7.キュピーーン
ワシの名は松井芭蕉。
絶賛生命が危険に晒され中だ。
いや、ワシ本体は現代にいて死後300年以上を経過して、とっくに人として原型を留めておらず、霊体として宙に浮いておる。
ただ、ワシ特有の高度な記憶能力により、錯覚的に45歳の忌まわしきあの日を再体験しておるのだ。
「殿のおなーりー」
ワシは大広間の中央で正座している。
大広間の端には家臣が左5人、右に4人と犬が一匹控えており、ワシの左後ろには例のモノノフがいた。
うっ、物凄いプレッシャーだ。
一秒一秒が途轍もなく長く感じられる。
それもそのはず、まだその男は抜き身の刀を持ち、時にじっとしていられない童のように素振りをしている。
そもそも、ワシは徳田幕府第5代目将軍の徳田綱吉様に直接呼ばれたはずであるので、冷静に、かつ論理的に考えれば、ワシに危害は及ばないはずである。
しかし、背後の御仁は極めて残忍で狂暴なインパクトをワシの心に深く刻み込んでおり、安心という言葉の意味を銀河の彼方へと吹き飛ばしていた。
襖が開き、殿こと将軍綱吉が悠然と歩き、玉座に鎮座する。
「儂が徳田家第5代将軍!徳田綱吉であーーーる!!!」
知ってるがな。
まぁ、平民であるワシは将軍様とは面識がなかったのだけどな。
徳田綱吉。
第3代将軍家光の四男で、ワシより2つほど年下だ。
第4代将軍家綱に跡取りがなく、第5代将軍に就任した経緯であり、在位は約10年目。
当初は大層立派な将軍だったのだが、本性を現したのか、化けの皮が剥がれたのか、トチ狂ったのか、近年では暴虐なる悪政を繰り広げ、魔王とも呼ばれていた。
この男も油断ならぬな。
ワシは深く頭を下げる。
土下座だ、土下座状態だ。
ずっとずっと頭は下げ続ける。
許可なく頭を上げ、不敬罪を問われて斬首とか、シャレにならんからな。
「おもてをあげーい」
これも素直に従う。
ワシの戦略は待ちであった。
とにかく何故呼び出されたのか解らん。
まずは相手の話をよく聞き、最適解を導き出すのだ、生き残るために。
「そなたを呼び立てたのは他でもない。仙台藩に不穏な動きがあってな。それを探ってこい、忍者として!!」
「忍者じゃねーよ!!」
おっと、思わず魂の叫びが飛び出してしまったが、当時のワシはポーカーフェイスで無言だからな。
ビデオグラフィックメモリは当時の記憶を映像で脳内に再生し、心をトリップさせるものであって、過去の改変能力なんぞないからな。
ちゃきっ。
冷たい刃が首元に触れた。
当時のワシはどんな心境だっただろうかの。
これも映像記憶の限界で色や図形や音の再現精度は極めて精巧だが、味覚、嗅覚、触覚は再現されず、当時ワシが何を考えたかは、ワシ自身の記憶に頼るしかない。
完全記憶能力でもあればいいのだが、まぁ、十分チート能力なので贅沢はいうまい。
「おそれながら申し上げます。わたくしは俳句を嗜む文化人であって、忍者ではございません」
「いや、嘘はよくないな。これは確かな筋からの情報だ。そうだな?河合」
「はっ」
ワシの後ろのジェノサイダー河合が短く返事する。
しかし、この男は今朝初めて会ったばかりだ。
それなのに、一体ワシの何を知っているというのか。
河合と呼ばれた男は刀を鞘に納め二歩ほど下がる。
そして、左手の人差し指を右手で握り、一直線になるように右手の人差し指を上に突き立てる。
ぼふんっ
煙に包まれ、次に見えた姿にワシは息を飲む。
インナーに鎖帷子、目だけを出した覆面に上下単色のつなぎ、胴をタイトに縛る帯、足首も細く絞られ、機能性がありそうな足袋を履いている。
なんか全身ピンク色だけど!?
徳田家に仕えるシノビ、服部忍者の末裔か?
シノビは覆面を取り払った。
「あたしは綱吉様に仕えるクノイチ、河合空、よろしくね」
キュピーーン。
(^_-)☆>
ワシは激しい眩暈で意識を失い気絶した。