一度きりなら
「つまり……、祖父が戦争体験者となると、きいろ様はおいくつで?」
「まだ20代です!ぎりですが。母も私も末っ子なんで!」
長々と話して、感想がそれですか。なんだかどっと疲れました。ところできいろってどちら様?
「赤、城、きいろ、なんて。
赤城さんが名前教えてくれないから、命名しました。
私、あだ名つけるの得意なんですよ」
そっと通話終了のボタンを押します。貴重な休みを無駄にしました。そうだ、奮発して、今日はマッサージに行きましょう。最近とても良い店を見つけたのです。アロママッサージが本当に気持ちよくて。予約が取れれば良いのですが……。
スマホで店を検索していると、彩さんからまた電話が掛かってきました。間違えて通話ボタン押してしまいました。
「いきなり切るなんて酷いじゃないですか!
もしギガの使いすぎを心配してくださっているなら、ここはフリーWi-Fiのエリアなんで大丈夫ですよ、きいろ様」
「彩さんのスマホ事情など、1ミリも心配しておりませんよ。とにかく、長々と話してすいませんでした。私の伝えたいことは以上です」
「つまり、私に夢を諦めて堅実に生きろと?」
重い重い、そんな夢いっぱいの若人の人生を左右するなんて、受け止められないです。
「見ず知らずの私が、彩さんの夢をとやかく言えませんよ。
無責任に協力はできないと言いたかっただけです」
「つまり、路頭に迷うなら、目の届かないところで勝手に死んでくれと?」
平たく言えば……。言い方に棘がありますね。お互い傷付かぬようオブラートに包んで発言してるのに、どうもこの子苦手です。これが若さと言うなら、歳をとったこと甘んじて受け入れますので、どうかこれ以上はご勘弁を。
「あはは。きいろ様を困らせちゃいましたね。
でも、それは杞憂ですよ。
約束します。世に一冊だけ出せたなら、それできっぱり執筆活動は辞めます。
逆に言えば、一冊だけは、何としても製本したいんです」
彩さんが言うには、最悪自主出版でも良いそうです。それでも、せっかく残すのだから、本の体は成しておきたい。そのために、遠慮なく指摘してくれる人を探していたそうです。
なぜ一冊に拘るのか訊いたところ、「そりゃ生きた証というか、何か一つぐらい残したいじゃないですか」だそうです。
あなたのご先祖さまが絶えずしてきたように、将来子を残せば良いのでは?と喉元まで出かかって、特大ブーメランだと気がつき飲み込みました。いや、まあ、何か残したいと思うことは大事かもしれませんね。おばあちゃんになってからじゃ、出来ることも出来ませんから。
「本当に一冊だけですね」
「ええ、約束します。一冊書くために、私のパートナーになって下さい。きいろ様」
「じゃあ、一つ条件を追加します。今からでもちゃんと学校に行くなら、ね」
こうして結局は押し切られた事に若干不満はありますが、彩さんとのパートナー協定は、この日無事に締結したのでした。
私には何のメリットもない不平等協定でしたが、その日送られてきた自撮り画像の中の屈託のない笑顔に免じて良しとしましょう。普通、自撮り画像は澄ました顔になりがちなのに、満面の笑みとは、天真爛漫な彼女らしいです。
画面の中の彩さんは、若く、白く、細く。
さぞ肌も、水を弾く事でしょう。決して嫉妬ではありませんが、いろいろと鍛え甲斐がありそうです。