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序章04―魔科学の使い手―


この話だけガラリと場面が変わります。


「良い子だ……さぁ、おゆき」


 晴れ渡った碧空に、紅の小鳥が舞った。舞い落ちた羽根は仄かに虹色の輝きを纏い、恍惚とさせる神秘性を帯びていた。小鳥を放った青年は落下した羽根を拾い、器用に指先で回す。大木に身を寄せると退屈まじりの溜息を吐き、暇を弄んでいる片手を、左目の眼帯へ当てた。


「馬鹿な人達。本気で僕に敵うとでも? 」


 事切れた愚か者には、到底聞こえているはずもないが。湖岸へ波が打ち寄せると滑らかな水面は光を反射し、血塗れた岸辺を洗い流していった。寄せる波、返る波。揺籠の如く繰り返される動作は、戦闘後のささやかな興奮を鎮めてくれる。

 美青年は、馬鹿にした笑みを浮かべた。軽く指を鳴らす。と、柔らかい風が呼び起こされ、次第に威力を増していった。それに伴い木々達が身を揺らす。突風が吹き荒れ、水面がさざめき始める。暴風と化したそよ風は、死屍累々と横たわる盗賊達を、瞬く間に水底へ引摺り込んだ。

 小さな泡が浮かんでは消える。まだ息のある者がいるに違いない。「少々いじめ足りなかったみたいだね」と呟き、優雅に片腕を上げた。今度は頭上から突風を食らわせてやろうと言う魂胆なのだろう。

 しかし、不意に背後の茂みがざわつく。と思う暇もなく、五、六人の男達が姿を現した。男達は短剣を腰に差し、証たる鮮やかな布を手首に巻きつけている。血と見紛う程の赤だ。刻まれた紋章は百合に似て、沈みゆく盗賊達と同勢力であることを暗に示唆していた。


「ったく、あいつら何処まで行ってやがんだぁ? ギルドのやつらが来るって話なのに、遊んでやがって」

「はは、もう殺られてたり――……おいおい…! なんだありゃ!? お前ら、大丈夫か! 」


 盗賊の一人が湖から出ている腕を一瞥し、息を飲んだ。巻き舌の入った独特な発音で声を荒げる。それから部下を促し、次々に湖へ身投げをすると屍及び人間の救出に取り掛かった。湖岸に水飛沫が飛び散る。少し離れたところから観察していた青年は、人間よりも輝く水滴に気を取られていた。


「大丈夫か、レッツァ! 」


 盗賊達は神聖なる地で騒ぎ立てる。酷く滑らかだった水鏡が歪められた。それに気が付いた青年は漸く意識を向けたが、微笑を浮かべるのみ。穏やかにその光景を眺め、喉を鳴らす以外何もしない。張本人ゆえ全くの無関心ではないが、わざわざ手を出す程も関心はないと言うことか。

 そうしてしばらく後、水滴を滴らせながら男達は岸へ這い上がって来た。息のあった者も絶えている者も、湖岸に放られる。全員が救助されたのを認めると、一番体格の良い髭は、鬼の形相で青年を睨み付けた。


「てめぇだな……部下をこんなにしたのは! タダで済むと思うなよ! 」


 怒り狂って、唾を遠くへ飛ばす。


「ええ、思ってませんよ。いくら僕だって、報酬無し(タダ)じゃあ仕事はしませんからね」

「…………はぁ? 」


 思わずうわずった濁声。返ってきた返答は明らかに、正規の道筋から脇道に逸れていた。相手のタダを、無事ではなくお金の話と間違えたのか。しかし口許に浮かぶ小さな笑みは余裕を感じさせ、それが更に盗賊達を苛立たせるのだ。小馬鹿にした雰囲気から察するに、故意に挑発したのではなかろうか。

 丸腰の彼はゆっくりと腰を上げた。それから盗賊に向けて大あくびを放つ。そして空を見上げると

「今日は日差しが気持ち良いですねぇ」と気さくに話し掛けた。挑戦的、かつ呑気である。張り詰めた空気には酷く似つかわしくない発言だった。盗賊達のこめかみに青筋が浮上がるが、無理もない。それに対し青年は一層笑みを深くし、張り詰めた緊張感を心地良いテナーで破った。

