10 私を海に連れてって(3)
目的のインターチェンジで高速を降りる。料金所を時速二十キロで通過するとハンドルに取り付けたETC装置がピンポーンと鳴る。キャッシュレス精算はバイク乗りにとって大革命なシステムだ。
ETCを装備する前は、料金所で停止してグローブを外し、ウエストポーチから財布を出して料金を支払っていた。当たり前といえば当たり前なのだが。
高額紙幣を渡してお釣りに紙幣数枚と貨幣を返された時、難関ミッションが発生する。手のひらには紙幣、貨幣の順に乗っている。財布のコイン入れの口に手の平をかざす。手を少しずつ立てて紙幣の上を滑らせるようにして貨幣をコイン入れへと滑り込ませるのだが、バイクに跨りながらこの動作をするのが意外に難しい。
失敗すると貨幣は手の平からこぼれ落ち、チャリンチャリンと音を立てながら料金所の地面一帯にばら撒かれる。こうなるとバイクから降り、散らばった貨幣を拾い集めなければならない。
後続車のドライバーから「何やってんだよ!」とイラついた視線を浴びせられ、焦った挙句に鼠小僧よろしく、財布の中の貨幣まで豪快にぶち撒ける醜態を晒し、後続車のドライバーに頭をペコペコ下げる。
紀夫が何度となく経験した事だ。
久保田紀夫著『実録!料金所で小銭をばら撒いてみた件〜後続車のおっさんに睨まれたから俺は素直に謝ると助手席の超絶美少女が俺を指差して笑ったので恋は始まらない〜』と銘打って本が書けるくらいに。
とにかくIT化社会に感謝しかない。
一般道に出て南へと進路を取る。交差点を何度か曲がったが、紀夫が指示をださくても真里は上手く重心移動できるようになっていた。
インターチェンジから十五分ほど走り、トンネルを抜けるとそこは雪国ならぬ海が目の前に広がっていた。
家を出てから約二時間。トイレ休憩を兼ねて昼メシでも取ろうと考え、ひなびた港町にある一軒の寿司屋の前で停まった。店の前の駐車場にハーレーを駐めると真里を連れて店に入る。
日曜日の昼時だったので待つ事になるかと覚悟していたが、カウンターなら空いていると案内された。先に化粧室へ行ってこいと真里に伝えると、真里はそさくさと化粧室へと消えていった。
紀夫はメニューに目を通した。旬である生シラス丼が最初のページに載っていた。さすが漁港が近くにあるだけの事はある。手書きのポップが味わいがあってよかった。
真里が戻って来た。待っていたかの様に、カウンターの向こうに立つ中年の寿司職人がお茶を出してくれた。
「私、こういった感じのお店って初めてです。」
真里は店内を見渡して言った。
「寿司屋なんか珍しくないだろ。」
「ええ、お寿司屋さんは何度も行ってますが…祖父母といくお寿司屋さんってカウンターに数席しか無いお店ばかりなんですよね。」
そう言って後ろを振り向くと小上がりになった座敷があり、六人用座卓が四脚ある。それぞれに家族連れが陣取り、楽しそうに寿司を頬張っていた。
壁には「マグロ三五〇」「コウイカ二三〇」「海鮮丼一二〇〇」と書かれた短冊が所狭しと貼られている。庶民が楽しめる寿司屋と言った雰囲気だった。
真里が行く寿司屋とは星が付くような高級な寿司屋なんだろうなと、紀夫は思った。紀夫も接待で何度かそういった店に行った事があるが、出された寿司を旨いと思った事は無い。
「何を頼みます?」
真里がメニューを眺めながら言った。
真里は握り寿司十貫が一皿に盛られたランチセットに目を止める。
「こういう店に来た時は旬の物を食べるべきだな。」
紀夫はそう言って、先程見ていた生シラス丼のページを真里に見せた。
「シラスってなんですか?」
さすがお嬢様と言ったところか。質問のレベルが高い。紀夫もシラスについて詳しい知識がある訳ではないのでお茶を濁す。
