家のお隣
とある公立高校、生徒たちの声で賑わう昼休みの教室の片隅で、ふたりの生徒が向かい合ってスマホをいじっていた。
ひとりは名を伊弦、青白い顔ときっちり着込んだ制服が、内気で真面目な印象を与える。もうひとりは長束。皺と絵の具がついたYシャツの上から毛羽立ったセーターを着た、こちらも見るからに内気そうな生徒だった。
「昨日の夢の話していい?」
ソシャゲでガチャを回しているのか、伊弦の指が激しくディスプレイを叩く。
この伊弦という人間は、長束のクラスメイトである。部活でもクラスでも目立たない陰気な生徒である彼にはただ一つ、奇妙な特性があった。
「どうぞ」
長束は電子書籍を閉じて答える。
「どんな夢?」
「家のお隣っていう謎団体の夢」
「へえ」
伊弦は、夢見が凄まじく悪い。まるで奇妙な世界に迷い込んだような、悍ましく、鮮明で、緻密な悪夢を体験する。そしてそれを長束に語って聞かせるのが彼の日課であった。
夢の中では、近所に「家のお隣」っていう劇団のポスターがあちこちに貼られっことが増えてたんだ。その名前の通り、本当にあちこちで活動してて、うちにもしょっちゅう劇のお知らせのチラシが入ってた。
でも劇団ってのは隠れ蓑で、実は怪しい宗教団体だとか、詐欺集団だとか、とにかくそういう噂が立ってたよわ。
そういう感じだからさ、親にもあんまし関わんなって言われったんだけど、駅前でおっさんに声かけられて、そのまま押し切られる感じで施設に連れてかれたんだ。施設は廃墟みたいにボロい雑居ビルの……上の方の階だった。エレベーターが古くて、落ちたらやんた(嫌だ)なって思ったよ。
その何階か分かんない部屋で降りても、やっぱ廃墟っぽい雰囲気だった。コンクリートが打ちっぱなしで、カーテンはコーヒーかけたみたいに汚れててさ。
それでおっさんは俺にパイプ椅子さ座るよう言ってきて、まあ仕方ないから座ったんだよ。現実なら逃げてっと思うけど。
壁際にテレビがあって、おっさんはようやく名前を名乗った。広報担当だって言ってたな。名前は忘れた。
それでそのまま、「当劇団に所属する皆様のインタビュー動画を見て頂きます」とか言って、DVDを再生した。
おっさんの言うとおり、内容は劇団員へのインタビューだった。噂は正しくて「家のお隣」は劇団を装った宗教団体、信者は役者として劇に出て、広報活動に勤しんでるんだと。劇の内容はそんな思想ゴリ押しって感じじゃなくて、あくまで劇に興味を持ったやつに声をかけていくって手法っぽかったな。
インタビュー受けてた役者は3人いた。女がふたり、男がひとり。でも内容を覚えてるのはひとりだな。
気の弱そうな30代くらいの女の人で、本名は陰山恵子さんってテロップが出てた。で、芸名は恵子だって。読み方変えただけ。
おっさんが芸名の元ネタを教えてくれて、数年前の殺人事件被害者のナントカ紫子さんだって人が画面に映された。黒髪で、陽キャっぽい若い人だったな。
殺人事件の被害者の名前を芸名にするって、どういうセンスだよって思ったけど、おっさんは俺の方見てヘラヘラしてた。「何ですか」って聞いたっけ、君の名前も読み方が変わってんねって言われたとこで、目が覚めたんだ。
「以上」
「紫子でえいこは無理があっぺ」
「字幕にそう書いてあったんだから仕方ないっちゃ」
「家のお隣って語感は良い」
「その名前の通りに、どこにでもいる連中って感じだったよわ」
話を終えて満足したのか、伊弦は再びスマホを手に取る。ガチャは流石に諦めたらしく、彼の指は動画再生アプリをタップした。その様子を眺めながら、長束はふと口を開く。
「……最後のおっさんの台詞なんだけどよ、お前って名前の読み変わってっちゃ」
伊弦の下の名前は由。なかなか教師に一発で読まれることは少ない名前だ。
そして夢の中で、奇妙な劇団の芸名の起源となった女性もまた、事前知識無しに読むことは難しい名前だった。
「だから(それな)!成人したらユウとかに改名すっから」
「そのおっさん、お前も芸名の“元ネタ”にしようとしてたのかもな」
長束はボソリと呟く。すると伊弦は、清掃ボランティアでゴキブリの群れを見たときよりもゾッとした顔で彼から距離を取った。
「そのためにお前を殺そうとしたとか」
「え、なに、あの人ら、死んだ人間じゃねえと芸名にできないルールでもあんの?なして(どうして)?」
「知らねっちゃあ、んなこと。適当に思いついただけだから」
「うーわ、ゾワッとした」
何故死んだ人間の名をもじって芸名にする。そのために死んだ人間を用意する─それはあまりにも飛躍した、狂人の理論だ。
しかし伊弦が夢の中で迷い込む世界は、今彼らが生きている場所とは違う倫理や道理を以て回っていることが多い。
もしも彼が夢の中にとどまり続けていたら、違う漢字を当てはめてヨシカと読む、新たな団員が生まれていたかもしれない。