6 Second Contact
楓は電車に揺られながらスマートフォンのメッセージを眺めていた。
『晩ご飯作りに行くけど良い?』
『助かる』
『食材とかある?』
『わからん』
『ホントにポンコツね』
『ほっとけ』
『何が食べたい?』
『なんでも良い』
『なんでも良いが一番困るのよね』
『楓の好みでいいよ』
『わかった。献立に合わせて食材買って行きます』
『ヨロ』
『5時ごろ行くから家に居てよ』
『りょ』
読み返すたびニヘラァ〜と表情筋が緩む。何も知らない者が楓を見れば必ずこう言うだろう。
『あれ、ヤッベェのやってね?』
紀夫の家に初めて行ったのは高校二年生の夏、付き合い出して二ヶ月目ぐらいの頃だった。それから今まで、紀夫の家には数えきれない程お邪魔している。だが一度たりとも紀夫の家で料理を作った事はない。
紀夫の家で夕食を幾度となく御呼ばれしている。楓は咲恵に手伝いを申し出ているのだが、尽く咲恵に断られていた。
咲恵との関係は悪くないと楓は自負している。実際、社会人になってからは休日に二人だけで出かける事も増えた。ショッピングに、食事に、映画にと楽しく過ごせている。
紀夫の部屋の掃除をすると「助かるわぁ」と咲恵に言ってもらえた。
紀夫のシャツにアイロンをかけると「プロみたいな仕上がりね」と咲恵に言ってもらえた。
だが台所だけは立たせてもらえなかった。
『台所は女の城』
紀夫の家の台所は楓にとって不可侵領域であった。
だが状況が変わった。城の主である咲恵が夫の転勤先に随伴していった。紀夫から休日限定とはいえ、台所に立って欲しいと言われた。
今まで紀夫に料理を作った事は幾度とある。だがそれは紀夫が楓の家に遊びに来た時だけに限られていた。
付き合い始めて九年目。楓は結婚についてキチンと向き合う頃ではないかと考え始めていた。だが、紀夫は一向にその素振りが無い。どうしたものかと先に結婚したの親友達に相談すると、ありきたりではあるが「胃袋を掴むのが手っ取り早い」と言われた。特に紀夫の様な家事系ポンコツ男には効き目が大きいらしい。現に彼女達もそうやって結婚に漕ぎ着けたそうだが、家事系ポンコツ男は結婚してからが大変だと釘を刺される。家事の手伝いをして貰えないので、ちょくちょく喧嘩になるそうだ。
結婚後のことより、紀夫に結婚を意識させる事が先である。結婚しなければ結婚後は訪れない。
紀夫が一人暮らしになるという降って湧いたチャンス。不可侵領域への侵入経路は開かれた。
ここで一気に勝負をかけるしか無い。
気合いが漲る楓であった。
目的駅で電車を降りる。
駅前の商店街を抜けた先にあるスーパーマーケットに入った。
「何にしようかなぁ。」
入り口に掲示された広告に目を通す。今日の特売品は焼き肉セット各種と謳われていた。土曜日の夜、家族揃って焼き肉パーティーを勧めているのであろう。楓は家での焼き肉に賛成しない。脂は飛び散るし、臭いが部屋に染みついて後が大変だからだ。
「ベタだけど紀夫の好きなアレにするか。」
買い物カゴを手に取ると野菜コーナーへと向かう。玉葱、ニンジン、メークイーン、ブロッコリー、レタス、トマトをカゴに入れる。このスーパーには精肉店が入っているので、スーパーが売っている肉には目もくれず、精肉店で角切りの牛肩ロースを購入。中辛のカレールーと福神漬け、酢漬けラッキョをカゴに入れレジへと向かう。夕方五時前後という時間帯もあり、レジには少し行列ができていた。
支払いの段階でエコバッグを持ってくるのを忘れていた事に気づき、有料のレジ袋を追加で買い求める。
レジ袋に買った物を詰めてスーパーを後にした。
スーパーから紀夫の家まで徒歩十分ほど。今日の食材の量なら大した事は無いが、もう少し手の込んだ料理の食材とかになると、買い出しが大変かもしれない。そう思いながら歩いていると、コインパーキングに駐まっていた黒塗りの高級車の前を通過した。
駐まっているだけなら楓も気には止めなかったのだが、運転席に乗っている男性が楓の事をジッと見ていた。駐車している車に人が乗っている事が珍しいので楓も気になったのだが、向こうが自分の事を執拗に見ているのが怖くなり、思わず駆け足になった。
紀夫の家に着くと、少し粗くなった呼吸を整える様に深呼吸を数回繰り返す。
インターホンのボタンを押す。
♪ピンポ〜ン ピンポ〜ン
おかしい。紀夫が出てこない。
♪ピンポ〜ン ピンポ〜ン
家の中からドタドタと足音がする。ガチャっと玄関ドアが開いて紀夫が出てきた。
「早かったじゃないか。」
紀夫がドアを慌てて閉めながら言った。楓は自分の腕時計を確かめる。五時を少しまわったところだ。
「五時に行くって言ったよね?」
「あ〜そうだった、そうだった。勘違いしてたよ。」
「とりあえず荷物を持って。」
「重かっただろ。ご苦労さん。」
紀夫は楓からレジ袋を受け取るがぎこちない。楓は不審に思った。いつもの紀夫ではない。
「とりあえず家に入ろ?ドアを開けて。お肉とかあるから早く冷蔵庫に入れなきゃ。」
楓が家に入ろうと促すが紀夫の歯切れが悪い。
「あ…ああ。そうだな。」
紀夫は玄関ドアの前に立ち、開けようとしない。
「ねぇ、なんで家に入らないの?」
「いや、別にそんな事ないぞ?」
紀夫は時間稼ぎをしつつ、この場をいかに凌ぐか考えていた。
「なんか変よ?」
「気のせいだ。きっと。」
楓は何かを確信した。紀夫の隙をついて玄関ドアを開ける。
白いハイヒールパンプスが玄関に揃えて置かれているのが、楓の目に飛び込んできた。
咲恵はこの様なビールの高いパンプスは履かない事を楓は知っている。
楓が紀夫を問い詰めようとした時、リビングから声がした。
「紀夫?このパンプスは誰のかしら?」
「紀夫さん。お客様ですか?」
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