32いえ、引き受けたわけではありません
その時扉がノックされた。
どうぞとリンネさんが言うと入って来たのはカイヤートだった。
彼は着替えをして黒い軍服の上着を着ていた。
袖口には美しい金糸の刺しゅうが施されさすが皇族と思わせるようなものだった。
黒髪はきちんと整えられ後ろで束ね腰には剣を下げている。
一応皇子と聞いた。あんな奴などと思ってはいけないと認識を改める。
「大叔母様、実はお話が」
「何かしら?」
リンネさんは立ちあがりカイヤートに近づき二人が話をする。
やけに緊張した面持ちでいつもの彼とは思えない。
『大叔母様クラオンが話をしたと思いますが、我々はセリ様こそが聖女だと確信しました』
小さな声で何を言ったか聞こえない。
「まあ、やっぱり~。そうよね。セリしかいないわよね。もう、絶対よね。私の今その話をしていたところなの。さあ、カイヤートあなたからもセリにお願いしなさい」
カイヤートがさっと視線をこちらに向けた。
目が合うと彼がすっと頭を下げて礼をした。
慌てて私も経ちあがって淑女の礼をする。
やけに改まっている。
カイヤートが真剣なまなざしを浮かべて近づいて来る。
狼獣人が改まった顔をするとこれはもうかなりの破壊力だと思う。
「セリ様、我らのお願いをお聞きいただきたい」
私の前まで来ると彼はさっと跪いた。
「あの、そんな畏まられては困ります。私はこの国では貴族でもありません。ただの平民と同じ扱いです。なので!」
わたわたと焦ってしまう。
「いえ、これは正式なお願いですので‥あなたに聖女として王都リクヴェに来て頂きたいのです。どうか我が国を助けていただきたいのです」
「そんな事をいきなり言われても困るんです。リンネさんからも聞きました。ですが私が聖女なんて‥無理です!」
「無理じゃない。セリにしか出来ない。セリなら絶対に。いや、俺が命に変えてもセリを守るからだからお願いだ。聖女として月喰いの呪いを浄化して欲しい。もちろん国中すべてを浄化できるなんて誰も思っていない。王都の浄化だけでいいんだ」
「ええ、セリその通りよ。過去の聖女たちも完璧ではなかったの。だから魔物になった人もいて‥でも何もしなければ甚大な被害が出るのは確かなの。だからお願い」
「でも‥そんなの。そんな責任負えません。私には無理です」
だって、もし失敗したら?私のせいで魔物になった人はどうするのよ。そんな重い責任を他国の人間に背負わせる気?
私の身体は震えた。腕をぎゅっと組んで必死で恐怖に耐える。
その時だった。
いきなりぎゅっと抱き込まれた。
「ごめん。セリに辛い思いをさせようとしたわけじゃないんだ。ただ‥さっきの魔物を浄化したセリはほんとに凄かったんだ。自分ではそんな事を思ってないかもしれないがあの力は本物だと思う。でも、いいんだ。セリが嫌なことを無理強いするつもりはないんだ。ごめんな」
その声は辛そうにしゃがれている。
見つめる瞳はものすごく心配そうで、赤色の瞳孔が揺らめいている。
抱き留められた腕の中でゆっくり息を吐く。
どうしてそんな目で見つめるの?カイヤートは私が番だって言ってた。
でも、そんなものを信じるほど私はばかじゃない。
でも、この国の人にとって聖女がどれほど大切な存在かって事はわかる気もする。
シェルビ国の<真実の愛>の相手のようなものだろう。
シェルビ国ではいつかやって来る魔粒毒の大量発生。でも、プロシスタン国ではもうすぐ必ずやって来る月喰いの呪い。
はぁ~もうどうすれば?
いえ、ちょっとこれどう見たって近すぎじゃない?
「あの‥カイヤート様でしたっけ?わかりましたから、ちょっと離れて頂けます?」
「セリ?今わかったって?いいのか?聖女を引き受けてくれるのか?マジ、やばいから。大叔母様聞きましたよね?セリが引き受けてくれました」
「いえ、ちがっ!いいから下ろしてください!!」
私はいつかのように暴れる。
カイヤートの腕を振りほどこうともがき肘鉄を彼の顎にくらわした。
「いてっ!セリ。これって愛の鉄拳か?」
嬉しそうに私を抱き込んでいた手を緩めて微笑む。
「いいから放してください!私は聖女を引き受けたわけではありません!」
私は彼の腕を振りほどいて立ちあがると急いで走って客間から逃げ出した。




