序章05―王子の悔恨―
静かな夜に燭花が映える。照らし出された人影は頼りなさそうに揺らぎ、ぱちぱちと元気の良い音を放ちながら焚き火の炎がはぜた。
シェオールがどこからか捕らえてきた動物は、鉄鍋の中で煮えたぎっていた。三人はそれを取り囲みながら、各々の取り分を頬張る。男手のみで作られたスープは、なかなかの美味であった。共同作業に連帯感を増した彼らは、出会った当初より、幾分寛いだ態度で互いに接するようになっていた。
「御者さん、このスープ絶品だね」
「だろ? 剣の腕が良いやつは、料理の腕も良いもんなんだ」
「……そう言うもんだっけ」
ぼそっと呟く人間、一名。カイザが怪訝そうに向かい側を見遣ると、フードの中に不機嫌そうな顔を見つけた。馬車での会話をまだ引きずっているのだろうか。冗談を言ってみても、ちらりとも微笑まない。それゆえ周囲には、些か取っ付き難い印象を与えていた。キースと並ぶ程口数が少ないのではなかろうか。とカイザの頭を過ぎる。最も、弟と異なり、不器用だからと言う理由ではないだろうが。
彼の側には、常に大剣が置かれていた。剣の柄は炎に煌めき、夜空の星屑が宿ったようだ。用心棒をするくらいだからやっぱり強いのかな。と、また一口頬張った。
「シェオール君は、料理苦手なのかい? 」
「昔……少し作ったことがあるだけです」
料理出来るほど食べ物がなかったから、とあまり興味がなさそうに赤い果物をかじった。すると御者は波々と液体が入ったビンを置き、赤茶色の瞳で苦々しげに見つめ返す。
「……内乱、か。ボウズくらいの年齢だと、物心付いた時にゃあ既に酷い有様だったんだろうな」
少年は、同情を示すような台詞に肩を竦めた。それから何を言う訳でもなく、スープを突っ突き始めた。鍋を囲みながら語るような、楽しい話題ではないのだろう。
レダン国の内乱――それは長きに渡る主権争い。事の発端はシザール国とクァージ国の侵入だったと言う。かつて国民基盤の民主制だったレダンは、多くの国民が一丸となって防衛に徹した。しかし度重なる戦争は人々の心を荒ませ、それまで脈々と培われてきた秩序を無残に破壊していった。
食料難、酷い衛生状態。そして悲惨な状況に拍車を掛けるような大地震。精神も肉体も疲弊した民衆達は、ついに周辺国の侵入を許してしまったのだ。
しかし、そこに一人の英雄が現れた。先帝ロンメル。当事、レダン神殿の守人として細々と存在していた王族である。
彼は不思議な力を用いて敵をなぎ倒し、周囲に名声を轟かせた。そして見事防衛に成功し、その名が国内に知れ渡るほどに王権は強化されていった。市民達が気が付いた時には、時既に遅し。レダン国は、一人の皇帝が支配する帝政に移っていたのだ。
大多数の人間は、彼を「英雄」と支持していたと言う。だが、今まで主権を握っていたのは市民なのだ。一度手に入れてしまったものは、二度と手放せない。反感を持つ市民達の一部は、「奪われた」権利を取り戻そうと組織化し始めた。そして帝政開始より数年後、ついに大クーデターが勃発。これが俗に言う、インフェルヌムのクーデターであった。
カイザは、無表情な少年を一瞥した。二十年以上前の昔話。それを思い出し、何故だか酷く申し訳なくなった。確かに、領土争いなんてものは遥か昔から行われていること。しかし、だからこそ他国、とりわけ弱小国にも気を配る必要があるのだ。
遠くから聞こえる獣の遠吠えが、罪もない市民の悲鳴に聞こえた。これが錯覚だと、分かっていた。だが、父親の業を引き継ぐ自分は、責められて当然だと思った。
食事が終わると、シェオールは剣の手入れ、カイザは地図で下調べと、各自の仕事に熱中し始めた。真夜中と呼ぶには、まだ浅い。にも関わらず、流れる沈黙は深夜の様を呈していた。御者だけが陽気に鼻歌を歌い、馬のたてがみを撫でている。
「ああ、良い月夜だ。こんな夜は酒でも飲んでゆっくりしてぇもんだ」
「賊が来たら、どうするの」
「なあに、問題ねぇって。あいつらは大抵雨の日に動く。よほどのことがない限り、今夜みてぇな月夜にゃ襲ってこねぇさ」
「……なら、良いけど」
棘のある口調でシェオールが受け答えする。カイザはそれらを穏やかに見守りながら、腰の剣を確かめた。
「でも、確かに用心しておくに越したことはないんじゃないかな」
だからお酒飲まないでね。と諭すと、五十過ぎの男は残念そうに嘆息した。ほら見ろ。シェオールはそんな表情で鼻を鳴らし、横から地図を覗き込む。
茶焦げた羊皮紙には湖付近の地形、それから備考なんかが書き込まれていた。下調べをしていた証拠だ。少年が意外そうに、へぇと呟くと、カイザは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「関所前で情報収集はしてたんだけど、賊の話は一度も出て来なかったんだよね」