「美味い食べ物だな。とにかく食えばわかる。」
「私の欲しい答えと違う気がします。」
「難しい事は抜きだ。メシがまずくなる。」
「紀夫さんがどのような人か、良くわかりました。」
フフフと真里は笑った。
「紀夫さんお勧めなら、私も同じ物を。」
紀夫は目の前の職人に生シラス丼を二人前頼んだ。
「このお店には良く来るんですか?」
「ん?どうしてそう思う?」
「紀夫さん、迷わずにバイクを停めましたから。」
「そうだなぁ。年に数回くらいかな。」
「他にもお勧めはあります?」
「この店は何を頼んでも美味いぞ。漁港が近い地の利を生かした物を出してくれる。」
「そう言って貰えると嬉しいねぇ。」
紀夫の言った事が聞こえたのか、職人が嬉しそうに言った。
「ほい、お待ち!」
職人がそう言って丼を二人の前に置いた。
ご飯の上にこれでもかと盛られた生シラス。真ん中に温泉卵が乗せられ細かく刻んだ大葉が散らされている。
「こっちがセットのお吸い物。」
次にお碗が出された。蓋を開けると、具は鱧だった。初夏らしいお碗物だ。
「これはお嬢さんにおまけだ。」
先程褒められたのに気を良くしたのか、職人が葛饅頭が一つ乗った小皿を真里の前に置いた。
「ありがとうございます。」
真里は手を合わせて礼を言った。
紀夫は箸を取ると醤油を小皿に刺し、わさびを溶いてシラスの上にタラタラと掛けた。真里も紀夫を見て真似をする。
紀夫は丼を手に持つと一気にがっついた。真里はどうやって食べようか思案していると、
「これを使いな。」
と、職人が木製の匙を真里に渡した。
「ありがとうございます。」
真里は匙を受け取り、
「いただきます。」
と言って匙でシラスとご飯を掬い、口に運んだ。数回咀嚼して飲み込む。
「お、美味しい〜!」
真里の顔がヘニャリと崩れた。シラスの鮮度がよく、ねっとりとした食感と噛むたびに広がる甘み。ご飯も寿司屋らしく少し酢を効かせてあり、シラスの甘みにマッチしている。
後は喋る事なく二人は黙々と食べた。美味い物を食べる時、人は寡黙になるのだ。
「あ〜美味しかった。」
真里が丼を空にし、お吸い物を飲み干した時、先に食べ終わっていた紀夫はお茶を飲んで待っていた。
「それは良かった。」
「生シラスって食べた事ありませんでした。人生初です。今まで知らなかったなんて、損した気分です。この感動は一生忘れません。」
「おいおい、そんな大袈裟な事か?」
「はい。紀夫さんが教えてくれたのですから、尚更です。」
真里は葛饅頭を黒文字で二つに割ると、半分を黒文字に突き刺した。
「紀夫さん、どうぞ。あ〜ん。」
真里は黒文字に突き刺した葛饅頭を差し出す。紀夫は目が点になった。
「まさか食べさせようとしてないよな?」
「そのまさかですよ?饅頭が落ちちゃいます。あ〜ん。」
目の前で職人がニヤニヤしてる。
「早く口を開けて下さい。」
真里が引く事を知らないのは紀夫もなんとなく理解してるので、職人をチラチラ見つつ仕方なく口を開けた。口の中に饅頭が放り込まれる。
「お客さん、お熱いこって。仲がいいねぇ。」
職人がニヤニヤしながら二人を見て言った。
真里は自分が取った行動にハッとなり、顔が急速に赤くなる。慌てて黒文字を残っている饅頭に突き刺して口に入れたが、よく噛まずに飲み込み喉に詰まらせ、目をシロクロさせながらお茶を飲んだ。
紀夫はハンカチをポケットから出すと、涙目になっている真里に渡した。真里は「ありがとう」と言って、受け取ったハンカチで涙を拭く。
職人が言った。
「ホント仲良いね。ごちそうさん。」
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