「そんな怖い顔ばかりしちゃ、汚い顔が更に汚くなりますよ? 」

「てんめぇ……!調子づいてんじゃねー! 」


 頭領の怒声を合図に、盗賊達は一斉に戦闘体制に入った。挑発した青年は満足した風に口許を歪め、妖艶に前髪を掻き上げた。先陣切って飛び掛かってきたのは頭領。切っ先の標的を確実に定めると、素早く宙を薙払う。するとそよ風が美青年の茶髪をなびかせ、透き通るような肌を撫ぜた。

 しかし、幾ら空を薙払おうとも青年には届かない。眼帯をした茶髪の青年は、息を合わせて身を屈めた。盗賊達の攻撃は苦労の甲斐なく、容易に躱されていく。それに虚しさを覚えながらも、攻撃を止めることはなかった。

 すると不意に、青年が反動を利用して強く地面を蹴った。合間を縫って素早く懐へ飛び込む。そのまま不潔そうな男の額へ人差し指を当てた。と、その途端、今の今まで意気込んでいた敵が泡を吹いて崩れ落ちてしまったのだった。

「調子づいてるのは、君達でしょう」


 温和な笑み、冷たい言葉。双方が相反し、不気味なまでに空気が凍り付く。


「さぁ、次は誰? 」


 照りつける太陽の下、漆黒のマントが残酷に笑った。小さな子供が遊び半分で蟻を踏みつぶすように、人を消すことに何のためらいも感じていないようだ。 頭領を失った部下達は、向けられている威圧感におののき後退った。畏れ、敬愛していた頭領が糸も簡単に命を奪われてしまったのだ。部下達が戦って生き残る確率は、雀の涙程もない。しかし彼らとて盗賊なりの矜持はあった。敵うはずないと理解していようが、逃げることは許されない。ここで背を向けてしまっては、今まで育てて貰った頭領に顔向け出来ないからだ。恐怖がじわじわと心を蝕む中、彼らは決死の覚悟で武器を取った。そして自暴自棄と言っても過言ではない、激しい雄叫びを上げて駆け出した。


「頭領の仇討ちだー! 」


 一際高く雄叫びを上げ、全員で青年を取り囲む。逃げ道を断ち、丸腰の人間を袋叩きにしようと各々の獲物をかざした。しかし、ここに彼らの敗因があった。自棄になっている盗賊は、振り上げた際大きな隙が出来てしまうのだ。青年はまさにこの瞬間を狙い、空高く跳ね上がった。

 軽やかな跳躍に、盗賊達は息を飲んだ。その傍ら、美青年は宙で身を捻り、華麗な放物線を描いて湖岸に着地した。煌めく湖を背に、穏やかな表情で盗賊を見据える。と、鷹揚に片手を空へ突出した。


「――『汝、知に沈め』。イオ神の前に、平伏せ」


 静寂にこだまする独唱。形の良い唇から淡々と紡がれる言葉は、次第に力を持ち始める。力ある言葉は穏やかな湖面を震わせ、辺りへ不気味な静けさをもたらした。頬を凪ぐ恵風(けいふう)が、ぱたりと止む。――そして不意に、嵐前の静けさを破る地鳴りが轟々と響いた。


「君達の勇気に敬意を示して……滅多に見られないもの、見せてあげるよ」


 言葉と共に水面が盛り上がった。飛沫を浴びた草花は煌めき、これから始まる儀式に祝杯を上げているようだ。巨大な水の塊は太陽の光を遮る程に成長していく。そして段々と何かの形を取り、完全な造形が出来上がった。


「……と、とり……? 」


 盗賊達は震え上がった。内の一人が掠れた声で呟くと、青年はゆっくりと口角を上げた。

挿絵(By みてみん)

「湖の水で作ってみたんだ。どう、きれいでしょう? 」

「てめぇ……バケモンか…! 」


 盗賊が堪らず叫んだ言葉を聞いて青年は軽く首を傾げた。何も答えなかったが

「そう思いたいならどうぞ」とでも言いたそうに笑う。無邪気な笑顔が残酷さを際立たせていた。

青年が湖水の鳥を仰ぐと、怪物は奇怪な声を大気へ轟かせた。

 ギイィとも、何とも名状しがたい気持ち悪い鳴き声である。長く聞いていると、体内を巡る血液がぐるぐると逆回転を始めそうだった。どこか長年油を差し忘れていた蝶番を連想させる。すると信じられようもない光景を目の当たりにした盗賊達は、今度こそ怖じ気ついてしまった。先程の決意はどこへ行ったのやら、武器を取り落とし我先にと身を翻す。


