ケーキの切れない全裸中年男性
白井恵一は全裸中年男性である。
全裸中年男性であるから、今まさに彼は部屋で全裸である。
そして目の前には4号サイズのケーキ。これは彼が夕方に買ってきたものだ。
無職なので仕事帰りというわけではない。そして警察に捕まらないよう一応外では服を着ている。
彼は思い出す。30数年前の少年の頃のことを。
ある土曜日。学校は半ドンで、昼飯を家でかっこむやいなや、友達と公園に遊びに行き、今では考えられないことだが、真っ黒に日焼けして5時頃家に帰る。
弟と家の風呂に入る。弟も日焼けで肌は真っ赤だ。ひりひりして痛い痛いと言いながらお湯をかけあい騒ぎながら湯船につかる。
風呂場に乱入してきた母から「いい加減にしなさい!」と怒鳴られてようやくしおらしく体を洗い始める。もちろん痛い。しかし弟とにっこり笑いあう。
風呂から上がったら父がビールを飲みながら新聞の夕刊を読んでいる。祖父は詰将棋に興じている。
夕食はとにかく急いで食べてしまう。白井家では夕食時にテレビを見ることができない。
白井兄弟は毎週土曜日7時からの「まんが日本昔話」を楽しみにしていた。そして7時半からのクイズダービーは面白さがよくわからないが、続いて放映される「8時だヨ!全員集合」は白井兄弟のみならず、当時の小学生がマストで見ていた番組だ。
祖母がスイカを切って出してくれる。スイカをほおばりながら視聴するコントはことのほか面白かった。
父が今日は特別だと言っている。何が特別なのか。そう、今日は実は白井恵一の誕生日なのだ。
全員集合が終わったところで母が用意していたケーキを出して恵一の誕生日を祝う。
家族みんなが4号サイズのケーキを囲み・・・
白井恵一は全裸でケーキを切り分けようとする。手にナイフを持つ。ぶるぶる震える。
俺は・・・俺は・・・
涙がとまらない。鼻水がたれてきた。嗚咽は部屋にくぐもって響いた。
ナイフの切っ先がケーキに触れるが、そこからが進まない。
どうして俺はこんなになっちまったんだ。
ケーキを切り分けるだけだ。切り分けるだけだ。恵一はそう自分に言い聞かせる。ナイフを持つ右手の震えを止めるために左手をそえるがその左手も震える。
全裸中年男性はケーキを切ることができない。