世界ジュニア選手権
青木の気持ちも理解しようと思えばできた。だが、今の自分は、理解したいとは、思わなかった。青木だけは、僕の苦しみを分かってくれると思っていた。いや理解してほしいと願ったのだ。
青木が世界ジュニア選手権のショートプログラムで2位発進だったのにも関わらず、フリープログラムでジャンプを飛びすぎた為に4位となってしまったことは、僕の記憶にも新しい。
フィギュアスケートは、好きなだけジャンプを飛べばいい訳ではない。
飛んでいい回数がルールで決められている。
例えば、1日目に行われるショートプログラム。男子の場合、2分40秒の間に要素を組み込む。
2回転または3回転アクセルジャンプを1回、アクセル以外の3回転または4回転ジャンプを1回と決まっている。
これを飛べなかった場合、減点されていまうのだ。
2日目に行われるフリープログラムでは、4分間でアクセルジャンプ1回を含むジャンプは7回までと決められている。
コンビネーションジャンプもしくはジャンプシークエンスは3回までで、3連続のコンビネーションジャンプは1度と、意外としっかりと定められている。
また同じジャンプを繰り返してしまった時も、ノーカウントになってしまうのだ。
彼は、同じジャンプを3回も飛んでしまい、その要素がノーカウントになってしまったのだ。
彼がそのような失敗をするのは、非常珍しい。
彼のプレースタイルは、完璧タイプだ。
練習を何度もして、ほとんどミスをしない。
そのためミスをした際のリカバリーを考える必要がないタイプ。
だがこの時は、冒頭のコンビネーションジャンプが単独になってしまった。
そのリカバリーをどこかでしなくてはならない。
その想いが演技中、ずっと彼を苦しめてしまった。
キスアンドクライで頭を抱える彼。彼の背中をさする鬼頭コーチ。
彼は、自分の得点を聞いた後、椅子に吸い付けられるかのようにその場から立ち上がれなかったことも覚えている。
鬼塚コーチに肩を抱かれ、控室まで連れてこられた彼は、僕の顔を見るなり、
「舞斗、おめでとう。」
と精一杯の笑顔を僕に向けてくれたのだ。
アイツは、悔しさの中でも僕に対して、祝福の声をかけることができるできた男だ。
僕は、この大会で優勝することができた。
僕は、この喜びを早くあの人に伝えようと人混みの中を駆け抜けた。
観客席には、3歳の子どもたちから70歳ぐらいの年配の方々まで幅広い年齢層の方々がいた。
その中であの人を探すのは、至難の業だったように思う。
多くの人々にぶつかりながら、あの人の後ろ姿に似た40代の女性を見つけた。
僕は、その女性の肩を叩いた。するとその女性は、驚いた様子で振り返る。
「誰ですか?」
人違いだった。
僕は、その女性に慌てて頭を下げ、あまりの恥ずかしさにその場から逃げるように走り去った。
そしてまた人混みの中、再び探し続ける。そしてふと気づく。もう客席には誰もいないことを。
舞台裏では、全身ブランド物を見に纏った鬼塚コーチが僕を探していた。
「あの子どこに行ったのかしら?もう表彰式が始まってしまうわよ。」
そう言いながら控室を行ったり来たりしながら短かい前髪をかけあげた。
「先生、私探しに行ってきます。」
その様子を見ていたリサが手を挙げた。
「リサ1人じゃ危ないから俺もついて行くよ。」
記者席で一連の流れを見ていた後藤記者も一緒に探しに行くこととなった。
彼らもこの人混みの中、走り回る。
「舞斗!舞斗!どこだ?もう表彰式始まるぞ!」
「舞斗!舞斗!舞斗!」
30代後半男性の骨太な声と15歳の少女の甲高い声が会場内に響き渡る。
「舞斗、いないな。折角世界ジュニア選手権で優勝したっていうのに、どこ行ったんだよ。」
彼の素朴な疑問に彼女は、少し間を開けてこう打ち明けた。
「多分お母さんを探しに行ったんだと思う。」
「お母さん?舞斗ってお母さんいたのか?」
そうだ。7年間取材をしてきた後藤記者は、舞斗の母の姿を見たことがないのだ。チームメイトのリサや青木の試合には、いつも彼らの母親が同伴していた。だが舞斗の試合には、鬼塚コーチと会長のみが付き添っていたのだ。
「それなら会場入り口付近にいるんじゃないのか?」
そう思った後藤記者は、リサと共に会場入り口へと向かった。
その頃会場入り口付近では、15歳の美しい氷上の王子様の名高い少年が叫んでいた。
「お母さんのバーカ!バーカ!バーカ!迎えに来るって言ったじゃん。嘘だったの?。いつになったら迎えに来てくれるんだよ。嘘つき野郎!」
その少年は、涙と鼻水を垂らしながら悲痛の思いの丈を声にした。
だがその想いもあの人には届かない。
そのことに気づいた少年は、雪が降り積もる会場入り口付近で三角座りをして頭を足の中にうずめる。
そこに少年とは正反対な体育会の体型をした後藤記者と氷上のシンデレラと名高い一ノ瀬リサがやって来る。
「舞斗いた!舞斗!ここにいたのかよ。探したんだぞ。」
「舞斗!表彰式始まっちゃうよ。早く行かないと。」
2人は、彼の姿を見つけると、彼の手を引っ張った。
彼は、手を振り払い、こう言い放った。
「嫌だ。行かない。」
その言葉を聞いた後藤記者は、体育会系のコーチのように熱い想いを口にした。
「何言ってるんだよ。お前がいないと表彰式成り立たないだろ。」
その圧にも負けず、彼は、言い返した。
「1番獲ってもちっとも嬉しくないよ。なんのために優勝したのか分からない。」
彼の言葉に沈黙が流れる。
何かを察したリサは、彼にこう問いかけた。
「お母さん、いなかったの?」
舞斗は、静かに首を上下に振った。
先程リサから彼の母親の話を聞いた後藤は、その時感じた疑問を彼に尋ねることにした。
「お母さん、本当に今日会いに来るって言ってたのか?」
「今日とは、言ってなかったけど、世界大会で優勝した日に会いに行くって。その言葉を信じて7年も頑張ってきたんだ。」
彼は、泣き出してしまった。そんな彼を励まそうと彼の1番の理解者であるリサが思いついたように話し始めた。
「あ!もしかしたら、世界大会ってオリンピックだったんじゃない?」
「…そうだそうだ。オリンピックで優勝したら、必ずお母さんも迎えに来てくれるよ。オリンピックなら全世界のテレビで放送もあるし、お母さん必ず見てくれてるはずだ。」
「そうだよ。オリンピックで2連覇すれば歴史的快挙にもなる。だから頑張ろうよ。」
彼らの舞斗に対する苦し紛れの励ましにその場に沈黙が流れる。だが舞斗は、この言葉を信じることにした。信じることにしたというよりは、信じたかったのかもしれない。あの人が僕を裏切るはずがない。そう信じたかったのだ。
「よし!決めた!オリンピック2連覇する。そのために頑張る。」
この日、彼は、決意したのだ。
オリンピック2連覇を果たすと、あの人のために。
だがその夢を果たしたが、あの人は、迎えには、来なかった。