1・死と生。
この世の全てから拒絶された気がした。
※
あれ……なんで僕、ここにいるんだろう。
分からない……何も、思い出せない。
何も、覚えていない。
ただ、心地良い。暖かいお湯にでも浸かっているんだろうか。
全てから解き放たれて、ゆっくりと傷ついた羽を休めている、そんな気がする。
ずっとこのままこうしていたい。
そう思っているはずなのに、一向に心のモヤモヤは晴れない。何かに追い詰められるような危機感を感じる。こんなにも心地よいのに、一体何故なんだろうか。
そんな疑問を抱いたとき、僕は気づいた。
息が吸えないことに。
「……ぐっ」
苦しい……助けて、死にたくない!!
何とかここから脱出しようと、僕は必死にもがいた。すると、指先にひんやりとした風が当たる感覚がした。
外に出られる。そう思い、僕は更に必死に外に出るためにもがく。だが、肺もそろそろ限界。既に中の空気は全て出し切ってしまっている。
頭がぼーっとして気を失いそうになる。苦しくて、辛くて、悔しい。最後の力を振り絞り、僕は外に向かって思いっきり手を伸ばした。
誰か居るなら、この手を握って助けて…。
そんな淡い期待を心の支えにして。
ガシッ。
その時、僕の手を誰かが力強く掴んだ。そしてその手は、そのまま僕を一気にお湯の外へと引っ張り出す。
「ぶはぁ!!」
なんとかギリギリ、僕は外に出ることが出来た。気を失う寸前で、意識が朦朧として白目をむきかけている。
すると、僕のぼやけた視界を一人の青年がのぞき込んでいた。
「大丈夫かい?」
「はい……なんとか」
寝ぼけたような間抜けな表情でそういうと、青年はニコッと笑った。
「フフ、そりゃあ良かった」
僕を外から引っ張り出してくれたのは、恐らくこの人だ。
「あの、ありがとうございます……えっと」
いまだにボヤけた視界に目をこすりながら僕はそういうと、目の前の青年は再びニコッと笑っていった。
「ワイト。死神のワイトだ。これからよろしく」
「はい……?」
だめだ、聞き間違いだろうか。今この人が、自分のことを死神って言ったように聞こえた。
まだ頭がぼーっとする。えっと……さっき本当はなんで言ったんだろう。
「……あのさ、お前信じてないだろ。俺が死神だって」
「いや……死神って」
徐々に意識がハッキリとしてきて、僕のぼやけた視界もクリアになってきた。そんな僕の視界には、自称死神のワイトさんの凛とした瞳が映る。
「……」
気づくと僕は、ワイトさんのことをまじまじと見つめていた。
思わずゾッとするほどに、完璧に整った容姿。
顔の黄金比だとか、目鼻立ちだとか、どこからどう見ても、見入ってしまうほどの美しさ。むしろ整いすぎていて、髪を伸ばしたら男なのか女なのかも分からなくなりそうだ。
世界の顔面の正解と言うか
日本人の顔立ちではないのだが、何人かと言われると答えられない。透き通るような白い肌に、黒い髪。くっきりとした大きな目の中に、レーザーポインタでも放ちそうな真っ赤な瞳。
身長も185くらいはあるんじゃないだろう。町を歩いていたら騒ぎになりそうなレベルだ。
僕にはそういう趣味があるわけじゃない。それでも見入ってしまう。
まるで、人智を超えた芸術品を見ているかのようだった。
そして何より、一番重要なこと。
ワイトさんの背中に生えたカラスのような真っ黒な羽と、右肩に担いでいる巨大な鎌。ついでに服装も、フードのついた死神がいかにも来そうな真っ黒なローブ。
鎌とローブならまだコスプレって事で説明はつく。でも、こんなに大きくてリアル羽が、人に作れるとは思えない。何なら、さっきから羽も普通に動いてる。
どうやら、自称死神。ではなく、本当にワイトさんは死神なのかもしれない。
「俺が死神って、信じてくれたかい?」
ワイトさんは、僕を見つめてそう言った。
どおりで……この辺り一面灰色一色な不思議な空間も、僕が記憶を失っているのも、全部説明がつく。
あぁ、僕は死んだのか。
「死神、じゃあここって‥‥‥」
俯きながら僕は聞くと、ワイトさんからは僕の予想と違う答えが返ってきた。
「いや、ここは死神界。まあ、名前の通り死神が住んでいる世界だね。不安にさせちゃったかな?」
「死神界……あの世じゃないんだ」
僕がそう呟くと、ワイトさんは少しだけ真剣そうな表情をしていった。
「君は自分が死んで、死神にあの世に連れてこられたと思ってるのかい?」
「え……違うんですか?」
僕が聞くと、ワイトさんは何も言わずに頷いていった。
「君は今日、死神として生まれたんだ」
「生まれた…?」
