一章 銀雪の魔女 2
災花
今もなおファルス領を蝕む魔女の花の呼び名。災花の魔女に関連するものとしてそう呼ばれている。
曇天の下リヒトを乗せた馬車はリアヌス領へと続く街道を行く。
目的地は東側最大の都市、ラミル。そこを目指しここ数日は場所の上だ。
当然、理由はある。あの日以来、災花の魔女は人前に現れず、ファルス領は災花が行手を阻み踏み入ることさえ叶わない。つまり、かの魔女へと続く痕跡は皆無に等しい。
ならばどうやって見つけ出せばいいか。リヒトは大魔女の一角と接触することにした。
同じ大魔女ならば知っていることがあるやも知れない。
勿論不安はある。
奴らはこれまでに数多の人を殺し、恐怖を与えてきた。
魔女は悪魔の使いだ。まともに話せるかすら怪しい。
武装を外すつもりは更々ない。大魔女がこちらに牙を剥いたならば斬るのみだ。それだけの研鑽をこの五年でリヒトは積んだ。
魔女に手を出せば町ごと消されるという点も絶対ではないが考えがある。かつて『七賢人』達を中心として組まれた討伐軍。大魔女を討伐せんと戦った際、全滅こそしたもののどこかの町が消されることはなかった。
自分と同格の存在ならば問題ないという慢心か、そもそも大魔女に思い入れがないのか。どちらにせよこれを利用しない手はない。
彼が最初に選んだのは『銀雪の魔女』。
ケルト領に比較的近いリアヌス領に棲み、大魔女の中では最も若いと目される魔女である。
通常、魔術師は歳を重ねる毎に自身の魔力量が上昇するものだ。そしてそれは魔女にも当てはまる。長い生きた魔女程、人智を超えた魔力を有す。
最も若い魔女を倒せなければ他の大魔女を倒せる道理などないだろう。
侯爵邸を旅立ってから十七日。ここ既にリアヌス領内、もう間も無くラミルが見えるだろう。
ここに至るまで様々な町を、いや、正確には町だったものを目にしてきた。
建物は焼け落ち、異臭の漂う町。匂いのもとは人の亡骸だ。全身を焼かれたもの、切り刻まれたもの、吊るされて見せ物として晒されたもの。そんな遺体を山程見た。
骨や肉片が散らばる中、僅かに生き残った幼子の慟哭が響く。
その光景はまさに、地獄と呼ぶに相応しい。
数日が経った今も、思い出すと猛烈な吐き気に襲われる程にその記憶はリヒトの記憶に強く焼き付いた。
波だった心を落ち着けるために左手の薬指に収まった指輪に触れ、目を閉じる。
薄い日の光を受け、銀の輝きを放つそれは婚約を示すものであり、また、領地を離れられぬカリーナに己が生存を示すための魔法具でもある。
エルネーラ領を出立する直前、誓いの言葉と共に贈られた指輪。これと同じものを、彼女も持っている。
婚約指輪は二つで一つ。分たれた指輪は二人が結ばれるその日、今一度一つとなる。
指輪はから微かに感じられるカリーナの魔力に、心が凪いでゆく。
瞼は開けば、そこにあるのは油や絹といった数々の品。
外と比べてもより薄暗い幌の中。リヒトが頼み、乗せて貰った商人の幌馬車の光景に変わりない。
それでもどことない安心感があるのは不思議なものだ。
特にすることもなく、このまま眠ってしまおうか。そう考えた時、御者から声が掛かる。
「リヒト様。街が見えましたよ」
御者の方へと近づき、外に広がる景色を見やる。
灰色の空、高く聳え立つ石造りの外壁。
「あれが、城塞都市ラミルか……」
今まで見た都市の中では恐らく最も堅牢であろう場所。
リヒトの故郷たるファルスも難攻不落と呼ばれてはいたがそれは守護者ブローディア、最強と名高い騎士団が存在したからだ。ここまで巨大な城壁もその上に備えられた弩弓もありはしなかった。
ファルスが落ちた以上、帝都を除けばシュレイタルで最も守りの堅い地。
ようやく、たどり着いた。
門衛の立つ入り口へ目を向け、ふと違和感を覚える。
一瞬考え、すぐに思い至る。
人通りが少ないのだ。
ラミルは東側最大の都市だけあってかなり栄えている。しかも海が近いために塩も多く集まるのだ。
普段ならば商人も観光客もかなりの数が訪れる。街へ入るための確認で列ができることも珍しくはないと聞く。
だが、今はそれがない。
門前には兵士以外の姿はなく、入ろうとしているのはリヒトの乗る馬車だけ。
その理由をリヒトは知っている。
薄明かりの空を一羽の鳥が行く。春とは思えない程に冷たい風がリヒトの頬を撫でた。
壁の向こうの重苦しい空気がここからでも感じられる。
憂鬱な思いを抱え、リヒトを乗せた馬車は関所を潜り抜けた。
大分間を開けてしまい申し訳ありません。なにぶん気分屋で書き溜めというものができない人間でして。基本的にその日書いたものを流れで投稿しているので更新は不定期です。