「はっ。口に出すのも恐ろしいってやつじゃねーのか? あの辺は商人が多いからなぁ」
「……ああ、そうかも」
御者の言い分に、珍しくシェオールも賛同した。そして再びフードの奥に引っ込むと、手入れに没頭し始めた。
御者によると、この辺りに住う盗賊には二大勢力があるらしい。一つは目立ちたがり屋気質で、主に商人ばかりを狙う残虐な集団。シェオールが言う「賊」もこちらを指している。そしてもう片方は、一切が謎の集団。裏で国王やギルドと繋がっていると言う噂も絶えず、そのあやふやさが民衆の恐怖を逆に掻き立てていた。
カイザは情報を頭の中に記録しながら、疑問を口にした。
「ねぇ、ギルドって? 」
「……傭兵ギルドのこと」
シェオールが、いつの間にか手を止めてこちらを見ていた。手入れ途中の大剣を鞘から引き抜き、月光に照らす。抜き身の白刃に、蒼白い光と焚火の橙色が混ざり合って絶妙な色彩を作り出していた。シェオールが軽く腕を振うと、風を切る鋭い音が響いた。
「ギルドには商人、民衆、国王から色んな依頼が来るんです。ボスがそれを相当の実力者に割当て、任務完了したらお金が入る仕組み」
俺もギルドに属してる人間です。と淡々と説明し、鏡のような剣の表面を撫でた。
「へぇ……クァージって面白い制度があるんだね」
「ま、傭兵制になったのはここ数年だがな」
男はビンをあおり、零れた雫を振り払った。
この時代、何処の国でも戦争は共通の出来事だった。クァージにギルドが成立したのも、一重に侵略戦争が原因だと言えよう。戦争とは国同士の戦いである。したがって大量の人手が必要だ。だが多くの男手を注ぎ込んだ結果、起こったのは人口の激減である。
一度戦場に赴けば、商人や国王を守る仕事を受け持っていた凄腕も帰らぬ人。加えて国内が戦場となれば、夫の帰りを待つ女子供の命も露と消えてしまう。そのせいで国内には、管理する人間のいない無法地帯が増え続け、商人や国王は困り果ててしまった。
何故なら、税の収入源が消えていくことに他ならないからだ。人がいなければ、作物は育たない。となれば、必然的に饑餓〈きが〉が起こり、更に人口が減るのは目に見えている。そしてそれは、土地税を含む国家の歳入が減少することに繋がっていく。幾らクァージ王が自らの優越性を主張せども、市民によって国が成立っている事実が揺らぐことはないのだ。
つまり端的に言うと、これらはクァージ国家及びベネディスク王家存続に関わる重大な問題であった。財政難、人口激減、自然災害、そして王家断絶の危機。一歩間違えれば、レダン国の二の舞になりかねない。しかしそれは、内乱と言う統治者が最も敬遠すべき結末である。彼らはこの危機を乗り越えるため、昼夜問わず頭をひねった。そしてついに、傭兵ギルドが新たな政策として考案されたと言う訳だ。
「元々、クァージは外国人が多かったからな。金さえ払えば、喜んで他国の国王を守るだろうよ」
この案は民衆の支持も得て、今や国の要となっている。そして領土争奪戦に惨敗して以後は戦からも手を引き、国内の立て直しに全力を注いでいるのだ。
一方、カイザの故郷シザールも、かつて戦争に明け暮れていた頃があった。しかし他国と違うのは、一番の戦勝国だったと言うこと。したがってやはり人手不足は否めないものの、新たな領土より人員を動員して、欠如を補うことが出来た。
つまり、双方の分かれ道は「勝利」か「敗北」かにあった訳だ。
カイザは、周辺国の実情を知れば知るほど、自分は罪深い人間なのだと言う思いに捕らわれた。弱肉強食。勿論彼は理解している。だが実際に弱肉の世界を目の当たりにすると、複雑な心境にならざる得ないのだった。
彼の葛藤に気付いてか否か定かではないが、シェオールは仏頂面で説明を続けた。
「……ギルドも、中で色々分かれてます。例えば俺みたいなのは、戦い専門の『狼』の称号が貰える。でも知識人や頭が良い人間は『梟』の称号が与えられます」
「――だから、良いチームってのは、狼と梟がバランスよくいるもんなんだぜ」
相変わらず抑揚のない口調で言い終えると、御者が補足した。案外息が合っているようだ。が、シェオールは相手に冷たい視線を浴びせると、微かに睨み付けた。それから少年は懐をまさぐり、銀色の何かを放った。カイザは慌てて受け取る。それは、猛き狼の刺繍だった。特殊な糸で縫われているのだろうか。模様自体が光を放っているように見えた。
すると途端に、御者がぴゅうと軽く口笛を吹く。
「すげえなぁ、銀の狼か。こりゃあ良い用心棒になるぜ」
それから不思議そうなカイザを認めると、おどけたように肩を竦めた。
