諦めようよ!
「楽しむために投稿する程度なら良いと思いますが、本気で作家など目指すのはよしなさい」
冷たく言い放つが、あまり本気には捉えてくれなかったようで、「そんな、ひどい」とか、「本は結構読んでる方なのに」とか、「作文コンクールで入賞したこともあるんですよ!」とかのたまいます。もう少し説明が必要でしょうか。
小説家など、目指すべきではありません。
だって、考えてもみてください。本なんて所詮は紙とインクの集合体。現代ではただ同然のものに、付加価値を生み出さなくてはなりません。
書店に並ぶ1800円の本を見てみてください。紙とインク代は数十円程度でしょうか。高く見積もっても二三百円、残りは文字列で綴られた情報代です。作家の知的財産を1600円程度で販売しているのです。それだけでも、生半可な才能で通ずる世界ではないはお分かりかと存じます。
文字に起こす才能、想像する才能、そして需要を正しくキャッチし、期待に答え供給する才能。
これら全てが備わっていることが、プロの最低条件でしょう。特に3つ目です。文才があるからと言って、書きたいものを書くのでは商売になりません。求められるものを書く、言い換えれば、書きたくないものでも書く、プロならそれが出来て当たり前なのです。
しかしながら、作家志望の人間は、その多くが並外れた自己顕示欲を有しており、プライドが邪魔してか、どうしても3つ目ができない。編集や周りの意見を汲み入れ、はじめの2、3作は欲を抑えて無心で書くも、次第に我を通すようなり世間に受け入れられなくなる、そんな作家もいます。たとえ天賦の才をもって生まれたとしても、時代が違えば埋もれていく、そんな残酷な世界です。
さらにいえば、そのプロたちの中でさえ、時間労働に換算すれば、バイトでもした方がよっぽど効率的なほど、専業とするのは難しいです。
中途半端な覚悟と才能なら、早めに諦めたほうが、本人のためとなる、私はそう思ってます。折れる筆なら、さっさと折るべきかと。
電話口で彼女にそんな持論を展開すると、「まるで見てきたような、言いようですね」と笑われました。ええ。見てきましたよ。落ちぶれる作家を、それも特等席で。
「私の伯父は作家でした」
以降、もうちょっと私語りが続きます。JK(仮)彩ちゃんのお話は、その後で。