第四話:八番バース、後
「移動しながら聞いてくれ」
こちらの焦りを知ってか知らずか、ベルさんの口調は冷静そのものだ。
こちらはそれどころじゃない。
手首の内側から滑り出させた姿勢制御コントローラーを使って、乱れた姿勢を修正する。頭を進行方向にゆっくり戻す。その間にも視線はベルさんを探す。でも、付いてくる気配はなかった。
どうやら彼は飛ばず、先ほどの場所から無線で指示をするようだった。
「姿勢制御は、さすがにうまいな……見えるか? あそこにあるのがうちの船だ。途中ひっかかるかもしれんから、上手にコンテナを踏んで目指せ」
「いいんですか」
「いいんだ、それが一番早えんだ。時間がないから続けるぞ。メットのバイザーにうっすら赤い道が映っているな」
何を言っても始まらない。ここは覚悟を決めてやらねばならない。すでに俺は投げられたのだ。
「あります。道みたいになってますね」
見ると右斜め後ろから左斜め上へ向かって赤い半透明の道が示されている。実際にはそんなものはないのだが、ヘルメットのバイザーが便宜上表示しているのだ。
「これを伝うので?」
「逆だ」
言われた瞬間、巨大なコンテナが横切った。赤い道を辿って、後ろから高速で追い抜いていった形に。
ちなみに、コンテナも専用のSJ=CSを内臓しているために浮いている。運搬のために、専用の機械で射出されているため、かなりのスピードが出ている。
巨大な物体が至近距離を走るのは、さすがに恐ろしい。大型トラックに目の前を横切られた気分だ。少しずれていたらヘルメットがあろうと、ただではすまない速さだ。
「大丈夫だ、慣れだ慣れ」
ベルさんは朗らかな笑い声をそえながら、無茶を言う。当たれば骨の一本も軽くもっていきそうな破壊力だというのに。
恐ろしい入社試験があったものだと思う。ブラックどころではない。もはやブラッディと呼んでも差し支えないかもしれない。
しかし、考え事をしながらも、身体は動かさなければならない。集中を切らせばブラッディだ。
赤い道はコンテナが通過すると消えるが、また他のが来ると現れる。桟橋のコンピューターから来る情報のおかげだが、この情報ありきのコンテナ輸送でもある。感謝していいのやら、恨み言一つも吐けばいいのやら、複雑な気持ちになる。
「ああいうコンテナに捕まって慣性を貰ってもいいぞ。方向に気をつけろ。変なところにすっ飛んで行ったら面倒だぞ」
本当に無茶を言う。こちらは初桟橋初遊泳だ。巨大コンテナ、それもかなりの速さのそれに捉まるのは勇気がいる。
ベルさんをもう一度見るが、遥か遠くで、表情はとうに読み取れない距離になっている。
「試しに乗ってから飛んでみろ、左後ろからゆっくりめの黒いコンテナがあるだろう」
言われたとおり見ると、赤い道を辿る黒いコンテナがあった。ゆっくりと言うが、先ほどのと比べて幾分かマシというほどだ。しかし、他に穏やかなコンテナもない。諦めて黒いコンテナに頼るしかなさそうだ。
「まずは示された道に……」
身体はベルさんの一投げで上昇を続けていたが、空気抵抗で徐々にそのスピードも落ちてきている。下を見るとその場で静止している丁度いいコンテナがあった。
青いそれを目標に、コントローラーを操作して、浮力を徐々に減らして降下してゆく。そのまま、ゆっくりと静止コンテナに着地する。
ここでぐずぐずしていたら黒いコンテナが過ぎ去ってしまう。すぐさま赤い道を進む黒コンテナに向けて、青いコンテナを蹴ってジャンプする。と、同時に、瞬時にコントローラーを操作して、自分の体重をゼロにする浮力を身にまとう。信じられない高さを、軽々と飛んでゆく。浮き服がなければできない芸当だ。
見上げると、徐々に黒コンテナが近づいて来る。また浮力を微調整をして両足を黒いコンテナにつける。安定させるために、鞄を持っていない手でコンテナを掴んだ。
「うまいうまい。多少、人間が蹴っ飛ばしても大丈夫だから気にするな」