「――ああ、そっか。あんたは余所もんだったな。この刺繍は銀色だろう? ギルドの中は腕っ節の順に階級分けされてるが、銀は上位三位なんだ」
相当な手練じゃなけりゃ貰えねぇ色さ。
感嘆した表情で少年を見遣ると、彼は「褒めても、何も出ない」とそっぽを向いてしまった。カイザは照れ屋なんだなと微かに笑みを零し、刺繍を返した。
「しかし、そんなに強いボウズが湖に何の用なんだ? 」
「……ギルドの仕事。賊討伐の」
少年は言いにくそうに顔をしかめた。本来部外者に言うべきことではない。しかし相乗りさせて貰っているため、隠すのは上策でないと判断したのだろう。するとカイザは息を飲み、少年に詰め寄った。
「賊討伐だって?! 幾ら何でも、一人じゃ危ないって…! 」
弟が心配性ならば、兄も例に漏れずそうらしい。カイザは保護者さながら危険性を説き始める。が、残念ながら相手は総無視。否、そればかりか両耳を塞ぐと「あー」と声を遮断する始末である。これには、流石にカイザも呆れてしまった。軽く溜息を吐くと「心配しているのに……」と座り直した。
しかし、その瞬間。奇妙な悪寒が、全身を駆け巡った。
誰かに見られているような不気味な感覚に、鳥肌が立つ。カイザは敵が来たのかと思い、立ち上がって勢いよく見回した。だが、辺りには滑らかな闇があるだけだった。不思議そうなシェオールの視線を受けて、すごすごと座り直した。が、彼の心臓は未だ大きく鼓動していた。
今のは何だったのだろう。と、知らぬ間に垂れていた冷や汗を拭う。すると御者がくくと喉を鳴らし、愉快極まりないと言う風に笑い声を上げた。
「旅のお人、賊でもいたかい? 」
「あはは……ううん、違ったみたいだよ」
カイザはその場を和ませるように笑みを浮かべた。そして御者と視線を合わせた。――が。彼の様子が、どことなく普段と違うことに気が付いた。ほんのり頬が桃色に染まり、呂律が回っていない。
「……あの、御者さん」
「なんだぁー? 」
間延びした返事。御機嫌な口調に、漸くシェオールも気が付いたらしい。彼は鼻をくんくん鳴らすと、精一杯嫌そうに顔をしかめた。
「……お酒臭い」
「ああ、挫けそう……」
御者が手にしているのは、先程から持っていたビンだ。それは既に半分程消費されていた。この分だと、注意するもっと前――食事を始めた時から飲んでいたのだろう。カイザは勘弁してくれ、とこめかみを押さえた。するとシェオールが、慰めるように肩を叩いたのだった。
ほろ酔い気分の御者は、上機嫌に焚き火の周りを歩き始めた。しかしおぼつかない足取りでは真直ぐ進まず、カイザに衝突してしまう。自分より逞しい身体を慌てて支え、御者が焚火に突っ込まないようにしなければならなかった。
「へへ。そういえばなぁ、ボウズ。銀色の狼で一個思い出したなぁ」
もたれ掛かったまま、何事かを呟き始めた。
「銀色の狼にゃ、強ーい相方がいるって話を聞いたことがあるぜぇ。奇妙な技を使うって言う――有名な噂だ」
支えられた体勢で少年に近付き、酒臭い息を吐く。すると少年は明らかに眉をしかめ、御者から距離を取った。綺麗な顔に拒絶されると、グサリと突き刺さるものがある。だが男はそれにも負けず、酒をあおった。
「ちょ、ちょっと御者さん。本当に賊が来ちゃったらどうするつもり? 」
「なぁに、大丈夫さ。俺は強いからなぁ〜」
「……そう言う人間ほど、殺られる」
というか、殺られれば良い。シェオールは乏しい表情で皮肉ったように悪態をつき、無関心を決め込んだ。
まずい。酔っ払いと用心棒を見比べた時、その言葉がカイザの脳裏を過ぎった。この組み合わせは、色々と問題があるかもしれない。シェオールの相方はちょっとした有名人のようだが、まともな人であって欲しいと密かに願った。
いびきを掻き始めた案内人を眺め下ろし、寝袋を掛けてやる。そして幸先悪い出来事に、カイザは深々と歎息を漏らしたのだった。
「カイザさんも休んでください。見張りは俺がします」
すると、気遣うような台詞を掛けられた。でも君も疲れているでしょう。と尋ねると、用心棒だから気にしないでとやんわり返された。
この分だと、シェオールは譲るまい。疲れていたカイザはお言葉に甘えることにし、毛布を身体に掛けた。襲い来る睡魔と戦いながら、薄膜を隔てた世界に身を委ねる。そして闇の世界へ完全に埋もれてしまう寸前、薄く瞼を開く。と、そこに黒髪の、見知らぬ女性を見た気がした。
綺麗な横顔を見て、ふとシェオールを思い浮かべる。何で僕にだけ敬語なんだろう。なんて、くだらないことを考えながら眠りへ落ちた。
インフェルヌムとは、大罪人の地獄と言う意味らしいです。なんとなく好きな響きで、いつか使おうと思ってたものでした。