王宮中庭
王宮の中庭。
噴水の水音が静かに響く、朝の柔らかな日差しの下。
セリーヌは、護衛に導かれるまま歩を進めていた。
緊張に包まれる胸元に、優雅な風が吹き抜ける。
視線の先、花々に囲まれた石造りの回廊に、ひとりの青年が立っていた。
アルヴィン。
あの夜、バルコニーで出会った――彼。
「……来てくださったのですね」
振り返った彼の声は、前と同じく感情の読めないものだった。
それでも、セリーヌには感じ取れた。
その視線が、自分を真っ直ぐに捉えていることを。
「……突然のご招待に、少し戸惑いましたけど」
言葉を選びながら口にしたセリーヌに、アルヴィンは静かに頷いた。
「返事が来なかったので……一方的な手紙ばかり、すみません」
「……いえ」
(でも、どうして――わざわざ私に?)
胸の奥にひっかかる疑念。
もし、あの夜のように軽い気持ちなら。
そう思う自分がいた。けれど、それを言葉にしてしまえば、目の前のこの人とのすべてが崩れてしまいそうで――。
「こうして、もう一度お会いできて……うれしいです」
少しだけ俯いた彼の声音には、静かな熱があった。
「ほんの少しだけで構いません。……少しだけ、あなたと過ごす時間をもらえませんか?」
彼の申し出に、セリーヌは一瞬、返事を迷った。
だが、不思議とその言葉には――あの夜と同じ、優しい風のような何かがあった。
「……わかりました。少しだけ、です」
言いながら、心の奥底ではまだ警戒している自分を、セリーヌは否定できなかった。
(どうか、軽い気持ちでないことを――)
石畳を踏みしめる音が、朝の静けさに溶けていく。
中庭から続く小道は、季節の花々に彩られ、緩やかに王宮の裏庭へと伸びていた。
セリーヌはアルヴィンの少し後ろを歩きながら、周囲の景色に視線を巡らせる。
けれど、耳は彼の一挙手一投足に自然と傾いていた。
「……ここには、よく来られるんですか?」
セリーヌがそう問いかけると、アルヴィンは小さく頷いた。
「人の気配が少なくて、静かなんです。……考え事をしたいときには、よく」
(あぁ……やっぱり、こういう場所が好きなんだ)
あの夜の、バルコニーの彼を思い出して、セリーヌの表情が少し和らぐ。
「静かで……風も気持ちいいですね。街とはまるで別世界みたい」
「ええ……それに、花の香りも」
アルヴィンが足を止め、茂みの奥に咲いた白い小花に目を留めた。
それが何の花か、セリーヌは知らない。けれど、彼がそれを静かに見つめる横顔は――どこか寂しそうで、優しかった。
「……どうかしましたか?」
思わず尋ねると、アルヴィンはふと視線を戻し、小さく首を振る。
「いえ。……ただ、子供の頃に、母に連れられて来たのを思い出していただけです」
その声音には、どこか懐かしさと哀しみが混じっていた。
セリーヌは何も言えず、ただ隣を歩き続けた。
しばらく沈黙が続く。
けれど、不思議と苦しくはなかった。
むしろ、彼と共有する静寂は――心地よくさえあった。
「……さっきの手紙、読んでくれてありがとうございます」
アルヴィンが、ふと立ち止まり、こちらを振り返る。
その瞳は、まっすぐにセリーヌを見ていた。
「あなたと話せた夜のことが……ずっと、頭から離れませんでした」
セリーヌの胸が、かすかに脈打つ。
(……遊び相手を探しているだけ、なのかもしれない。でも――)
でも、目の前の彼の言葉に嘘はなさそうで、どこか、真っ直ぐだった。
「……あの夜は、私にとっても……少しだけ、不思議な夜でした」
自分でも驚くほど、自然に言葉がこぼれた。
それに、アルヴィンが静かに微笑んだ。
ほんの一瞬だけ――その笑みに、セリーヌの胸が少しだけ、熱くなった。