鳴神
帝はわたくしにおっしゃられたのです。
「お主が頼りなのじゃ、お主にしかできぬことと余は思うておる」
御自らわたくしの手をお取りになられ、甘く囁くあの方のお声に、どうして逆らえましょう。
「帝の仰せのままに」
わたくしは顔を伏せて、そう申し上げるだけでございました。
◇◇◇◇◇
「ねえ、姫。あんた本当にいいの!?」
「しょうがないじゃん。帝に行けって言われて、行かないわけにいかないでしょうが」
家に帰ってくるなり話を聞いた侍女は地団駄を踏んだ。小さい頃から一緒にいるこの侍女はわたしに対して遠慮がない。だから、わたしも気が楽なんだけど。
彼女は、これが絶世の美女たる雲絶間姫にやらせることなのと憤る。
「知ってんの? 今回の件、帝のほうが悪いって噂になってんのよ」
わたしはため息混じりに呟いた。
「それ、どっちもどっちな気がするんだけどな」
多分、わたしは苦虫を噛み潰したような顔をしてるんだろう。自分の口角とテンションのだだ下がり具合と、侍女の大袈裟なため息でそれとわかる。
それは帝が鳴神上人の通力を聞き、内裏へ呼び出したことから始まった。
帝の前へ進み出た上人は横柄な態度でこう言ったそうだ。
「それで、儂にどうしろというのだ」
「世継ぎを。余に皇子を授けてほしい」
「ははあ、なるほどな。帝というのも大変だのう」
「上人殿、お主のそのお力で是非とも霊験を授けてほしいのじゃ」
「ふむ……ならば、そうさのう。ひとつ儂のために寺を建ててはくれんかの」
「おお! 引き受けてくださるのか。寺院建立など容易きこと。お任せあれ」
上人が祈祷をして程なく、皇子が誕生されたのは周知の通りだ。
侍女はむすっとした顔のまま。
やがて口を開くと苛々と言った。
「その後さ、あいつ寺院建立にかかる費用試算させたら、自分が思ってたよりかかりそうだってんで握りつぶしたんじゃん」
「知ってるわよ、そのくらい。上人の催促が来たら今やってますって言っとけって、そう言ったんでしょ。蕎麦屋の出前じゃないっつうの」
「それ知ってて何で帝の言いなりなのよ」
「……」
「ちょっと、姫!」
痛いところをつくわね。わたしだってそれじゃなきゃ「仰せのままに」なんて言わなかったわよ。
「だってさあ……あいつイケメンじゃん。女の子の扱いも心得てるしさ。何よりあの甘い声で囁かれたら……あ、そういえばあんたも鳴神上人見たことあるでしょ。あんたならどっちがいい?」
「帝」
「即答かよ! まあ、そういうことよ」
はあ……顔よし声よし性格よし。年は理想よりちょっと上だけど帝ほどの優良株はなかなかいない。彼のようなイケオジならともかく、上人は私の好みとは真逆をいく枯れた人。
おじい様はわたしの守備範囲外なのよ。
「でもさ、鳴神上人の仕返しもえげつないわよね」
問題はそれ。侍女の言う通り、ほんとえげつない。
寺院建立の件で怒った上人は、その通力で龍神様を封印してしまい、雨が降らなくなってしまったのだ。おかげで今、国中が干上がっている。
「ホントよ。おかげで誰が考えたんだか、わたしがこんなことしなくちゃならなくなったんだから」
「本当なの? 戒律を犯すと通力が落ちるって」
「らしいわよ。案外、鳴神上人って人も敵が多いんじゃない? 弱味知ってる人じゃなきゃ帝にそんなこと言わないでしょ」
「それな」
◇◇◇◇◇
侍女は筆を耳に挟んで腕を組む。
やめなさい、競馬場のオヤジじゃないんだから。
「まずは、あいつの懐に入り込むことよね」
言いながら、文箱から取り出した紙にあれやこれやを書きつけていく。
修行の妨げになるからと、わざわざ人里離れた場所に作られた質素な寺院。鳴神上人は、そこに身の回りの世話をする小坊主と共に居るそうだ。
うーん、小坊主対策もしなきゃいけないか。草でも食っとけじゃ追い払えないもんね。
口元に拳を当てながら思案を重ねる。
「修行中の小坊主なんて、あんたが迫ったらコロリでしょ。誑し込みやすいって」
「そう? とにかく、まずは上人を表に出すように仕向けるとこからよね」
「そだね。ね、上人ってさ、一つでも破戒させればいいって言われたんでしょ? どう、もうちょいいっとく?」
「あんた、他人事だと思って軽く言うわね」
軽く睨むと、侍女は大丈夫よと親指を上げた。
「邪淫と飲酒の破戒ならセットでいけるっしょ。『クラブ雲間』へようこそってやつよ」
「色仕掛けとか趣味じゃないんだけど、しょうがないわよね。じゃあ、まずは酒を飲ませまくって酔いつぶす」
「そうそう、そんで隙を見計らって、龍神様を封印している注連縄を切る」
