。もちろん毒は入っていないから安心して」
クッと笑い自らカップを口にする。同じティーポットから注がれた紅茶だ。
「はい、いただきます」
これ、きっと高級茶葉なんだろうな。いい香り。おいしい。
イエンス殿下が紅茶を一口飲むとカップを置き話を始めた。
「知っての通り我が国にはすぐに月喰いの日が来る。呪気を払うために他国の聖女にお願いをして浄化をしてもらうんだが‥もちろんアーネ殿もいる。だが、セリ殿あなたも聖女だと分かっている。あなたに取った態度は本当に悪かったと思っている。だからあなたにも月喰いの日の浄化をお願いできないだろうか?」
イエンス殿下は一気にそこまで話しを進めた。
途中で話を遮れば断られるかもしれないと危惧したのだろう。
私は内緒ででも浄化をするつもりだった。スヴェーレに帰ってあの地でやってもいいと思っていた。
でも、状況は変わったのだ。
イヒム様から聞いた本当の事を話して今必要なのは一刻も早くあの毒草ザンクの花を何とかする事だと思うから。
私は一度息をくっと吸い込んだ。
「そのことですが、殿下。よく聞いてください。月喰いの日の呪いなんてものはないんです。あれはずっと昔に獣人が勝手に言いだした迷信なんで」
「いや、ちょっと待ってくれ。呪いが何でもない?いや、あなたは知らないからそんな事が言えるんだ。実際に今までにあの日に呪気を浴びて魔物になった獣人がたくさんいるんだ。はっ、それを迷信だなどと‥」
彼の口調には侮蔑も混じっている。
何も知らない人間が何を言ってるんだ?みたいな。
まあ、そうなるよね。普通。皆既日食も仕組みが分かるまでは神の怒りだとか厄災が怒る前兆だとかいろいろ言ってたんだろうから。
「まあ、百歩譲って月喰いの日の呪いがあるとしましょう。でも、今やるべき事は百年に一度咲くと言うザンクの花を何とかしなければならないと言う事なんです。あの花には毒があります。それも猛毒なんです!」
私は知ったばかりの新情報に浮かれていた。
これさえなんとかすればと焦っていた。
「ああ、それは文献で呼んだことはあるが」
「ザンクの花は月喰いの厄災がある年に咲くんです。あの花の毒こそが獣人を狂わせるんです。あの花の毒は理性を奪い獣人を獣化させて狂わせる毒があるんです」
猛追。
あれ殿下。目が点。
あの、しっかり。聞いてる?
「‥セリ殿が言いたいのは、ザンクの花に毒があって危険だと言う事か?」
「はい、そうです。だから「わかった。それは月喰いの日が終わったら対処しよう。しかし!今は何より月喰いの日の浄化に力を注いでもらいたいんだ。セリ殿どうか頼む」‥‥」
イエンス殿下はやんわりと、だが、確実に否定する。
そしてもう何も言うなと言わんばかりにその場で頭を下げた。
「殿下それはわかっています。ですが先にザンクの花を「いや、まずは月喰いの日の浄化をお願いする。今はそれが最優先なんだ」ええ、そうかもしれませんが」
「いや、セリ殿には王都の浄化をお願いしよう。そのためにも。さあ、セリ殿も教会で祈りを捧げてくれないか?ちょうど今、アーネ殿にもお願いしていて‥まあ、色々あったんだろうが今は二人力を合わせて欲しいんだ」
「アーネと協力しろって?‥」
そんなの無理に決まっている。
それに、これは堂々巡りってやつか。
何もわかってない。まあ、無理かも。
でも、困ったなぁ。
彼が当てにならないとしたら‥カイヤートしか?
あんな奴に?
ぼやっとしていたら殿下が護衛兵を呼んだ。
「護衛兵、セリ殿を教会にご案内してくれ」
「殿下。私、アーネと一緒なんて無理ですから。それに私の話聞きましたよね?」
「ああ、だが、それは跡だと言ってるんだ!」
「わかりました。そう言う事なら浄化もしません。私は部屋に戻らせて頂きます。では、失礼します」
私は心底いやそうな顔をしたので殿下はむすっと顔を強張らせた。
しばし考えて。
「‥これほど私が頼んでいるのに?浄化出来ないと?」
あれ?何だか雰囲気変りました?さっきまでのお願いパターンから一気に強硬姿勢に?
何よ。こっちの話も聞かないくせに!!
「浄化はしますよ。ザンクの花のですけど」
「あのな。さっきから何度言えばわかるんだ?聖女殿。あまり無茶を言うならこっちにも考えがある」
この時私は、ああ、悲しいかな。前世の記憶があるばかりに皇族に逆らうことがどれほど不敬か考えていなかった。
「護衛兵!聖女を牢に。月喰いの日まで拘束する」
「ははっ」
がたいのいい護衛兵が私の腕を掴んだ。
「何するんです。私は部屋に帰らせていていただきます。殿下、卑怯ですよ。力ずくでやろうなんて!」
口ぎたなく殿下に抗議する。
「それが?私はこの国の皇太子何だぞ!聖女一人どうにでも出来るに決まっているだろう?さあ、とっとと連れて行け!」
ここでやっと私はもっとうまく立ち回るべきだったと後悔した。




