きっと悪女な好きな人
桜はもう散りかけで、太陽は隠れ、いつもの暑さが少し和らいでいる今日。
あの日と瓜二つで、昔の自分を少し恥じてしまう。
でもそれもまた心地良く、安心してしまう。
「ねぇ、ヴィーノ、今まで何をしていたの?」
久し振りに会うニコは少し不満そうで、不安そうで、でもどこか期待をした眼で、ボクを見ている。
入学式のあと、ニコに話しかけられたときの他の人たちの顔は忘れられない。
ボクは嬉しさを隠していたが、内心はとても嬉しかった。ニコは恐る恐るの表情で、ちょっと面白かった。
他人はボクたちのことを言い表すときは、『騎士さまと悪女』と。
こう言われ始めたのは、ボクがニコと距離を置き、入学前の段階で騎士団に入団したからである。
騎士団では役職こそ貰えていないが、卒業後は第一騎士団の副団長の任を与えると、総騎士団長から直々に言われた。
その一方でニコは侯爵家にずっと引きこもっている状態で、誰とも会わない生活を送らざるを得ない状況が続いていた。
ニコが『悪女』と呼ばれるに至った経緯は二つある。
誰かに毒を盛られてしまった事件が起こったこと。そしてニコの婚約者であるボクがニコの元を去ったこと。
この二つが原因だ。
毒を盛った犯人はわからず、誰かに恨まれているという噂が広がった。
その少し後ボクがニコの元を去ったことで、噂が加速していったのである。
またボクが『騎士さま』と呼ばれる理由は先ほども述べた通り、若くして騎士団に入ったことと成果を挙げたことである。
そして『騎士さまと悪女』というのは、少し前に流行った小説の何章かの題がそれだったためだ。
「知ってる? ボクが騎士団に入ったこと」
「うん……知ってる」
「じゃあ、なんでボクが騎士団に入ったかは知ってる?」
「……知らない」
学園内の庭園のベンチに腰を掛け、ゆっくりと今までの話をする。
ニコは自分がきっと悪女だと言われていることを知っている。
そしてボクとニコがどのような関係性だと言われているのかも、知っているのだろう。
「でも……」
「?」
「好きになった人を守るため……って聞いたことはある」
ニコは思い切って言ってくれた。
ニコの手は震えており、それを隠すためか力強く制服のスカートを握り締める。そして怯えながらも頑張ってボクの眼をしっかりと見てくれている。
確かにボクは好きな人を守るために騎士団に入った。そう口にしたことは一度や二度ではない。
でも婚約者だとは一度も言ったことはない。
それ故に変な感じで噂が広まってしまったのだろう。だけれどボクはそれを知ってもなお、婚約者だとは口にしなかった。
「ニコ、それ以上強く握ったら、スカートに皺ができちゃうよ」
ボクはか弱いニコが頑張っているのを見て、ちょっとだけでも安心させたいと思い、ニコの手を握る。
ニコは手を握られると、あからさまに動揺を見せる。
そして恥ずかしそうで、嬉しそうで、でもまだ不安そうな顔をしている。
握っている手はまだ震えている。
そんな顔を見て、そんな手に触れて、ボクは自分の行動を少し後悔してしまう。
「あっ、えっ……どうして……?」
ボクのその行動に対して、疑問を持つニコ。
疑問を持たれたことで、ボクはまた後悔してしまう。
「ニコは、ボクのこと、好き?」
「…………」
ニコはボクの問いに対して、何も言わずに俯く。
そしてボクの手を離そうとする。けれどボクは少しだけ力を込めて、ニコの手を離させないようにした。
それに気付いたニコは俯いた顔を上げて、再びボクの眼を見る。
ボクは優しく微笑むと、ニコはほんの少しだけ頬を紅く染めた。
答えを言っているようなものだ。そう思わせてしまう顔を見せるニコ。
ニコは色々な噂を耳にしたのだろう。それなのに、ボクのことをまだ好いてくれている。
それがわかっただけで、ボクはとてつもなく嬉しくなった。
「ニコさ、ボクとの手紙で言わなくなったよね」
「なにを……?」
ボクとニコは毎週手紙のやり取りをしていた。
その手紙の最後に毎回ボクとニコはある言葉を使っていた。けれどあるときからニコはその言葉を書かなくなり、やがて手紙のやり取りの頻度も下がっていった。
その言葉を言わなくなった時期は、ちょうどボクが初の成果を挙げたときであり、噂が広まり出したときでもある。
毎週の手紙のやり取りと、その言葉を生き甲斐に頑張っていたボクにとっては、大きな損失だった。
けれどそれも再びニコに会うときのため、と思い頑張っていった。
正直に言って今すぐにでも会いに行こうかと思ったときは何度もあったが、誓いを守るためにその衝動を抑えていた。
「思いつかない?」
「うん……。ごめんなさい」
「別にいいよ。でも残念だったな、ニコから好きって言われなくなって」
「……!!」
ニコは自分自身が意図的に使わなくなった言葉なようで、それを思い出すのと同時にボクが残念だったと伝えたため驚いた。
ボクはちょっと意地悪をしてしまったな、と思ってしまったが、まあこれくらいは許してくれるだろうと思った。
ニコは昔から大人しい子だったが、今は大人しいというよりは何かに怯えているように感じる。
それを感じ取ったボクは後悔もしたが、これからはその怯えているニコを守っていける、などと自分でもおかしいと思えるような依存させたいと思った感情を抱いた。
これは今まで会えなかった反動ゆえなのかもしれない。
もしくは今まで押さえつけていた感情が、暴走してしまったからかも。
「だって……ヴィーノには、好きな人が……」
「うん、そうだね、いるよ、好きな人」
「なら……」
「いるよ、今、目の前に、ボクの愛する人が」
「……?」
ニコは昔から頭は良いのに鈍感だ。
けれどボクはどうしても回りくどい方法でしか愛を伝えられない。難儀な性格だと思う。
目の前にいると、愛する人がいると、そう伝えているのにニコはわかっていないようだ。
「わからない、か。ならーー」
ボクは握っていたニコの手を引っ張り、ニコを自分の胸の中に収める。
それに動揺して顔を上げたニコを見て、ボクはニコの唇を奪った。
「!?」
唇が離れると、ニコは言葉が出てこないようで、ただ口をぱくぱくとさせているだけだ。
ボクはそんなニコを見て、意地悪な笑みを見せる。
「ニコは鈍感だから、こうするしかないんだよね」
「キ、キス……」
「それに誓いを忘れたの?」
「ち、誓い……?」
ニコはどうやらボクが守っていた誓いを忘れているようだ。
まあこの誓いはボクにとっては重要で、ニコにとっては冗談で言ったものだから、忘れていても仕方ない。
「ニコだけを守る騎士になるって」
本当は『ニコを守る騎士になる』だけど、今は違う。『ニコ“だけ”を守る騎士になる』そう誓っているんだ。
「ニコ、愛しているよ」