ワイトさんは、僕の背中を指差す。
そこには、ワイドさんと同じカラスのように黒い羽が生えていた。
「え……」
服装もよく見ると、ワイトさんと同じ黒いフードのついた死神のローブ。
「僕が……死神……」
気づくと、少しデザインが違うけど、ワイトさんとほぼ同じ大きさの鎌を、右手に握っていた。
「そう、その鎌で君は今日から、人を殺すんだ」
「殺すなんて……そんな、僕には」
「死神としての使命を全うしなければ、君はいずれ世界から不必要と判断され、消される。生きていたければ、腹を括るしかない。生まれたばかりの君にこんな宣告をするのは、酷な話かもしれないけどね」
僕は、なんてものに生まれ変わってしまったんだろう。人を殺すことが使命。殺さなければ自分が消える……人を殺すくらいなら、僕が死んだ方が良い。
そんな大それたことを頭の片隅で思っていても、僕が自分が消える運命を受け入れられるほど、強い人間じゃないことくらい分かってる。
「安心して良い、俺達が殺すのは、世界が人に定めた寿命が来た人間だけさ。ただ無差別に人を殺すわけじゃない。俺たち死神の使命は、世界を回すために必要な、一つの仕事なんだ」
「……そう、なんですか」
それでもやっぱり、人を殺すと言う使命を受け入れられない。でも、消えるのは怖い。そんな僕の葛藤を見透かしたように、ワイトさんは優しい声で続けた。
「君は優しいね。大丈夫、むしろ俺達死神は、その鎌で死の苦しみを味わっている人達の魂を肉体から回収して、楽にしてあげてるんだ。それが、俺達死神の使命の本質さ」
死の苦しみから、楽にするため。
そうだ……世界が人に定めた寿命の通りに殺す。つまり、元々死ぬ運命の人を殺すだけなんだ。
そう考えれば……できるんだろうか。
「大丈夫、俺もついてる。これから、頑張っていこう」
ワイトさんは、ニコッとして僕に手を差し伸べた。 この人……死神とは、ほんの少ししか喋っていないけれど、それでも感じる。
とても、温かい優しさを。この死神となら、やっていけるのかもしれない。
僕は、差し伸べられた手を握り返す。
「が……頑張ってみます!」
すると、ワイトさんは少し嬉しそうに僕の目を見て言った。
「死神として、誕生おめでとう。クロ、これが君の、死神としての新たな名前だ!」
ワイトさんがそう言った瞬間、辺り一面灰色だった景色は一変した。まるで、死神の世界にやってきた僕を歓迎するかのように。
見渡す限りの青い空、輝く地平線、透明な死神界の床の向こうに広がる、人間の街。
「すごい……綺麗だ」
雲がすぐ近くにある。さっきこの空間が灰色一色だった原因は、きっと雲の中に入っていたからだろう。
さっきまで、死神として生まれた自分という存在に苦悩していたはずなのに、こんな光景を見せられただけで、生まれてきて良かった、そんなことを思っている。まるで、美しいこの世界が、僕のことを肯定してくれているようで、気づくと僕の胸一杯に、言いようのない充足感が満ちていた。
「お、さっそくだね」
ワイトさんがそう呟いたと同時に、真っ暗な木の枝のようなものがぐんぐんと伸び、僕の目の前を横切っていった。
「ワイトさん……これは」
「これは、三途の枝。さっきクロが出てきた三途の川から分裂して伸びたものさ」
僕が出てきたって……。
思わず後ろを振り返る。
「な……なんだこれ」
僕の目に飛び込んできた、先ほどとは打って変わったとても禍々しい光景に、僕は思わず言葉を失った。
何百メートルにもわたって湧き上がる真っ黒な液体。そしてその黒い液体が、まるで天地が逆転したかのように、地面から滝のように空へと流れていた。
「これが、三途の川……」
その言葉は知っていたけど、実物を見るのは初めてだった……いや、生まれたばかりだし初めてなのは当たり前か。
「三途の川、地域によってはユグドラシルとか生命の樹って言ったりするから、他の地域の死神と会った時のために一応覚えておくと良いよ」
「はい、分かりました……」
もしかして、元ネタ……なんだろうか、これが。
そして、さっき僕の前を横切った黒い木の枝は、この三途の川から小枝のように分裂していた。
「三途の枝が伸びた先には、これから寿命を迎える人がいる」
その言葉が意味することを理解し、僕の胸は恐怖と不安で大きく波打つ。
「それじゃあ、行こうかクロ……人を殺しに」
大きな黒い羽を羽ばたかせ、空高く舞い上がるワイトさんにつられ、僕も一歩を踏み出した。
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