もう少し話に付き合ってよ!
何から話せば良いのやら。彼の転落人生を語るのなら、まずは転落する前の崖の上から語る必要がありますね。
作家であった伯父は、子供の頃から大変優秀な人だったと聴いています。母親の兄にあたる人です。
母の実家は裕福な家庭でした。と言っても、名家などと言う格式には縁はなく、一代で財を築いた、下世話な言い方をすれば成金家庭ですね。ですが、つらい戦争を体験した祖父は、お金には潔癖でしたので、想像するような成金の派手さはありませんでした。少し祖父の話をします。
戦場から帰還した祖父は、裸一貫でビジネスを始め、中古で買ったトラックいっぱいに布団を積んでは、秘境のような温泉宿に運び売り捌いたそうです。大変危険な仕事でしたが、戦後復興と重なり、これが飛ぶように高値で売れました。布団のほかにも、機材や食料まで卸すようになり、やがては北陸地方全域の温泉宿を相手に卸業を営むようになりました。話が脱線しましたね。伯父の話に戻ります。
伯父は次男坊でしたので、家業を継ぐことは期待されておりませんでした。学校の成績はすこぶる良く、地元では神童と呼ばれたそうです。『末は博士か大臣か』、そう一番期待したのは祖父でした。もともと学問好きの祖父が、時代に翻弄され果たせなかった夢を、叔父に重ねたのかもしれません。
周囲の期待のままに都内の大学に進学し、大学でも堕落することなく、優秀な成績を納めました。ただ、唯一学生の本分を疎かにしてでもどっぷりとはまったもの、それが文学でした。同人サークルに所属し、趣味で執筆をしていたそうです。
大学4年の春、一度きりと決めて、自作の小説を公募に出したところ、運悪く賞を取ってしまった。これが伯父の不幸の始まりでした。
思いもしない快挙に舞い上がった伯父は、勘当覚悟で祖父に作家になりたいと告げると、祖父はがっかりとした表情は一切見せず、それどころか手放しで賞を褒め称え、作家の道に大賛成し、もう帰って来なくて良いと告げる代わりに、都内に一戸建てを買い与えました。
それから伯父は何冊か書き、小さな賞を取ったりはしたそうですが、ベストセラーはおろか、書店に並ぶこともありませんでした。それでも祖父からの援助があったので、生活に困ることは無かったようです。まだ幼かった私は、このころの伯父によく遊んでもらった記憶があります。今考えると暇だったのでしょうね。
そんな生活が20年ほど続いたそうですが、祖父が亡くなったことをきっかけに援助は断たれました。当時、私が小学生になったばかりのころです。実直に継いだ家業を守る長男と折り合いがつかず、親戚全てと疎遠になったそうです。
私が中学のとき、一度だけ会いに行ったことがあります。高校受験の下見で、たまたま近くまで来たついででしたが。事あるごとに、母が伯父のことを心配していたので。
都内の閑静な住宅街です。周りの家々が立派な分、叔父の家の見すぼらしさが目立ちました。荒れ放題の庭、苔の生えた塀。
また、近くにあった町内の野外掲示板に『○○さんの塀の前には、くれぐれも収集ごみを置かないで下さい』とアナウンスされている事から、きっと些細な事で揉めたのでしょう。近所付き合いはまるで上手くいってない事が容易に予想できました。
意を決して門をくぐり、インターホンを押すも返事はありませんでした。
諦めようと踵を返したとき、「誰だ」とインターホンからの声に呼び止められました。低くひしゃげた、老人のような声でした。
名前を名乗りましたが「何しに来た?」「帰れ」と全く取り合って貰えず、やはり諦めて踵を返すと、「待て」と今度も呼び止められ、「いくらでもいい、置いてけ」と言われました。
財布の中にあった3千円全て抜き出し、ドアの隙間に押し込んで、逃げるようにその場を立ち去りました。
帰りの電車の中で、落ちぶれた伯父の事ばかり考えました。
もしも伯父に文才なんて無ければ、賞など取らなければ、祖父に寛大な心がなければ、そもそも養うほどの財力がなければ。
一見幸運に思える環境が、作家を目指した事ですべて裏目にでたのでしょう。年端のいかぬ中学生の少女に金をせびるほど、叔父の生活も、心も荒んでしまいました。作家以外なら、きっとどの分野でも成功する人でした。作家以外なら。
伯父が自ら死を選択したのはそれから数年後でしたが、家は税金の滞納で差し押さえられ、ホームレス同然の生活を強いられていたそうです。