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冷えたお茶

エリスの合図ひとつで、サロンの空気が変わった。


「皆さま、こちらがセリーヌ・アルノワ様。地方からいらしたお嬢様で……アルヴィン様とは舞踏会でお会いしたのよね?」


その言葉に、数人の令嬢たちが興味深そうにセリーヌを見やる。


「まあ、あの舞踏会の夜? それはご光栄でしたわね」


「でも舞踏会のあとって、お手紙とか……何かあったのかしら?」


エリスは控えめに微笑んだまま紅茶を啜り、何も言わない。けれどそれが、まるで「察してほしい」と言わんばかりだった。


「うちの兄は舞踏会で少しだけ殿下と話していましたけれど……“付き合う方を選ばねば”と仰っていたわ。やはり、王族のお方に近づくのは、覚悟が必要よね」


「ええ。わたくしの叔母様も仰っていたわ。“立場の釣り合わぬ関係ほど、傷つくものはない”って」


(……わかってる。そんなこと、言われなくても)


セリーヌは笑みを崩さぬよう必死に気持ちを堪える。けれど心の奥で、冷たい水がひたひたと広がっていく。


「……あの、皆さま。アルヴィン殿下とは、ただ少し話しただけで……」


セリーヌがやっと声を絞り出すと、エリスが優しく、しかし明瞭に遮った。


「そうなのね。なら、誤解があるといけないから……はっきりさせておいた方がよさそうだわ」


エリスは立ち上がると、軽やかにセリーヌの隣に座る。

そして、ほんの少しだけ声を潜めて――けれど周囲に聞こえるように、こう囁いた。


「わたくし、アルヴィン様の婚約者なの。ご存じなかったかしら?」


一瞬、時間が止まったかのようだった。

令嬢たちの間に走るさざ波のようなささやき声。驚き、好奇心、そして――勝ち誇るような空気。


「ご婚約……それは正式に?」


「ええ、王宮での取り決めとして、すでに話は進んでいるの。正式な発表はまだだけれど、内々では皆、知っていることよ」


セリーヌの顔から血の気が引いていく。

それを見て、エリスはそっと紅茶を口に運び、微笑む。


「ですから、セリーヌ様。“ご友人”として殿下と関わるのは、あまり望ましくないと、わたくし思うの。……お互いのために、ね?」


それは――まるで言外に、“あなたがここにいる理由はない”と告げているかのようだった。


視線が、刺さる。


――あからさまに敵意を向ける者などいなかった。けれど、笑顔の奥に隠された「選別」の色は、セリーヌにも分かった。


(この場に、わたしの味方は誰一人いない)


カップを持つ手が、かすかに震えた。


隣の席では、貴族令嬢の一人が耳元で誰かと何かを囁いている。その目線は、明らかにセリーヌをなぞっていた。


「ドレスは素敵だけれど、あれ、仕立ては地方の工房よね」


「そうね。あの刺繍、王都の最新の流行からは少し前のものかしら」


声に出して言われてはいない。けれど、耳の奥に残るほど明確な“ジャッジ”が、空気に染み込んでいる。


(なんで、来てしまったんだろう……)


テーブルの上に並ぶ、煌びやかなティーセット。

会話の波にのまれる令嬢たち。

甘やかな香り、緻密な装花、まるで物語の中に迷い込んだかのような王宮のサロン。

――でもその中心に、自分の居場所だけが見当たらない。


気づけば手が膝の上で固く握りしめられていた。

爪が手のひらに食い込んでいるのも、わからなかった。


(誰も、わたしに話しかけてこない。目すら合わせようとしない)


ほんのわずかな気配や沈黙が、セリーヌを確実に“外”へ押しやっていた。


「……おかわりはいかが?」


ティーカップを差し出そうとした給仕に、セリーヌはかすかに首を振る。


喉が、乾いていた。でも、飲み込める気がしなかった。


「……セリーヌ様?」


エリスの柔らかな呼びかけに顔を上げると、その表情には一切の翳りがなかった。


「お疲れでしたら、どうぞ少しお休みくださいな。無理にお話に加わらなくても、大丈夫ですから」


(“無理に加わらなくても”……)


優しさを装った言葉の棘が、胸に突き刺さる。

セリーヌは静かに目を伏せた。


――帰りたい。


今すぐこの場から姿を消してしまいたい。けれど、それがどれだけ“愚か”なことかも分かっていた。


(……逃げるの? なにも言わずに……?)


自分の足で踏み込んだこの場所。

けれど、あまりに眩しすぎて、眩暈がしそうだった。

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