なんだかんだと言いつつも、わたしと侍女は鳴神上人の元へ向かう準備を終えた。
「これで大丈夫かな?」
「酒よーし、姫よーし、懐剣よーし、車よーし、うん、おけだね」
「はあ……じゃ行きますか。上人とこナビ入れといて」
「はいよ」
件の上人の引きこもり先は、そりゃ人もいないわよ。今は干上がっているけど、元は大きな湖だった場所だもの。住民もなぜかこの場所には近づかない。
わたしも、さすがにこの着物で歩いていくのはごめんだ。馬に乗るのもきつい。だって着崩れちゃうじゃない。
だから、次女に車を出してもらったのよ。
京から車を飛ばせば一刻ほどもあれば着くんだから、やっぱり車があると快適よね。
「ねえ、姫。ここから先は大っぴらについていけないけど大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫って言っとくわ。こんなの河童が屁こいて逃げ出す程度のことよ! 任せといて」
「姫……あんたさ、時々心根が男前よね」
「フッ、惚れんなよ」
「表現はいろいろ残念だけど……さて、忘れ物はないかな」
スルーかい。いいけどね。
よしっ、とわたしは立ち上がって両の頬を叩く。
「おっけー、行ってくるわ。後は頼んだわよ」
日照り続きでカサついた道に、一歩、踏み出した。
◇◇◇◇◇
上人の鼾を聞きながら、わたしは足音を忍ばせて部屋、侍女の言う『クラブ雲間』ってやつをを出る。
ええ、ええ、やったわよ。なんとか上人のとこ入り込んで、お酒どーぞとか、あらやだ、こんなとこ触ってとか。あーーー! やだやだ!
さてと、龍神様はどこだろう。こっちかな? 水の匂いがする。回廊を小走りに急ぐ。
何度も折れ曲がるその先から、どうどうと流れる水の音がする。
あ、あった!
水量豊かな滝に注連縄が渡されていた。これね。
切れ味良さげなサバイバルナイフが手の中で光る。
うふっ、これは宣伝文句に偽りなさそう。さすが陰陽寮。
「って、感心してあげたのにぃ……ちょっと、何で切れないのよ」
すっぱり切れると思ってたのに、ほんの少しずつしか切れない。
さほど太さもないのに、ムカつくうぅ!
わざわざ『通力にも効果あります』っていう、祈祷済みのやつ買ったのに陰陽寮めぇぇぇ! ついでにあの★5レビュー書いたやつもシバキ倒してやる!
半ばヤケになりながら、力を込めて縄を切っていく。
こんなの聞いてないわよ。ああもう……上人の通力ってやつが酔いつぶれていてこれなら、正気の時じゃ絶対切れないやつじゃん。
何とか半分程は切れた。
「こんのおぉぉ! 切れろ!」
ぐちぐちと文句を言いながらも、動かす手は止められない。
「……やった!」
はあぁぁ……こんな手間がかかるなんて。特別手当がほしいくらいだわ。
へたり込むわたしの頬を冷たい風が撫でていく。何となく、龍神様にお礼を言われたような気がして空を見上げた。
どういたしまして。
やっぱり龍神様は空に存在るのがいいわよね。
見上げた空には、遠く黒雲が湧き始めた。
◇◇◇◇◇
そっと上人の寺院を抜け出すと一気に駆け出す。
「ミッションコンプリートオオオオオ!」
「お帰り! 首尾は?」
「上々! 空を見てよ!」
一気に広がり出した黒雲は、今にも大粒の雨を降らせそうなほどに、重い水気を孕んでいる。
わたしは車に飛び乗り、同時に侍女はアクセルを踏み込んだ。
「ああああ! もう、好みでもない男の人に体を触られたりお酌をしたりなんてセクハラよ、セクハラ!」
「それこっちから仕掛けたやつ」
「うるさい」
そんな文句を言いながらも、ひたすら逃げる。モタモタしてたら、追いかけてくる上人にどんな報復をされるかわかったもんじゃない。
「でもさ、全国民に感謝されるわよ。がんばったよねえ。よっ、英雄」
「んなこと言ってる暇があったら逃げるのよ! ほら来たっ!」
「了解。おっ、雨だ。本格的に降る前に飛ばすわよお!」
◇◇◇◇◇
『雷神不動北山桜』の一幕でございました。
歌舞伎
正式には鳴神不動北山桜の四幕目『北山岩屋の場』
歌舞伎十八番のひとつ。「十八番」はここから来ている言葉。
歌舞伎十八番は市川團十郎家(成田屋)の、家の芸のことを指す。
歌舞伎十八番には、この鳴神不動北山桜から『毛抜』『不動』『鳴神』と三つの芝居が入っていて、これらは独立して上演されることが多い。
筋は追っていますが、この舞台を見に行って「全然違うやんけ! こんなんあるかい!」って言われても(あるわけない)責任は負えません。