「うあああ! 」

 美景たる観光地に、悲痛な絶叫がこだました。その傍ら青年は水鳥へ指示を与え、散り散りになって逃げ惑う男達を追撃させる。地獄と言うものが、この世に存在するのだろうか。現在繰り広げられている光景は聴覚、視覚などの感覚どれをとっても、地獄と呼ぶに相応しいものだった。そのまま上空より急降下し、怪鳥は一人ずつ飲み込んでいく。

 彼らは狂ったように抵抗していた。しかし、それも無理からぬことだった。水鳥の腹へ放り込まれた人間は、鉄鎖を付けて湖へ沈んだのも同然なのだ。何故なら、腹の中は湖水で満たされているから。盗賊達は脱出せんと必死にもがいていたが、水という大自然には手も足も出ず、一人、また一人と息絶えていったのだった。


「ふふ……愚かだね」


 美青年から笑い声が漏れた。死に行く人間達を見て、なおも楽しそうな表情をしている。人間の皮を被った死神のようだ。とかつて上司が告げた台詞は、ものの見事に彼の性質を表していた。暖かみを感じさせぬ藍色が、ゆっくりと隣りへずらされる。


「……ひっ……」


 視線の先には、水鳥の餌食を免れた少年が一人いた。まだ子供と言っても差し支えない外見である。腰を抜かして逃げ遅れたのか。地獄図のような光景を呆然と見上げ、全身を震わせていた。その青褪めた顔色、異常に見開かれた瞳孔が、青年に対する恐怖を如実に物語っていた。


「な、何で魔科学(ヘカテ)が……」

「……へえ。ヘカテを知ってる人がいるなんて」


 穏やかな笑みに、一瞬驚愕が浮かんだ。紡がれた単語に少しだけ目を見開き、子供へ歩み寄った。すると少年は、俺もレダンから逃げ延びた人間の一人だからな、と反抗的に呟いた。


「だ、だからこれも知ってるぜ……ヘカテを一人で扱える人間は、王ぞ――ぐう……! 」

「口は、災いの元だよ」

 レダン国から来たという子供の身体が突如宙に浮いた。手品のようだが、そのような陳腐な種は一切仕掛けられていない。もっと高尚なもの、遥かに危険で難易度の高いものなのだ。その少年は空気――否、正しくは青年が操る圧縮された窒素原子に身体を締め付けられ、苦しそうに呻いた。人間の眼力では不可視の原子が、ぎりぎりと締め付けていく。

 一方、佇んでいる青年の顔からは、一度足りとも消えることがなかった微笑が失われていた。微かに怒りの炎さえ感じられる。美麗な青年は散らばった剣を拾い、相手の喉元へと突き付ける。すると冷たい切っ先を直に感じながら、レダン国の少年は苦笑を浮かべた。


「まさか……こんなところで『カギビト』に会うなんてな」


 カギビトと言う単語の語意を強め


「会うと分かってたら、ハナッから此所に来なかったぜ」


 皮肉ったように口許を歪めた。すると、不思議な術を使う青年は無表情のまま言い放つ。


「でも、それは君だけの事情でしょう? 例えそっちから来なくても、君が盗賊と名乗る以上、僕と出会わないはずが無いでしょう」


 盗賊討伐っていう任務は、割りが良いからね。なんて冷ややかな返答に、少年は自嘲気味な笑みを零した。それじゃあ、俺の行く末は一つじゃないか。吹っ切れたように瞼を閉じ、息を吐く。そしてダランと両腕を垂らすと、悟ったような穏やかな笑みを浮かべた。

 美青年は諦めの笑みを受け取り、静かに「そうですね」と答えた。それから腕をゆっくりと持ち上げ、非情な剣を無感情に振り降ろしたのだった。


「イオ神よ――永遠の相の元に」


 盗賊少年の最期の祈りが、青年の心に小さく響いていた。




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