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後藤記者が紡いだ言葉の力

 この絶望感は、僕にしか分からないかもしれない。いや僕にしか理解できないだろう。


 だが、親友である青木にだけは、理解してほしいと思っていたのかもしれない。だからあんなにも感情的になってしまったのだ。


 会長に自分のために生きろと言われ、もう母のことは、諦め、スケートを引退しようと決意した。だが親友である青木には、夢を諦めるなと言われた。全くもって真逆のアドバイスをされた僕は、どうしたらいいのか分からなくなっていた。


 しばらく考えながら歩き進めていると、大きな看板が見えて来た。古く錆びれた看板だ。そこには、鬼塚スケートクラブと書かれていた。僕は、一周回って元に戻ってきていたのだ。


入り口付近で白いTシャツにダボダボのパンツを身に纏ったガタイのいい40代男性とカチッと着こなされたスーツの華奢なイマドキ20代男性が話しているのが見えた。


「俺は、今から舞斗の取材行ってくるから一ノ瀬リサの取材頼んだぞ。」

「え?僕、佐藤選手の取材じゃないんですか?」

「新人なのに何言ってんだよ。」


 僕は、正直スポーツ記者という仕事をしたかった訳ではない。なんとなく受けた企業の中で唯一内定を貰えた会社が今の会社だった。


 だからこの間のオリンピック取材もはじめは、乗り気ではなかった。


 だが、佐藤舞斗選手の演技を間近で見て、試合前、試合後の生の声を聞き、彼がこの大会に懸けている強い気持ちを感じた。


 そして彼は、強い言葉だけじゃなく、その言葉を行動で実現できる人なのだということを知った。


 それから僕は、この仕事が好きになった。彼の歩む道をこれからも追いたい。彼の紡ぐ言葉を記事にしたい。そう思うようになったのだ。


 だから先輩から今日は、佐藤選手の取材じゃないことを聞かされ、内心乗り気になれない自分がいた。そんな僕を見た先輩は、僕にこう言葉をかけたのだ。


「一ノ瀬選手を取材すると、舞斗についても知れるかもしれないぞ。」

「え?本当ですか?」


 僕は、単純な人間なのかもしれない。先輩の一言で俄然やる気が出て来たのだ。


「分かったなら早く行け!」

「はい!」

 僕は、急いで彼女の元へと向かった。


 僕がドアを開けると、イマドキ男子は、いなくなっていた。そこにいたのは、8歳の頃から僕を取材してくれている後藤記者だった。


「後藤さん!お久しぶりです。今日は、取材ですか?」


 僕が彼に声をかけると、首から下げているカメラなど気にしないといった様子で僕を抱きしめた。


「舞斗!久しぶりだな!今日は、お前の取材で来たんだよ。」


 嬉しそうに報告してくれた。僕の母のことを知っている唯一の記者であり、父のいない僕にとっては、父のような存在なのだ。


「なんでも答えるのでなんでも聞いてください。」


僕がそう言うと、


「本当か?じゃあ、来シーズンも競技を続けるのか?」


と尋ねてきた。


 僕が今1番悩んでいることについてだった。なんでも話せる間柄である後藤さんには、話してしまおう。そう思った僕は、


「後藤さん…実は、世界選手権を最後に引退しようと思っています。」


と打ち明けたのだ。


 すると、彼は、開いた口が閉じない程驚いた様子だった。


「え?急にどうしたんだよ。オリンピック2連覇したからか?それともお母さんに会えたのか?」


 僕は、首を横に振った。


「いえ。もう母のことは、諦めようと思って。」


 もしかしたら後藤さんにも青木と同様に否定してくるかもしれない。そう思い、内心ビクビクしていた。だが彼は、僕にこう言葉をかけてくれたのだ。


「そうか…じゃあ最後の演技になるんだな。悔いが残らないようにな。」


 彼は、僕が母のことを諦めることを肯定もせず、否定もしなかった。それがなんとも彼らしくて心地が良かった。


 すると彼は、何かを思いついた顔をした。


「せっかく最後なんだから、お母さんに向けた演技にしたらどうだ?」

「母に向けた演技ですか?」


 これまでの僕の演技は、正直言って得点重視の作品が多かった。高難度の4回転ジャンプ、トリプルアクセルなどを組込み、尚且つ僕の魅力である繊細さを表現するプログラムが多かった。


 僕がオリンピック王者になった後も引退せずに現役にこだわって来た理由。


それは、地上波放送が必ずあるという点だ。アナログかもしれないが、必ず母の目に留まる。だから僕は、1度目のオリンピックで優勝しても現役引退をしなかったのだ。


 それを知っている後藤記者は、その最後のチャンスを絶対に逃してはいけないというメッセージでもあった。


 その想いを受け取った僕は、最後の機会に賭けることにした。


 1ヶ月後の世界選手権では、オリンピックとは異なるプログラムも披露しよう。


 それも母に対する想いを表現しよう。


 そう誓ったのだ。

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