ベルさんの楽しそうな声が聞こえる。
「了解です」
最初は緊張したが、やってみるとそう難しいものではなかった。昔取った杵柄のおかげだ。コンテナの迫力さえどうにかすれば、空中を飛び回るのが得意な俺にとっては何の問題もなさそうだ。
そうして、同じような要領で、ひょいひょいとコンテナを飛び渡ってゆく。慣れるとだんだん楽しくなってくる。
その最中、ベルさん以外の声が耳に入って来た。
「ベルさん、あんまり変なこと教えないでくださいよ」
おそらく桟橋の職員だろう。
「悪いな。多少のズレぐらいそっちで修正しようや。イレギュラーの訓練も必要だろう」
「そりゃそうなんすけどねぇ。最近は効率効率って上がうるさいんすよ」
「わかってる。だが、ちょっと急いでんだ。知ってるだろう。また今度おごってやるから勘弁してくれ」
「わかりましたよ。ベルさんならしょうがないや。周りにはスーツはスルーと言っておきます」
「恩に着る」
ベルさんは蹴っても影響はないといってたけど、気を使ってくれたのだろう。たった数ミリのズレがあれば、数百メートル先では結構なズレになってしまうことくらい、俺にもわかる。
目的地が別の場所になるくらいならまだしも、ダッチロールと呼ばれる、捻りながらの回転がかかると、回収が難しくなる。
彼らは、そんな危険や迷惑がわかっていても、俺を急いで乗り込ませようとしている。出発を、相当急いでるのだろう。
入社試験にしてはどうも様子がおかしい。
でも、急いでいる理由のほうが気になる。
港湾の関係者に迷惑をかけてまで急ぐ理由。そのことに俺は頭を捻りながら、船へと急ぐ。
小さく見えていた船は、近づくにつれ大きくなっていた。
もうすぐ船につきそうだ。
船の全長は百メートルほど。
輸送・運搬船がひしめく専用桟橋内では、場違いな形状だった。
運搬船は、たいていがボトルを横にしたような形をしている。空気抵抗を減らすために、流線型の船体なのだ。
でも、ベルさんに指示された船のシルエットは、明らかにそれらとは違った。
優美な曲線を持つ船体は、風を正面から切る形だったが、特徴的な見た目をしていた。今は若干横に寝てはいるが、複数のマストが甲板から立ち上がっているのだ。
細部に変わったところがあるものの、いわゆる、帆船と呼ばれるものだった。
その昔、エンジンがなかった時代では、船乗りは浮石と風の力だけで飛んだという。その頃の主力として活躍したはずの形。
しかし、現在では、この形の船はほとんど見かけない。より安定して航行できる動力、ジェットエンジンを最大限に生かす形を採用しているからだ。
「ファンタジーか」
思わず呟いてしまうほどに、古い型の船だ。
よく見ると船体側面にドアが開いている。そこから入れるのだろう。俺は船に取り付いて、あとは腕力で甲板との境を掴んで、ドアに近づいてゆく。
「ん?」
ドアからにょっきり手が出ていた。こちらに向かって何度か手招きしている。
掴まれってことかな。だとしたら助かる。
手に向かってゆっくり飛ぶ。
ほどなくして、ドアを行き過ぎる前に、手を掴んだ。力強く握り返され、そのままぐいっと船体に引き込まれる。
船内に入ると、コントローラーでスイッチを切り、浮力を消す。身体の重さがかかり、だるさを感じる。この瞬間は、何度やっても慣れない。
俺は二、三度、頭を振って、顔を上げる。
「ありがとうございま――」
礼を最後まで言い切ることができずに、絶句してしまった。
「礼には及ばんよ、青年。とりあえず、今は時間が無いのでね、先にあの部屋に荷物を置いたら、ブリッジに来てくれたまえ」
上機嫌に語る老人は、足を引きずりながら、奥へ行ってしまった。
俺はこの老人を知っている。いや、この時代、彼を知らない人は早々いない。
「サージ・イワンドー……社長」
俺の記憶では、巨大企業、サージベッター社の社長、その人だ。