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第七話:就社


 プロメテス王国、第六島スラント。

 この島は王国内ではそこそこの大きさを持つ。大陸とは呼べないものの、それでも五百㎢ほどはある。

 ただ、第三島カタルパくらいの規模の桟橋はない。湖に直接浮かぶ港があるのみだ。セホのような充実した設備はもちろん無く、ただ湖に浮かべるだけなので、船の形状や大きさに制限がある。

 もちろん、アルテミスウィング号は帆船の形なのもあるが、元々がそういう船らしく、問題なく水に浮かぶことができた。



『サジベルスター運輸』


 それを聞いた瞬間、俺はパンフレットをものすごい勢いで取り出した。


『サージベッター社』


 そう書かれたパンフレットは新しく、日付も今年のものだ。企業理念やら社長挨拶のような文言が躍るが、どこにも運輸の文字はない。


 何かの間違いだ。全身から変な汗を噴出させながら、このパンフレットを受け取った流れを説明しながら、シスカさんに見せた。


「なんですか、それ……え、なにこれ」


 シスカさんが困惑している。何かがおかしい。


「船長、これは何ですか」


 見た瞬間、サージ船長は足を引きずりながら部屋を出ようとする。それをシスカさんが回り込んで阻んだ。

 にらみ合いがしばらく続いたあと、船長が諦めたのか、深いため息をついた。


「うちは弱小会社だろう。業界には名前が売れてはいるが、一般で知る人は皆無なのだ。つまりは、新入社員というのが、なかなか来なくてね。シスカ君もわかるだろう」


「わかりますが、でも、なんですか、これは。あからさますぎませんか」


 パンフレットを掲げて社長の目の前に突き出した。


「うちは『サジベルスター運輸』です。船長の古巣の『サージベッター社』の名前を使うってまんま詐欺じゃないですか!」


「古巣?」


「え、知らないんですか? うちの船長、『サージベッター社』を四年前くらい前に辞めてますよ」


「この『サジベルスター運輸』を立ち上げるためにね」


 やっちまった。頭が真っ白になる。


 四年前といえば、大学の単位と慣れない食堂のアルバイトで余裕がないほどに忙しかったときだ。というか大学生活そのものが多忙を極めた地獄だった。ニュースを追う気力も無かった。

 あんな大企業の社長を、簡単にやめるとは、つゆにも思わないだろう。


 だからと言って、自分の受ける会社の一番大事な部分を、思い込みで調べなかったのは痛恨の極みだ。


 何をやっているんだ、俺。


「おかしいかな。そこには『サジベルスター運輸』の紹介なんてどこにもないし、私の経歴を紹介するパンフレットのつもりだったのだが?」


 口ひげを優雅に撫でて見せて。勝ち誇っているようにも見える。

 たしかにそうだ。

 俺は連敗のショックと、その中で降って湧いた話に舞い上がっていた。今になって冷静になってみると、社長の言う通りだ。


 でも、普通は会社案内だと思い込むだろう。


 思い込む……無理があるか。


 少しの怒りもあるが、やはり一番は、やっちまった後悔が感情を占める。


 もう一度思う。

 何をやっているんだ、俺。


「ミタさんって、商船協会のミタさんの奥さんだったら怒りますけど」


 サージ船長の目が泳ぐ。


「ミタさんからナギさんの状況みたいなのを聞いて、罠でも張っ……あ、おじいちゃん!」


 今度はモニターへと矛先を変える。


『どうしたの?』


「このパンフレットを作ったのおじいちゃんでしょ! 機械音痴の船長ができるわけないんだから」


『あはは。ばれちゃったか。年貢の納め時だね、サージ』


「もっとこう、穏便にバレることを予想していたんだがね」


 ウインクしても何にもならない。


「ごめんなさい。ナギさん、私も、新人の面接があるとしか聞かされてなくて」


 シスカさんは肩を落としている。おそらく、初めての面接で気を使っていたのだろう。


 なんとも言えない、膠着状態に陥る。皆が、お互いを窺っているアレだ。

 正直、この空気は苦手だ。そもそもが俺の残念さが産んでしまった結果でもある。


 意を決して、「あー…」と小声で注目を集めてから、口を開いた。


「つまりは、その、良い言い方をすると、逆指名みたいなものですか?」


 気を遣って、助け舟のつもりで言ってみた。


「おお、その通りだ。良い表現だね、ナギ君」


 もう一度、パンフレットを見る。やはり、これでは『サージベッター社』の会社案内にしか見えない。

 だが、抜けていた俺に非がある。勘違いをしたのは俺なのだ。


「ミタさんの奥さんからの話も聞いている。だから、ものは試しに働いてみてはどうかな。落ち着いてから続けるなり、他に移るなり考えるのも手だろう」


 他に受かった会社もない。大学の単位はすべて取っているし、最後の課題も提出済みだ。問題といえば寮の荷物だが、そこはどうにでもなる。


「実は、シスカ君だけでは手がまわらなくなっている。我々三人もいつ倒れてもおかしくない歳だ。我々を助けると思って、どうかね?」


 社長が真剣な目で見てくる。一代で巨大企業を作り上げた男の目だ。もっと俗で、猛獣のような、欲深い人物かと思っていたが、いい意味で裏切られた。品があって、魅力で人を引っ張るような、そんな眼差し。


 過去、彼の誠実な説得に、抗える人間はあまりいなかったのだろう。

 アホをかました後ろめたさも合わさって、その人間の一人に、俺も加わることになった。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 頭を下げる俺に、社長は右手を差し出す。

 応えて手を握ると、力強く握り返してきた。


 なんとかやっていけるかもしれない、ちょっとだけ、そう思った。


 こうして俺、ナギ・アマヤマは、甲板員になった。






 これがスラントに着く直前の話。


 今、俺は、物騒な話を耳にぶっこまれて、嫌な汗を再び噴出させている。


 なんとかやっていけるって?

 冗談じゃない。まったくもって、冗談じゃない。


 あのまま、「ごめんなさい」をして借金をしてでも帰路に付けばよかった。

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